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太平洋戦争時の父母の体験

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父母の太平洋戦争のときの体験談です。

目次

北海道でも戦争はしていた

母が10代のころに農作業をしていた時の話です。
第2次世界大戦、太平洋戦争のときに母は実家の家業である農業の手伝いをしていた時、低空で戦闘機が飛んできて射撃をされたのですが、母は近くの排水に逃げ込んで事なきを得ました。

そんな経験は一度だけだったようです。
戦時中であっても北海道では、戦争が迫っているような感じはしなかったようですが、本当に戦争は行われていたのですね。

父は戦争で、中国へ

父は戦争で、中国へ出兵しました。
よく言われる食べるものにも困ったとか言われますが、父は食糧を作る仕事をしていたそうで、食べ物にはあまり困ったことは無かったそうです。

戦後にロシアの捕虜になり2年間ほど抑留されていました。
無事に日本に帰って来たのが奇跡の様だと良く行っていましたが、現地では寒さと食糧難で多くの方が亡くなったそうです。
それ以上の話を聞いたことは有りませんが、想像を絶するところだったのでしょう。
のちにロシアへの労働賃金の交渉を日本政府とロシアで行ったのが記録には残っていますが、ロシアは結局、保証はしなかったようですが、その代わりとして日本政府から賞状と金杯が送られ、これで戦争のことは終わりということですね。
寒いロシアでは豚の脂身を食べて、ウオッカを飲むのだそうです。

こんな話を笑い話でしていた父も、55歳と言う若さで亡くなってしまいました。
最後まで本当の戦争の悲惨さは話してはくれなかったのだと思います。

※画像はイメージです。

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