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戦争って陰惨な話ばかりではない

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祖父母が存命している頃に聞いた、ちょっと特殊な戦時中の話です。
5年前に亡くなった明治生まれの祖父、大正生まれの祖母から聞いた話です。

自分の家はハッキリとはわからないですが、江戸時代中期から神社をしています。
神社と言っても年末年始や節分にTVで話題になるような大きな神社ではなく、街中にひっそりとある神社のような感じです。

戦時中には陸軍の部隊の駐屯地が近かった事もあり、兵隊さんの定宿的な役割もあったようです。

時は戦時中で御国の為、御上の為という世の中で、今では考えられない程に規律や礼儀を重んじていたそうで、マスメディアで見聞きする兵隊さん、軍人さんは怖いイメージよりも、むしろお遍路さん、巡礼なんかの番組で目にする宿坊の印象と言えばわかり易いかもしれないぐらい兵隊さん達と我が家の関係は粛々としていたらしいです。

でも、やはり、兵隊さん、軍人さんと言えども人の子ですし、戦地へ赴く=死地に赴くという事が怖いという兵隊さんもいたそうですし、今で言う会社組織だと思えば良いですが、規律や上下関係といった縦社会に属しているワケですから表向きは御国の為と言いながらも、表に出さない反抗的な想いを持った方々もいたそうです。

そんな時、神社で神主をしていた曽祖父は表向きの相談に乗ったり、ちょっとした教訓的な教えを説いたりし、曽祖母が(変な意味でなく)風呂で三助的なコトをしながら悩み相談や笑い話なんかをしていたらしいです。

そんな我が家は戦時中でも兵隊さんがおり、神職であるが故に食べ物も豊富にあり、戦地へ赴く方々、または戦地から帰った方々もいて正に心と身体のケアをしている簡易的な病院の役割もあったそうです。
でも、身体を休める場所であった為にピリピリとした空気ではなく、時折、現在の若者がカラオケでヒット曲を歌うが如く、酒を酌み交わし、陽気に歌う時もあったと聞きます。

当時の名残として、我が家には寄進された物が今でも神棚の所に納めてあります。

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