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グレナダ侵攻~アージャント・フューリー作戦~(3)

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1983年10月にアメリカ軍が行ったグレナダ侵攻作戦「アージャント・フューリー」
主力となる陸軍のレンジャー部隊はグレナダに居るアメリカ人の救出に向かいます。

目次

空港と飛行場の制圧

「アージェント・フューリー作戦」は島国グレナダの北部を海兵隊、南部を陸軍のレンジャーと空挺が制圧する作戦です。

10月25日朝
グレナダ東部のパールス空港を強襲揚陸艦「グアム」から発艦した輸送ヘリに乗った海兵隊による、空からの攻撃で制圧しました。
グレナダ南部のポイント・サリネス飛行場へは陸軍レンジャー2個大隊による空挺降下が行われた。

C-130輸送機で運ばれたレンジャー隊員達は、対空砲火に身を晒す時間を減らす為に高度150メートルからの低空のパラシュート降下を実行した。
ガンシップのAC-130が援護する中でレンジャー隊員は飛行場へ降下すると、キューバ人兵士による抵抗がありましたがこれを排除し飛行場を制圧します。
午後にはレンジャーが制圧したポイント・ネリサスの飛行場へ後続の空挺部隊が輸送機で到着し作戦の出だしは好調に進みます。

アメリカ人医学生救出

グレナダ侵攻におけるグレナダに居るアメリカ人の救出として、ポイント・ネリサス飛行場から近い位置にある医学生の寮にレンジャー部隊は向かいます。
その寮にアメリカ人の医学生が居るはずでしたが全員はおらず、グレナダの首都セントジョージズの南あるグランド・アンスにアメリカ人医学生は移されたと知ります。
空爆によりグレナダ軍に打撃は与えられましたが、アメリカ人医学生を救出するには直にグランド・アンスへ向かう地上部隊が必要です。

10月25日の夜に海兵隊をセントジョージスの北にあるグランド・マルに上陸させます。
セントジョージス周辺に陸軍のレンジャーと空挺に海兵隊の戦力が集まります。
翌26日にはイギリス総督救出に次いでグランド・アンスへの突入が開始され224人のアメリカ人医学生が救出された。

侵攻作戦の終了

デスタフォースがグレナダの政府高官が収監されている刑務所の襲撃に失敗したり、作戦を急ぐあまりヘリの事故が起きるなどしましたがイギリス人総督やアメリカ人医学生の救出が成功し、アメリカ軍がグレナダ全域を制圧しました。
レーガン大統領は11月3日に作戦終結を発表した。

グレナダを支配していたオースチンは米軍に捕らえられ、イギリスでの裁判で死刑判決を受けますが減刑により2008年に出所
11月9日にはスクーン総督により新たな政権が樹立、グレナダは独裁政権の時代が終わりました。

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(参考文献)
・歴史群像2021年4月号「グレナダ侵攻1983」文=山崎雅弘 ワン・パブリッシング
・世界の特殊部隊作戦史1970-2011 ナイジェル・カウソーン著 角敦子訳 友清仁監修 原書房
・戦場の特殊部隊 アレグザンダー・フティルウェル著 伊藤綺著 原書房

eyecatch source:United States Army, Public domain, via Wikimedia Commons
※画像はイメージです。

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