日本航空123便墜落事故に関わった自衛官の体験談

時は1985年・・・昭和60年の8月12日。
日本航空ボーイング747型機が群馬県多野郡上野村の御巣鷹山に墜落した・・・民間航空事故に関わった自衛官のお話をしたいと思います。
この事故に関わった自衛官のお名前は明かせられないのですが、退官した自衛官で「おじさん」と名乗らせていただきます。

事故当日

このおじさんは突然に召集を受け、慌てて装備を準備し、事故現場の小学校近くへと集めらます。
おじさんは当初、すぐに事故現場へと向かう事は予想してなかったようです。

なんの事前情報も無く連れてこられ、向かう飛行機の墜落現場となった場所は、原生林が密集している大森の中でした。
しかも人が通れる山ではなく、道なき道を進まなければいけない、樹々の密集地で草木を避けながら進んでいかなければいけなかった。

普段の訓練で森などの行軍には慣れていたのですが、あの森は普通の森ではなく、うっそうと茂っているせいで場所が把握できにくく、どこを歩いているのかが解からなくなってしまい、ヘリから支持を受けながら行軍を行っていたのですが、ヘリの誘導があいまいになってしまうほどの過酷な地形で、富士山の原生林の方がまだ進みやすかった。

歩いている自衛官たちを見失ってしまいながらも、それでも何とかに山頂へたどりついた時には、すでに隊員は疲労困憊し、今もこの事故現場への行軍は大変だったと語っています。

事故現場

到着した事故現場のあまりのひどさに騒然しました。
まず飛行機の破片が周辺に散らばり、異臭や燃料の焼け焦げた異臭が立ち込め、言葉にはできない惨状だったと告げています。

おじさんの任務は、ヘリポートの開設と重労働組として召集されたので、遺体の収集班では無くて良かったと沈痛に語っていました。
ただへリポート制作も楽な任務ではなく、原生林の多い場所の為に斧やのこぎりなどで手作業を行い、少しずつに樹を倒していきます。

最初は電気ノコギリなどは無く、手作業での作業はひどく時間が掛かり、また当然に重機などを運べる場所では無かったので、木の根っこを掘り起こすのも全て人力。
樹々を切り倒しながら、破片で埋まっていた事故現場を整地していくのですが、その過程で遺体が見つかってしまうと、周辺の捜索が始まってしまうので仕方なくに別の場所を開き、ようやくヘリポートを開設します。

そうして時間が経つにつれ気温が上がり暑くなるに従い異臭がすごくなり、脱水で体力を消耗させながらも、ヘリポート制作作業を続けていたおじさん自衛官。

あの事件が風化していく中で、あの場所でヘリポートを作り、過ぎてしまったあの夏は忘れられない夏だったと語ってくれました。


イバ・ヨシアキ
イバ・ヨシアキと申します。
ライターでインタビューする時、相手の体験談を聞いて思わず黙り込んでしまうライターですが、宜しくお願い致します。

※画像は一部イメージです。

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