人類史上で最大、最恐の破壊力!旧ソ連の核爆弾「ツァーリ・ボンバ」

2020年の現在でも人類が保有する最強の兵器と言えば「核兵器」である事に議論の余地はないが、1発の破壊力と言う点では半世紀以上も前の核兵器が最大とされている。
それは1961年に旧ソ連が実験を行った形式名「RDS-220」若しくは「RN202」とされる水素爆弾であり、当時その威力の大きさから西側陣営は「ツァーリ・ボンバ」と呼称された。

「ツァーリ・ボンバ」とは、ロシアの皇帝を意味する単語「ツァーリ」と爆弾「ボンバ」を掛け合わせた造語であり、現在ではロシアでもその名称で知られるに至っている。
この2020年8月にはロシアの国営原子力会社・ロスアトムが、何とYoutube上に約40分強の当時の「ツァーリ・ボンバ」の実験映像を公開しておりその威力を垣間見る事が出来る。

「ツァーリ・ボンバ」が誕生した背景

人類史上で唯一実戦で使用された核兵器と言えば、ご存じのように1945年8月に広島と長崎に投下されたアメリカがマンハッタン・プロジェクトによって開発した原子爆弾だ。
これをアメリカが日本に対して使用した理由については、戦後の旧ソ連との争いを見越し、優位性を固持するためなどの推察がなされている。
確かにアメリカの思惑はその後4年間は成立し得たが、1949年には旧ソ連も原子爆弾の開発に成功し、以後両国の核兵器開発はより強力な破壊力を求めてエスカレートしていった。

核兵器の中でも先ず開発された原子爆弾に続き、更に破壊力の大きな水素爆弾が開発され、1952年にはこの実用化にアメリカが成功し、翌1953年には旧ソ連もそれに続く。
しかも旧ソ連はアメリカよりも水素爆弾の小型化という点では先んじる事に成功し、これが「ツァーリ・ボンバ」として今日も伝えられる史上最強の核兵器となった。

 「ツァーリ・ボンバ」のサイズ感

「ツァーリ・ボンバ」は総重量27トン、全長8メートル、直径2メートルと非常に大型な爆弾であり、当時の旧ソ連のTu-95爆撃機の爆弾倉には収容できず、半ば強引に懸架する方式で実験された。
これは前述のアメリカが運用した「B41」水素爆弾の総重量4.85トン、全長3.76メートル、直径1.32メートルと比較すると、重量で5倍以上、全長で2倍以上と如何に巨大だったかが窺える。

アメリカではこの大きさの「B41」水素爆弾であっても運用可能な爆撃機はB-47若しくはB-52に限定されており、兵器としての実運用を考慮すればこのサイズが限度だったと思われる。
そのため旧ソ連が1961年に「ツァーリ・ボンバ」の実験を実施した際、その威力は全世界に驚愕を与えたとは言え、アメリカ軍としては早期にその実用性の低さを疑問視したのだろう。
特に爆撃機では無く同時に開発が進められていた大陸間弾道ミサイルに搭載することまで考慮すれば、その傾向は一層顕著であり、1発の威力よりも運用の容易さが求められたと言えようる。

■ツァーリボンバ原寸大模型User:Croquant with modifications by User:Hex, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由

 「ツァーリ・ボンバ」の威力

「ツァーリ・ボンバ」の威力はTNT換算で約100メガトンと目されており、これは広島に投下された原子爆弾の凡そ6,000倍以上にも相当する莫大なものとなっている。
この余りに強力過ぎる威力故に、旧ソ連では威力を半分に減少させた約50メガトンにしたもので実験を実施したが、それでも爆発時の衝撃波は地球全体を3周もしたと言う。
「ツァーリ・ボンバ」の爆発は2,000キロも離れた位置からでも確認され、当時旧ソ連の動きを監視していたアメリカ側では、約57メガトン相当とその威力を見積もったとされる。

「ツァーリ・ボンバ」の爆発で発生したキノコ雲は高さ60キロメートル以上、幅30~40キロメートルにも達し、当時の日本でもその衝撃波が観測されたことが記録に残っている。
因みにアメリカが開発・実用化した最大の威力を持つ核兵器は「B41」水素爆弾であると言われており、こちらは約25メガトン相当で「ツァーリ・ボンバ」の理論値の約四分の一だ。

火球サイズの比較Fastfission, Public domain, via Wikimedia Commons

 「ツァーリ・ボンバ」の実験とその後

「ツァーリ・ボンバ」は1961年10月30日の午前11時32分頃、前述の専用に改造を施されたTu-95爆撃機から投下され、北極海のノヴァヤゼムリャ上空約4,000メートル地点で爆発した。
このとき投下するTu-95爆撃機が安全に待避する時間を確保する為、「ツァーリ・ボンバ」には総重量で約800キリにも及ぶパラシュートが取り付けられ、投下されたと言う。
その甲斐あってこのときのTu-95爆撃機は現存しており、今もモスクワ近郊にある空軍中央博物館、通称モニノ空軍博物館にてその機体を直接目にすることが出来る。

「ツァーリ・ボンバ」の実験自体は当時のフルシチョフ書記長の指示通りに成功裏に終了したと言えるが、巨大さ故に実用化には至らず、この1発が最初で最後となった。
しかし1961年のこの「ツァーリ・ボンバ」、更に翌年1962年のキューバ危機などが西側諸国に与えた核戦争の危機感は大きく、1963年の部分的核実験禁止条約締結の契機とも考えられる。
ただ部分的核実験禁止条約においても地下での核実験は対象外となったため、米ソ英仏に続き1967年には中国、そして2016年には北朝鮮と核兵器保有国は増加し続けている。

eyecatch source:WikiImagesによるPixabayからの画像
※記事との直接的な関連性はないイメージです。

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