孤島で1人の女をめぐり、32人の男たちが殺し合い~アナタハンの女王事件~

終戦から数年がたち、人々から戦時中の話題が遠ざかりつつあったころ、日本中を騒がせた戦争奇談があった。
わずか5年のうちに、1人の女性をめぐって13人もの男たちが怪死および行方不明になったアナタハンの女王事件である。

南の孤島の日本人

サイパン島の北、約117キロに浮かぶアナタハン島は、現在はアメリカ領の小島である。
戦時中は日本の委任統治領であり、日本の企業が進出して農園を経営していた。

沖縄出身、24歳の比嘉和子(ひかかずこ)がこの島で暮らしていたのは、南洋興発に勤務する夫・正一の赴任に伴い、島に移り住んだためだ。アナタハン島の日本人は和子と夫、そして夫の上司・菊一郎の3人だけ。ところが、すでに激戦地になりつつあったサイパンの戦況が気がかりな正一は、ある日、パガン島にいる妹を心配して島を離れてしまう。まもなくサイパンは爆撃され、正一はそれきり行方がわからなくなった。
31人の男たちが島に漂着したのはそんな時だった。

朝日新聞社, Public domain, via Wikimedia Commons

島に流れついた31人

昭和19年6月、島の近海を航行していた日本の徴用船3隻が米軍の攻撃を受けて沈没。脱出した乗組員はアナタハン島に泳ぎつく。
沈没を免れ、島にたどり着いた残りの1隻も空爆を受けて大破した。
帰る船を失った乗組員たちは総勢31名。そのうち10人は軍人で、21人は軍属船員であったという。彼らは船ごとに集団を形成して島で暮らしはじめた。
和子と菊一郎は、状況判断から夫婦を装い、男たちと距離をおく。

漂着した男たちの派閥はやがてなくなり、共同生活をするようになった。和子と菊一郎が彼らとうちとけたのは、故郷を遠く離れた孤島で思いもよらず大勢の日本人と出会い、同胞意識が芽生えたからだろう。

島にはバナナやパパイヤが自生しており、かろうじて飢えをしのぐことはできたが、困ったのは服だった。和子は木の皮の腰ミノに上半身は裸。男たちの服はボロボロになり、木の葉で前を隠すだけ。

昭和20年8月の終戦は、彼らにとっては知るすべもない出来事だった。投降を勧告する米軍の呼びかけやビラ撒きが再三にわたって行われたが、誰一人信じる者はいなかった。すでに原住民は島を離れたあとで、日本人だけが残された。

島に取り残された男たちと1人の女

その後、米軍が信託統治の委譲などに手間をとられたこともあり、島は放置状態になってしまう。
女は和子ただ1人、そして男は32人。遅かれ早かれ、和子をめぐる争いが起こることは火を見るよりも明らかだった。

最年長の男が策を講じ、和子と菊一郎に夫婦になることを提案する。和子が誰かの妻になれば、男たちもあきらめがつくだろう。2人は結婚式を挙げ、みんなと離れた場所に住んだ。
ところが、偶然に見つかった拳銃が集団の力関係を大きく変えることになる。

拳銃を手に入れた2人の男

昭和21年8月、彼らはジャングルで墜落機を発見した。墜落現場から少し離れたところには、拳銃4丁と実弾70発。
銃に明るい男が拳銃を組み立て直し、使える拳銃を2丁完成させて、組み立てた男とその親友が1丁ずつ持つことになった。
集団に力関係が生まれた瞬間である。2人の男は「武器」によって絶対的な権力を手に入れ、和子を脅して自由にするようになった。和子と菊一郎、そして銃を持つ男2人の奇妙な夫婦生活がはじまる。

不審な出来事が起きたのは、それからまもなくのことだった。銃を持つ2人と仲の悪い男が木から落ちて死んだのだ。近くにいたのは例の2人。島の中に不穏な空気が漂いはじめる。
「あいつらが銃で脅して木にのぼらせて、転落死に見せかけようとしたんじゃないか?」
「シーッ、聞こえるぜ」
証拠こそなかったものの、誰もが殺人を疑った。

さらにしばらくたったころ、今度は銃を持つ男が、しつこく和子を口説く男を射殺した。島で殺人が起きはじめた。
いまや権力の象徴となった銃は、その後も男たちの手から手へとわたり、和子をめぐって病死か事故死か殺害かわからない多くの死者を生んだ。
ある日、ついに彼らは銃を海に捨てることを決意する。しかし銃がなくなったあとも死者や行方不明者は相次いだ。ここに至って、男たちは「争いの元凶は和子」という結論にたどりつく。

English: TTPI(Trust Territory of the Pacific Islands) Headquarters日本語: 太平洋諸島信託統治領政府, Public domain, via Wikimedia Commons

和子処刑計画

最初の殺人からすでに5年がたち、32人の男は20人になっていた。和子に正式な夫を決めても、銃を捨てても争いはおさまらない。
「どうすれば殺し合いがなくなるんだ?」
男たちは会議を開いた。そこで出された結論は、「和子を処刑する」というものだった。あの女がいるから殺人が起こるんだ。明日、和子を殺してしまおう。全員の意見が一致した。しかしその夜、1人の男が和子にこのことを伝える。
「逃げろ。あんたは殺される」
男たちの計画を知った和子は小屋を飛び出し、ジャングルへ逃げ込んだ。夜は明かりもない環境で、食料も自分で何とかするしかない。もちろん彼らに見つかるわけにはいかない。

ジャングルでの潜伏生活が1か月ほど過ぎたころ、和子は沖にいるアメリカの船を発見した。木にのぼり、布を振って、声の限りに叫んだ。船が島に近づいてきた時、終戦を信じていない男たちは全員身を潜めていたため、彼女は無事に保護された。

和子は「女王」だったのか

和子が救助された翌年、島に残った男たちはようやく敗戦の現実を受け入れて米軍に投降。昭和26年7月26日、羽田空港に降り立った時は全員が泣いていたという。

アナタハン島の性的な退廃は、10代から20代の人間が多かったことが大きな要因といわれているが、彼らが寄せ集めの混成集団だったことも見逃せないポイントだろう。それが軍人であっても徴用された民間人であっても、どちらかの単一組織で指揮系統が明確であったなら、ここまで無法状態に陥ることはなかったように思える。

生還した和子のことを、メディアは「女王蜂」「男を惑わす女」「アナタハンの女王」と呼んで好奇の目にさらした。けれど、彼女もまた戦争という悲劇に翻弄された犠牲者の一人だったことはまちがいない。

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