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サバイバルゲームの歴史考察

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サバイバルゲームとはエアソフトガンを使用して、敵味方に分かれてお互いを撃ち合う遊び。
自己申告制で弾に当たったらヒット(死亡)となり、フィールドから退場するのが基本です。

サバイバルゲームの歴史はトイガンの歴史でもあり、進化の過程と共に考察していきます。

目次

発祥時代(~1960年頃)

「銀玉鉄砲や巻玉火薬の鉄砲(音だけで弾は出ない)で子供達が撃ち合い遊び」が、日本のサバイバルゲームの原点であり発祥となります。

当時、アメリカでは牛のマーキング用のペイントボールを使った「サバイバルゲーム」が人気であったと話を聞いた事があります。
ペイントボール以外にも、射出した羽のついた弾に針が付いていて、当たると服などに引っかかり当たり判定をする、「ガッチャ」というゲームもあったようです。

モデルガン時代(~1970年頃)

ミリタリー愛好者がモデルガンで撃ち合いをした「コンバットゲーム」が流行りだします。
サバイバルゲームというよりも、今で言うコスプレイベントに近い物でした。

モデルガンは弾は出ないので打ち合いの擬似行為となりますが、お互いに「弾の当たると想定される条件」であれば死亡したと判断して、「セーフティーゾーンに戻る」や「前線を後退する」などルールが存在していました。

シュチュエーションから確実に当たっている状況にも関わらず、当たっていないと主張する「ゾンビ行為」がこの頃既に存在していました。

70年代中盤ぐらいから、テルテル坊主型の「ツヅミ弾」を使用して子供でも扱える「スポーツエアガン」が、当時の玩具メーカーから発売されます。

「マスダヤ」からBS(ボーイスポーツ)ガン、対抗して「タカトク」からはTM(タカトク・マツシロ)ガンとしてブランド展開していました。

「タカトク」の「TM-07 SS9000」は後に「SSスーパー9」として一世風靡する事になります。
「SS9000」はなぜ9000なのかと言うと販売価格が9000円だからなのです。

他にも子供でも容易に構えられるように一回り小さいサイズにダウンした 「SS5000」、ウエスタン人気を考慮したレバーアクションのウインチェスタータイプの 「SS7000」がTMガンとしてラインナップされていました。

なぜ現在のような球形のBB弾ではなく、コストのかかる「ツヅミ弾」だったのかは、ライセンスが必要な「エアガン」の弾がこの形だったので、金属製だったそれを似せてプラスチックで再現した為です。

そして「コンバットゲーム」では、いまひとつ物足りなさを感じていた人たちが、「エアスポーツガン」を使用した撃ち合いを始めますが、元々の「コンバットゲーム」愛好者からは、「子供の玩具」を使った撃ち合いに抵抗を感じる方が多く、両者に軋轢が生じました。

ゲームシーンとしては、カート式が主流の為に装弾数が少なく連射性がないので、威力・飛距離ともに遥かに劣るのですが、駄菓子屋で売られている銀玉鉄砲がゲームでは有利な事もしばしばありました。

サバイバルゲーム元年(1980年前半~)

アメリカの「ペイントボール」をつかったゲームを雑誌が「サバイバルゲーム」として日本に紹介されます。

諸説があるのですが、それを愛知県春日井市のショップ「キャロムショット」によって世に広めらたのでしたが、この段階では一部の愛好者が楽しむ程度の規模でしかなくマイナーな遊びでした。

エアガン転換期(1980年代中盤~)

6mmBB弾のエアガンが「マルゼン」から発売をされたのをきっかけに、各社ツヅミ弾からBB弾に移行し、85年に「JAC」と「アサヒファイアーアームズ」共同開発のフロンガスをパワーソースとして使用した「BV式」フルオートガスガン「バトルマスターI」が発売されます。

いままで「薬莢」に弾を詰めて発射する、リアル嗜好のトイガンが「薬莢」を使わずに直に弾を発射するケースレス化したのもこの頃からです。

そして1985年、「ウエスタンアームズ」から日本初のセミオートガスガン「AR-7」、それを追ってMGCから「ベレッタ M93R」が発売されたのを切欠に、各メーカーがこぞってガスガンを発売しフロンガス時代へと突入します。

ここで気になるのは、日本初のセミオートガスガンは「MGC」なのでは?という方の多いと思うのですが、実際は「ウエスタンアームズ」の方が数週間早く発表していますので、日本初のガスガンは「ウエスタンアームズ」となります。

第1次サバイバルゲーム期(1980年後半頃~)

ベトナム戦争映画ブーム等の影響から、中高生等の若年層を巻き込んでエアガンブームが起きサバイバルゲームの競技人口が増えます。

バブル経済の影響もあり、玩具メーカーやモデルガンメーカーから様々な個性的機構のトイガンが発売されます。

1987年に「JAC」より「UZI」が発売されます。
スタンダードモデルが9,800円といった、いままでとは比較にならないほどの安価の為に、フルオートガスガンが手軽に購入できるようになりゲームシーンが一気に変わりました。

「BV式ガスフルオート」は構造から大量のエアを消費し、飛距離や命中精度を求めるにはパワーを上げるのが一番確実な方法とされ、高圧タンクを背負いパワー重視の時代が訪れます。

そして、「KG9」等の名銃を生み出し、いままでトップであった「マルゼン」はここで一気にシェアを失うことになり、さらには「東京マルイ」「マルシン」「マルゼン」は三マルメーカーと呼ばれてイマイチなトイガンメーカーとさえ言われるようになっていくのでした。

ただ「東京マルイ」のエアーコッキングシリーズは安価で命中精度の高く決して悪いトイガンでなかったのですが、ガスフルオートでパワー重視の時代では対抗手段にはならないものでした。

「BV式ガスフルオート」に対抗できるものは「SS9000」しかなく、狙撃用として独自の進化をしてくのでした。

またこの頃、「ウエスタンアームズ」より、電池でモーターを動かしバルブを叩いてガスを開放して発射する構造でハイブリットではありますが、初の電動ガンが発売されます。

暗黒時代(1990年前半~)

パワー合戦が加熱します。
ブームもひと段落して競技人口は減少しました。

1991年に「東京マルイ」から電動ガン「FAMAS」が発売されましたが、初期バージョンではホップが搭載されてなく、パワー重視の時代において性能面で「BV式ガスフルオート」には全く敵わず、電動ならではの独特な発射音から「耕運機」と呼ばれて敬遠されました。

この頃、固定式だったハンドガンがガスブローバックへと変わっていきます。

電動時代の幕開け(1990年中半~)

「東京マルイ」の電動ガンにホップアップ機能が搭載されます。

「BV式ガスフルオート」に対して十分対抗できるどころか、 低いパワーでも飛距離と命中精度を得られるので、軽量さやタンクやホースに邪魔されない取り回しの良さから電動ガンが主流となっていきます。

スナイパーライフルにも変化が起きます、そもそも「SS9000」は高価なチューンを施すのが前提となりますので、箱出しでそこそこの性能が得られる「マルゼン」の「APS2」にシェアを奪われていきます。

法規制と転換期(2000年代)

ますます人口が現象傾向になり、マニアのみによって細々と遊ばれていました。

2000年代前半にサバイバルゲームの専用フィールドが出現し始めます。

そして、2005年に走行中の車の窓ガラスへの発射事件等が頻発し、2006年に銃刀法が改正されます。

第2次サバイバルゲームの幕開け(2010年前半~)

むしろ法改正が良い方向に働き、「危険なサバイバルゲーム」という印象がなくなったのも要因の一つと考えていますが、専用フィールドの増加などの変化、テレビや雑誌になどによって認知度があがり競技人口が爆発的に増加します。

海外でもトイガンの需要が確認され、主にヨーロッパでのシェアの大きさから産業化されます。
その余波で日本でも海外製のトイガンが多く売られるようになります。
初期の段階では酷い物が多かったのですが最近ではかなり精度があがり、箱出しの状態でも十分使えるトイガンが増えました。

多様化の時代(2010年中半~)

2010年前半に始めたプレイヤーが熟成期にはいったのとメジャー化が進み、単なる撃ち合いではなく、ヒストリカル、コスプレ要素など、遊び方そのものを考えた多様化しました。

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