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阪神淡路大震災・・・やさしい怪談の真実?!

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1995年1月17日の早朝5時46分に発生した阪神淡路大震災は、明石海峡を震源とした最大震度7の稀に見る災害でした。
高速道路がおもちゃの様になぎ倒され、大きな火災が神戸の街を焼き尽くし、関西圏の方でなくてもTV中継で見た衝撃的な映像を今でも覚えている人も少なくないでしょう。

この当時、私は神戸の某所に住んでおり、被災しましたが運よくほとんど被害を受ける事無く、家族もちょっとしたケガ程度で無事でした。
それから数か月が経って、こんな噂話をききました。
ご存じの方もいるかもしれませんが、この場を借りて話していこうと思います。

目次

ちょっといい話

それは地震がおきた早朝の事だったそうです。
営業を終えたホストクラブで閉店後の清掃業務をしていた最中に地震が発生し、入居していたビルは老朽化した為に倒壊してしまい数名のホストが生き埋めになってしまいました。

瓦礫の下敷きになったホストAさんは、あまりの辛さに「もうここで死ぬんだ」と諦めそうになった時、一緒に清掃業務をしていた同期のホストBさんが「あきらめんなよ!」とAさんを励ましました。
AさんとBさんは励ましあい、ようやく救助が到着し助け出されたAさんが救助隊に「さっきまでBと話をしていたんだ!Bを早く助けてくれ」と懇願しましたが、Bさんはすでに亡くなっていた。それも地震発生後間もなく、柱に潰され即死だったそうです。

本当は?

Bさんは亡くなっても、Aさんを助けるために励ましてくれた・・・という良い話なのですが、現実は違うという事を聞きました。瓦礫の下敷きになったAさんをBさんが話しかけるところまでは同じなのですが、その後が全く違う話なのです。

そもそもホストクラブに残っていた従業員はAさんとBさん以外にもいて、他の従業員の悲鳴や助けを求める声がずっと聞こえて来ていたそうです。そして倒壊しただけではなく火災が発生し、次々と叫ぶ声は消えていき、運よく火の手から逃れた場所にいたAさんは、灼熱の中で死を覚悟しました。

Bさんは即死といわれていますが、柱につぶされながらもまだ生きていて、励ましの声などではなく「A頼むから俺と変わってくれ!」。他に生き残った人たちも「面倒見てやったじゃないか」「友達だろ」「俺は先輩だぞ」と馬頭のような言葉が飛び交っていたのです。
運よく救出されて生き残ったAさんは、今でも目をつぶったり暗がりに行ったりすると四方から声が聞こえてくるようになり、精神を病んでしまい自殺してしまったらしい。

それから・・・

後日談で倒壊してしまったホストクラブの跡地に新しいビルが建って、テナントが入ってたのですが、ビル全体で悲鳴や「助けてくれ!」という、ささやくような声が聞こえるらしいです。

他にもいくつか聞いていますが、今回はここまで。
またいつか投稿するかもしれませんので、その時までさようなら。

※画像はイメージです。

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