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日本でも銃器がつくられている?国産企業4社を考察!

銃火器の所持が厳格に制限されている日本では、その甲斐もあってそれらが用いられる犯罪件数も少なく、一般人が実際の銃火器に接する機会も限られ、従ってモデルガン等のトイガンを目にする程度だろう。若い世代には当たり前すぎて今ひとつピンとこないのかも知れないが日本の銃刀法の規制は厳しく、モデルガンであっても金属性の拳銃は銃口を全て塞ぎ、塗装も金メッキを施す事が義務付けられている。

そんな日本であっても警察等の法執行機関や、自衛隊等の治安維持目的にはやはり銃火器は最低限必要であり、これらの機関の装備品としての銃火器を生産している企業も少ないながら存在している。アメリカのように一般人が銃火器を所持している国と異なり、それが無い分工業製品としての拡販が期待できる分野ではなく競争も少ないが、そんな日本の銃火器製造企業を紹介して見たい。

目次

名門の旧財閥系企業だが、それよりも昨今は不祥事が汚点となった住友重機械工業

住友重機械工業はその名称が示す通り住友の旧財閥系企業であり、その歴史は1888年の愛媛県の別子銅山の採鉱機器の製造に始まり、1969年に現社名となり資本金は308億7,200万円、東証一部にも上場している。1934年に住友機械製作㈱となった同社は、現社名となった1969年に造船業の浦賀重工業㈱を合併し現ジャパン マリンユナイテッドをIHI社との共同出資にて設立、海上自衛隊の多数の護衛艦等を建造した。

住友重機械工業はこうした海上自衛隊の護衛艦の大型装備品だけでなく、ベルギーのFN社製のミニミ軽機関銃やアメリカのブローニングM2重機関銃のライセンス生産や車載用の74式7.62mm機関銃も生産している。しかしあろうことか2013年12月にはこれら3つの各機関銃、合計で5,000丁にも上る銃火器の全てで40年以上に渡ってテストデータの数値を改竄して納入していたことが発覚、同生産からは徹底が決定した。

元よりこれらの機関銃の耐久性は、オリジナルの製品と比べて著しく低いとの自衛隊の現場レベルでの噂的な話は漏れ聞こえてきていたが、期せずしてその噂が実証されてしまったと言うべき不祥事だった。

拳銃や短機関銃の生産を手掛けているのがミネベアミツミ

ミネベアミツミは1951年に日本ミネチュアベアリング㈱として設立され、2017年にミツミ電機を経営統合して現社名となり、資本金は682億58百万円、こちらも東証一部に上場している大企業である。

ミネベアミツミはベアリングやモーターを中核とする部品製造を手掛ける企業であり、殊に小径のボール・ベアリング分野では世界で第一位のシェアを誇るが、一時期は企業買収による多角化に注力していた。こうした多角化の一部としてミネベアミツミは1975年、戦前より軍・警察向けの銃火器を製造していた中央工業の流れを汲む新中央工業を吸収合併し、それを引き継ぐ形で拳銃や短機関銃の生産を手掛けて現在に至る。

従って最も一般の知名度が高いと思われるのは警察向けの回転式拳銃ニューナンブM60で、その後継モデルであるM360J SAKURAや、陸上自衛隊用にSIG SAUER P220をライセンス生産した9mm拳銃も製造している。変わり種は1999年に陸上自衛隊が採用した9mm機関けん銃であり、これは9×19mmパラベラム弾を使用する短機関銃だが士官向けの自衛用とは言え、この時代の軍にオープンボルト方式の同銃が何故配備されのかは疑問だ。

戦後一貫して陸上自衛隊の主力小銃を製造している豊和工業

2021年もドイツのVW社を抑えて販売台数世界一を達成したのが日本が誇るトヨタ自動車だが、同グループの創始者である豊田佐吉が生み出した動力織機の製造を目的に設立された豊田式織機㈱が豊和工業の前身である。

1907年に設立された豊田式織機㈱は、1945年に現社名の豊和工業となり、陸上自衛隊の正式小銃として64式7.6mm小銃、89式5.56mm小銃、そして最新の20式5.56mm小銃まで一貫して採用を勝ち取っている企業だ。最新の20式5.56mm小銃は2015年から防衛省が実施した新型自動小銃のトライアルに於いて、ドイツのH&K社製のHK416、ベルギーのFN社製のSCARとその座を争い、最終的に2019年12月に選定を得るに至った。

このトライアルでは先ず近代的アサルト・ライフルとしての命中精度や有効射程等が評価され、次いで補給・兵站面とコストが評価され、後者の差で20式5.56mm小銃に決定されたと言うのだが少し違和感もある。

言い方がともかく、既に複数の国や組織で採用実績のあるH&K HK416やFN SCARと互して、20式5.56mm小銃が劣らなかったのか、数量が少ないとは言え1丁の単価が280,000円と言うのが妥当なのか否かは問われる。自国の防衛産業の行方を鑑みれば、少なからず国内の銃火器製造会社の存続と育成を望むことにやぶさかではないが、世界の名だたるアサルト・ライフルと比較し本当に優位性があるのかには疑問符が拭えない。

警察や自衛隊向けの銃火器ではなく、狩猟用途の上下2連の散弾銃が主力のミロク

ミロクは太平洋戦争敗戦の翌年である1946年1月に高知県南国市にミロク工作所として設立されたが、創業者は弥勒武吉で同家は土佐藩御用達の鉄砲鍛冶を生業とする一家であり、その歴史は古い。

弥勒武吉自身は太平洋戦争前・中には旧日本軍用の銃火器製造に携わっており技術・ノウハウを有していたが、戦後はそれが禁止されていた為に、当時も高知でも盛んだった捕鯨用の捕鯨砲の製造を手掛けた。やがて1951年に日本がアメリカ等の連合国とサンフランシスコ講和条約を締結した事で狩猟用の散弾銃の製造に着手、翌1952年に元折れ式の水平二連散弾銃、1961年に元折れ式の上下二連散弾銃を製造、1963年からは輸出も行う。

時代の変化を見越して1960年には捕鯨砲から散弾銃の製造を中心とする体制に変更、アメリカのブローニング・アームズ社の散弾銃、ウィンチェスター・リピーティングアームズ社の小銃のライセンス生産も手掛けている。少し古いデータだが、Wikipediaによればミロクはこれらの銃火器を2004年時点で12万丁程製造しているが、99パーセントとその大半が輸出に充てられており、2009年以後は日本で唯一の量産散弾銃製造企業となった。

今日に至るまでミロクは、警察や自衛隊向けの銃火器の製造は一切行っておらず、日本の銃火器製造会社としてはこうした官製需要と無縁の独立独歩の姿勢を堅持している。

日本の銃火器製造会社に思う今後

今回日本の銃火器製造会社である住友重機械工業、ミネベアミツミ、豊和工業、ミロクの4社を取り上げて見たが、やはり最後のミロクを除いては銃火器のニーズが限定的なだけに官製需要に支えられている。しかしそうした構造は、俄かには信じがたい不祥事の発覚で今後は撤退を決めた住友重機械工業のように、持ちつもたれつの国と企業との関係の中で非常に危うい要素を内包しているように感じてしまう。

元々戦後は少なくなった国内の銃火器製造会社を支える意味で、機関銃と拳銃・短機関銃、自動小銃のように分野を重複させず発注・製造を分担させていた事が裏目に出ているようでどうにも後味が悪い。

※画像はイメージです。

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