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乗員乗客が失神!ヘリオス航空522便~アテネ墜落回避の舞台裏

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「飛行機はいちばん安全な乗り物」といわれて久しい。航空事故調査の権威であるNTSB(米国家運輸安全委員会)によると、旅客機に搭乗して死亡事故に遭う確率は0.0009%。なるほど、たしかに自動車事故で死亡する確率より格段に低い。しかし、空の旅には「魔の11分」と呼ばれる時間帯が存在する。離陸・上昇の3分間と、進入・着陸の8分間に事故が集中しているのだ。あなたは0.0009%という確率を低いと思うだろうか、高いと思うだろうか。

2005年8月14日10時40分、ヘリオス航空522便は経由予定地のアテネ上空で謎の旋回をはじめた。着陸態勢に入る気配はまったくない。コックピットクルーは管制官の呼びかけに応答しない。

それは水先案内人を失い、空中をただよう幽霊旅客機だった。
墜落にいたる極限の状況下で、すべてのしわ寄せが一人の若者に降りかかる。気を失うことを許されず、高度10000mにとり残された不運な男。頼れる人もなく、無線も通じず、目の前にあるのは握ったこともないボーイング737の操縦桿。

死へのカウントダウンのなかで彼がみせた最後の抵抗とは?

目次

空飛ぶ幽霊飛行機

キプロス共和国の新興航空会社ヘリオス航空の522便は、同日9時7分、アテネ経由プラハ行きのフライトプランでキプロスのラルナカ国際空港を飛び立った。人生があと3時間しか残されていないことを乗員乗客は知るよしもない。

離陸5分後、高度3670mに達したとき、コックピットに高度警報ブザーが響く。さらに8分後の応答を最後に管制センターとの交信が途絶した。
その後、機体は高度10400mまで上昇。高度を維持したまま、キプロスの管制領域を離れてギリシャの管制領域に入る。ところが、アテネ国際空港の待機経路に進入しても管制官の呼びかけに応じない。到着予定時刻を過ぎても着陸に移る気配すらない。
のちに判明したことだが、すでにこのとき、機長、副操縦士、CA、乗客は酸素欠乏による人事不省に陥っており、機体はオートパイロットで航行していたのだ。

無言のまま首都上空で不審な動きをする他国のボーイング737。眼下には人口300万人の市街地が広がる。万が一、墜落すれば副次的惨害はまぬがれない。ギリシャ全土に緊張が走る。
それにしても、なぜ522便は応答しないのだろう。いや、したくてもできないとしたら。9.11の悪夢がよみがえる。
10時53分、緊急事態を発令。首相は勇断を下した。
「最悪の場合は撃墜もやむなし」
出撃命令を受けて、ギリシャ空軍の戦闘機が飛び立った。

コックピットで動く謎の人影

11時32分、F-16のパイロットが目視したものは、客室に垂れ下がった酸素マスク、死んだように動かない乗客、コックピットで昏倒した副操縦士、誰もいない機長席だった。
戦闘機の接近に誰一人反応しない。警告を発しても応答がない。みんなが生きているのか、死んでいるのか、それすらもわからない。
刻々とアテネ中心部に接近する幽霊飛行機。このままでは燃料切れで墜落する。F-16のパイロットは撃墜のスタンバイに入った。市街地に墜落の恐れがある場合は任務を遂行せよとの厳命を受けていた。

そのときである。
522便のコックピットに人影があらわれ、機長席に座って、航行を立て直そうとしているのが見えた。
「なんだ、あれは。ゴーストか? いや、ちがう。人だ。若い男だ。なぜ意識を保っていられる? やつはテロリストか?」

すると、コックピットの男が軍用機に気づいて、身振り手振りでメッセージを送ってきた。
「ちがう、ちがう! ぼくはテロリストじゃない! 撃つな!」
無言の叫びはパイロットに正確に届いた。
「自爆テロじゃない。これは事故だ。早く誘導しないと燃料が尽きてしまう……!」 

その直後、522便の左のエンジンが燃料切れにより停止、機体は急降下をはじめる。つづいて右エンジンも機能を失い、大きく左に旋回しながらアテネの北40kmの山腹に激突、炎上した。
都市圏での大惨事はかろうじて回避できたものの、乗員6名乗客115名は全員死亡。ギリシャ史上最悪の航空事故となった。

人為的なミスの連鎖

事故調査委員会による原因の究明は、当初こそ困難をきわめた。が、やがてボイスレコーダーが回収されて衝撃の事実が明らかになる。
最終調査報告によると、事故の原因は与圧トラブルによる機長の意識喪失。墜落にいたった直接の原因は燃料切れによるエンジン停止。ハイジャックでも自爆テロでもなく、地上・機上での小さなヒューマンエラーが重なって招いた悲劇だった。

フライト前、整備士は点検のため与圧システムの自動モードを解除した。与圧システムとは、飛行中の気圧低下を防ぐために空気を調節する装置で、これが正しく作動しないと機内に減圧が生じて酸欠状態に陥ってしまう。整備士は点検終了後、設定スイッチを自動モードに戻し忘れ、手動モードにしたまま降機してしまった。
さらに、コックピットクルーが離陸前点検でこのミスを見落とした。自動モードになっていると思いこんでいたのだろう。同機は与圧設定がマニュアルになったまま離陸してしまったのだ。
この場合、クルーは航行中に手動操作で与圧をコントロールしなければならない。それさえできれば防げた事故だった。

与圧制御が正しく行われないと、機体の上昇にともなって気圧が徐々に低下する。
3670mに達したときに高度警報音が鳴り、クルーに上昇停止を促した。ところが、その警告音は離陸準備の不備を知らせる離陸設定警告と同じ音だったため、彼らは警報の誤作動と判断してしまった。
その後も冷却警告灯やマスター警告灯の点灯など異常を知らせる警告が続発。にもかかわらず、与圧システムが手動になっていることにも、減圧が生じていることにも気づく者はいなかった。

高度5500mに達したとき、客室の酸素マスクが落下する。機長は意識を喪失する前、くだんの整備士とも交信をしている。整備士は「与圧制御は自動になっていますか?」と確認しているが、すでに機長も意識が希薄になっていたのか、それについての返答はなかった。これが地上と交わした最後の交信になった。

まもなく酸素マスクを通した酸素供給がつき、乗客とCAが昏睡する。機長と副操縦士も低酸素症に陥り、操縦が困難になった末に気を失った。多くの場合、低酸素症は「自分は酸素欠乏に陥っている」という自覚症状のないまま、眠るように意識を失う。そのため客室でパニックは起きていなかったことがわかっている。
その後、同機はFMS(Flight Management Computer)に入力したルート通りにオートパイロットで航行を継続、管制官の呼びかけに無反応のままアテネに到達し、上空を旋回したのち、燃料切れで墜落した。

山岳に激突する瞬間まで、全員が生存していたことが検死で明らかになっている。せめてもの救いは、人事不省に陥っていたことだ。さもなければ、想像を絶する恐怖にさらされていたことだろう。彼らは自分が死ぬことすら認識できなかったのだ。
現実と対峙せざるをえなかった、ただ一人を除いては。

ゴーストの正体

戦闘機パイロットがコックピットに確認した人影は誰か。
それはアンドレアス・プロドロモウという25歳のキプロス人CAだった。本来なら非番のその日、彼が搭乗していたのは、同じくCAで恋人のカリスと一緒に働くためだ。
かろうじて意識を保つことができたのは、母国で特殊部隊員やダイバーをつとめた経験から、酸素の薄い状態に耐性があったためとみられている。
旅客機のパイロットを志望していたプロドロモウは、英国の民間事業用操縦士のライセンスをもっていた。カリスの夢は、いつか未来の夫が操縦する飛行機にCAとして搭乗することだった。

客室に酸素マスクが降りているのに安全高度までの緊急降下が行われない。この時点で、おそらく彼は異変を察知した。昏々と眠りつづける恋人をその場に残して、プロドロモウは行動を起こす。予備の酸素ボトルで酸素を補給しながら、コクピットへ向かったのだ。
事故後の調査で、たくさんの酸素マスクや酸素ボトルからプロドロモウのDNAが検出されている。

決死の抵抗

コックピットまでたどり着いたプロドロモウに、早くも試練が襲いかかる。
9.11同時多発テロ以降、民間旅客機のコックピットの扉には、乗客の進入を防止するため銃弾でも破壊できないほど強固な施錠装置が設置されるようになった。解錠の暗証コードを知らなかった彼は、昏睡するCAのポケットなどありとあらゆる場所を探しつづける。ボイスレコーダーには、施錠装置にコードを入力する音が延々と録音されていたという。
それでも彼は暗証コードによって扉を開けることに成功したのだろう。扉を破壊した形跡がなかったのだ。

酸素を補給しつつコックピットに入ると、機長と副操縦士が昏倒している。すぐさま酸素マスクをあてがうが、意識はいっこうに回復しない。
プロドロモウは機長席に座り、地上との交信を試みる。しかし無線の周波数は出発地のラルナカに設定されていたため、アテネの管制センターには届かなかった。

11時50分を少し過ぎたとき、窓の外の戦闘機に気づく。
「ちょっと待てよ。テロじゃないって! ぼくたちはまだ生きてる、撃墜されてたまるか!」
と同時に、すべてが氷解した。
「そうか。首都を守るためにぼくたちを……」

墜落10分前の11時54分、緊急を告げるメイデイの叫びをボイスレコーダーが記録している。のちにレコーダーの声を聴いた同僚によって、522便を救おうとしていた人物はアンドレアス・プロドロモウであることが確認された。

上空10000mにとり残され、恐怖と絶望を一身に背負って孤独な闘いをつづけるプロドロモウ。
しかし、すべては手遅れだった。もはや機体は燃料切れ。酸素も底をついた。意識が薄れていくなかで、彼は渾身の力をこめて操縦桿を左に切る。最後にとった選択は、進行方向を市街地からそらすことだった。

プロドロモウの夢

2005年の航空事故による死者数1015人のうち、121人は同事故の犠牲者だった。
旅客機の操縦席に座るというプロドロモウの夢は、皮肉にもこのような形で叶えられた。その勇気によってアテネ市民が救われたのはたしかだが、救われたであろう人間がもう一人いることも忘れてはならないだろう。民間旅客機の撃墜を遂行せずにすんだパイロットだ。

酸素の薄い空の上は、海と同じく、人間にとってはアウェーである。飛行機も船舶も人が生きることができない場所を運航する。
不測の事態に際して、わたしたちはとかくオートパイロットを盲信しがちだが、航空機は人の命令なしには着陸できないのだ。
航空事故を引き起こす最大要因が人であると同時に、最後の最後に頼れるのも人間だということを思い知らされる。

featured image:FAA, Public domain, via Wikimedia Commons

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