皆さんは北欧の海を荒らし回ったヴァイキングにどんなイメージをお持ちですか?『ヴィンランド・サガ』の読者やゲーム『Viking Frontiers』『アサシン クリード ヴァルハラ』のプレイヤーの中には、彼等の雄々しい生き様と野蛮な魂に、憧れる方も少なくないかもしれません。
今回はそんなヴァイキングたちが好んだ世にも残酷な処刑法、「血の鷲」の詳細を掘り下げていこうと思います。
栄光と流血にまみれたヴァイキングの成り立ち
まず初めにヴァキングの歴史を振り返ります。ヴァイキングの由来は古ノルド語の「víkingr」(フィヨルドから来たもの)と古ノルド語の「vík」(入り江)を組み合わせたもので、もともとは「ヴィークの人々」を意味しました。故郷はスカンジナビア半島からバルト海沿岸地域と見られ、ノルマン人とも呼ばれます。デンマーク出身のヴァイキングをデーン人、ノルウェー出身のヴァイキングをノース人と呼び分けることも覚えておいてください。
かねてよりヴァイキングは北欧の海を制する一族でした。彼等は航海技術と貿易に長け、戦いと略奪を好みます。故に中世初期頃から近隣諸国の侵略を始め、遂には海賊の代名詞として定着していきました。
ヴァイキングの戦士は兜とチェーンメイルを身に付け、巨大な戦斧と丸盾で武装します。船にも特徴があり、ロングシップと呼ばれる喫水の浅く、細長い木造船を巧みに操りました。外洋の帆走と河川への侵入を共にこなす機動力がその最大の強み。
歴史における本格的なヴァイキングの時代到来は793年の北イングランド、リンデスファーン修道院襲撃からとされており、以降は西ヨーロッパ全域へ勢力圏を広げていきました。
ヴァイキングの英雄と武勇伝
長い歴史の中でヴァイキングは数多くの英雄を輩出しました。中でも有名なのが美髪王ハーラル1世。無数の小国が群雄割拠する9世紀末のノルウェーを初統一した人物で、ユニークな称号の由来は「たかだか一国の王じゃ物足りないんで、ノルウェー全土を統一してからプロポーズにきてください」と愛しの姫君に無茶振りされた際、「約束を果たすまで髪は切らぬ。成し遂げられねば死あるのみ」と誓いを立てた故事にちなみます。男前すぎる。
続いては『ヴィンランド・サガ』にも出てきたクヌート王。デンマーク・イングランド・ノルウェーの三国を束ねた北海の支配者で、政治手腕に優れた名君と言われています。
ラグナル・ロズブロークは古代スカンジナビアの伝説的指導者にして、後述のエッラが血の鷲で処刑されるきっかけを作りました。
彼の息子たちも一度名前を聞いたら忘れられない個性派揃いです。
我々の身近なところではBluetoothもヴァイキング由来。これは交渉によってノルウェーとデンマークの無血統合を成し遂げ、双方の文化を橋渡ししたデンマーク王ハーラル・ブロタン・ゴームソンの歯の一本が、先天的疾患で青黒く腐っていたことに起因します。
「無線通信規格の戦国時代を制したい」と願った、名付け親の想いが偲ばれますね。同名の先祖と区別する為、こちらは青歯王と呼ばれています。
他にもアイスランドからグリーンランドに渡った赤毛のエイリークや、キリスト教の布教に貢献したオーラブ1世らも、ヴァイキングにルーツが求められます。
世にも恐ろしい拷問処刑、「血の鷲」の実態
前置きが長くなりました。そろそろ本題に入ります。「血の鷲」(blood eagle)とはヴァイキングのサーガに唄われる、儀式的な処刑法をさします。その起源はとても古く、スウェーデンのゴットランド島にある石碑にも図解が刻まれていました。
まずは犠牲者を後ろ向きに寝かせ、鋭利な刃物で肋骨を脊椎から切り離し、生きたまま肺を引きずり出します。
そうして肋骨を拉ぎながら左右対称に展開していくと、まるで翼を広げた鷲のように見えることから、血の鷲と名付けられました。
血の鷲が嘗て本当に行われていたのか、作り話に過ぎないのかはわかりません。筆者としては生かしたまま人間の肋骨を開き、肺を引きずりだすことが可能なのか疑問です。
これにはシカゴ大学の研究チームが答えを出しており、ヴァイキングが研磨した鋭い石のナイフを使えば、人間を背開きにすること自体は十分可能だそうです。難点はすぐ死んでしまうことで、捌き方には細心の注意が払われました。拷問の達人が延命上手であると言われる所以です。
血の鷲の刑に処された王様たち
北欧の詩やサーガを読み解いてみると、血の鷲の犠牲者はどちらも王様でした。一人目は長脛のハールフダン、二人目はハーラル1世の息子にあたるノーサンブリア王エッラ。
伝説『ラグナルの息子たち』曰く、エッラはラグナル・ラブスロークを捕らえたのち、蛇牢に放り込んで殺害しました。
最愛の父を嬲り殺しにされた息子たち、骨無しのイーヴァル、剛勇のビョルン、蛇の目のシーヴァルドらはただちにイングランドに攻め入り、激戦の末エッラを捕まえ、血なまぐさい復讐を敢行します。
彼等はエッラの背中に鷲の紋様を刻んだあと、背骨から全ての肋骨を切り落とし、無数の毛細血管や神経が絡み付いた肺を引きずり出しました。この処刑法には凄まじい苦痛が伴うため、首尾よく両肺を引きずり出せたとしても、前段で心臓が止まってしまいかねません。
そこはさすがのエッラと言うべきでしょうか、施術中も決して声を漏らさず、事切れるその瞬間まで沈黙を貫きました。長年の仇敵の堂々たる最期に、ラグナルの息子たちも称賛を惜しみませんでした。
片や『オークニーの人々のサーガ』では、オーディンに捧げる生贄の儀式として血の鷲が引用されます。
両者に共通しているのは捕虜の背中に鷲を彫る行為で、切り刻まれた皮膚から流れ出す真っ赤な血が、「血の鷲」の語源になったことは想像に難くありません。
ハールフダンとエッラが王族の血筋だったことを踏まえると、日本の切腹と同じで、貴人への刑罰だった可能性も考えられます。
ヴァイキングの荒ぶる魂の源
793年にヴァイキングの襲撃を受けた修道院の僧侶は、「ヴァイキングほど恐ろしいものはこの世に存在しない」と書き留めました。
彼等の強さの源にあるのは、死後に戦士が行く場所とされる、ヴァルハラへの信仰と憧憬です。
ヴァルハラとは北欧神話における主神オーディンの宮殿で、古ノルド語だとヴァルホル……「戦死者の館」と訳されます。
ここに辿り着けるのは戦乙女(ワルキューレ)が選別した、本物の戦士の魂(エインヘリヤル)だけ。
宮殿の中には540の扉と槍の壁、楯の屋根と鎧の長椅子が存在し、オーディンの眷属の狼と鷲が常に徘徊しています。
ここに招かれた戦士たちは永遠の饗宴と戦いを繰り広げ、来たるべきラグナロクに備えているのでした。
美しい戦乙女に導かれヴァルハラに召されるなら、肉体の死など恐るるに足りません。
同じ村の者同士で班分けし、オール漕ぎや集団戦闘に当たらせる戦法も、結束を固める上で役立ちました。兄弟同然の絆で結ばれた彼等はお互い身を挺して庇い合い、百人力の働きをしたと語り継がれています。
まだまだあるヴァイキングの伝説
以上、血の鷲の詳細を解説しました。体験者が歴史上二人しかいないにも関わらず、インパクトが絶大ですね。
敵の大将を蛇牢に放り込むなんて、エッラはエッラでなかなかエグいことをしています。
やっぱりヴァイキングは残酷な処刑法を好むのでしょうか?
featured image:Otto Sinding, Public domain, via Wikimedia Commons


思った事を何でも!ネガティブOK!