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ハプスブルク家 カルロス2世の解剖所見が物語る近親婚の因果

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君主というのは、得てして不幸な人間なのかもしれない。
なかでも先祖代々の負の遺産を一手に背負ったのがハプスブルク家に生まれた君主たちだった。

「戦争は他家にまかせよ、汝は結婚せよ」──この家訓のもと、彼らは婚姻政策によって着々と所領を広げ、世界支配を推し進めていく。スペイン ハプスブルク家は、正式な初代となるカルロス1世の治世で、早くも中南米の植民地を含む「太陽の沈まぬ帝国」を築く。

しかし、この栄華の陰に「ハプスブルクの呪い」と呼ばれる禁断の歴史があったことも忘れてはならないだろう。
彼らは最後まで近親交配を止めることができず、5代で断絶した悲劇の王家でもあった。「太陽の沈まぬ国」の名門一族に、いったい何が起きていたのか。

目次

高貴なる青い血と、その闇

中世から20世紀初頭までヨーロッパに君臨したハプスブルク家。神聖ローマ帝国の皇帝をはじめ、多くの国々の国王・大公・皇帝を輩出した、言わずと知れたヨーロッパ随一の名門である。
領土の拡大に伴って、途中からオーストリア ハプスブルク家とスペイン ハプスブルク家に枝分かれして分割統治したのも周知のとおり。しかし、血族の相関による咎(とが)が顕著に現れたのはスペイン家のほうだった。

スペイン ハプスブルク家のルーツは、ハプスブルク家の公子とスペイン王国の王女の縁組にさかのぼる。やがて、その息子がスペインの王位についたことで、彼らは合法的にスペインを乗っ取ることに成功する。この息子こそ、「余の帝国では太陽の没することがない」と豪語したスペイン国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)。

優秀な君主であったことは疑いようがないが、王家に栄華をもたらしたカルロス1世の肖像画は、一族の悲劇的な末路を暗示している。

ハプスブルクのあご~一族が苦しんだ「下顎前突症」~

異様に下あごが突き出したカルロス1世の肖像画。王侯貴族の肖像画は、後世に残ることも考慮して、たいていは美化される。しゃくれたあごも控えめに描かれていると考えていいだろう。
けれど、それを差し引いても明らかに受け口だ。長くしゃくれたあごと下唇は下顎前突症といい、一族に多くみられた特徴で、「ハプスブルクのあご」と呼ばれた。

カルロス1世は上あごの筋力の発達が未熟で、下あごが突き出ていたため、口を閉じることができなかった。また不正咬合により、食事は丸飲み状態だったと伝えられている。

この「ハプスブルクのあご」はオーストリア ハプスブルク家にも当然みられ、かのマリー・アントワネットにもしっかりと受け継がれていたようだ。彼女を出産した際のマリア・テレジアの言葉が残っている。
「長いあごと突き出た下唇はハプスブルクの贈り物。いつも微笑んでいる子に育てれば目立たずにすむでしょう」
マリーがフランスへ嫁いだとき、その透き通るような白い肌と鷲鼻は貴族的と歓迎され、「ハプスブルクのあご」もかわいいと好意的に受けとられたという。

一族が苦しんだ下顎前突症は、何世代にもわたる近親交配の弊害ということが近年の研究で明らかになっている。
それでもカルロス1世はまだ軽度なほうで、問題なのはこのあとだった。おじと姪、いとこ同士という血族結婚を繰り返した結果、スペイン ハプスブルク朝は乳幼児の死亡率が際立って高くなり、運よく成人に達しても身体に障害をもつ人物が続出するようになってしまう。

度重なる近親婚、止まらぬ独占欲

昔から遺伝研究の対象にされてきたスペイン ハプスブルク家ではあるが、近親間での政略結婚は、なにも彼らだけのお家芸だったわけではない。
当時の王族のあいだでは、血族同士の婚姻は、高貴な血の純潔性を守るため、また所領の流失を防ぐための当たり前の方策だった。
ハプスブルク家は極端なまでの婚姻外交によって領地を獲得してきただけに、縁組による他家の侵入にはとりわけ神経をとがらせていたのだろう。当然ながら、今度は他の王族に同じことをされるのではないかと疑心暗鬼になる。加えて、同家はカトリックで、プロテスタントの王族との結婚ができないという縛りもあった。おのずと結婚相手は絞られてくる。
結果として、他家との縁組を禁じる不文律ができあがり、所領や財産への執着もあいまって、歪んだ近親婚を重ねることになっていく。

スペイン ハプスブルク家の近親交配の程度を示す近交係数を研究チームがコンピューターで割り出したところ、スペイン王女と結婚したフェリペ1世のときに0.025だった係数が、代が下るごとに上昇し、5代のカルロス2世では0.254という驚くべき数値に達していたことがわかった。
赤の他人同士のあいだに生まれた子なら、もちろん0。親子きょうだいのあいだに生まれた子は0.25であることをふまえると、異常な数値といえるだろう。

遺伝性疾患、障害、奇形をもった子が次々と誕生する王家をみて、人々は「ハプスブルクは呪われている」と噂した。無理はたたり、そのツケは子孫にめぐることになる。

最後の国王・カルロス2世が背負った因果

代を重ねるごとに濃縮されていく血筋。禁断の血のしわ寄せを一身に負ったカルロス2世は、断絶の危機にあった王家に誕生した「希望の子」だった。ところがスペイン中が歓喜にわいたのも束の間、希望は絶望へと変わってしまう。
「希望の子」は多くの先天性疾患と重度の奇形をもち、そのうえ知的障害。精神的な異常もみられ、歩行すらままならず、常によだれを垂れ流す状態で、まるで服を着た動物のようだったと伝えられる。
容姿は周りの者がおびえるほどに醜く、それは悪魔のしわざと考えられて、「呪われた子」と呼ばれるようになった。

衝撃的なのは、当時のスペイン ハプスブルク家に関する記録である。
カルロス2世は幼少時に国王に即位しているが、すでに宮廷は帝王教育はもとより、読み書きの学習さえサジを投げていたらしい。一切の教育をあきらめ、ただ世継ぎを残すことだけに望みを託し、なんとか生き長らえさせるために苦心したというのだ。
王なれど統治せず。務めは成人するまで生きて世継ぎを残すこと。まさに「お飾りの王」以外の何ものでもない。

カルロス2世の解剖所見

カルロス2世はそもそも世継ぎを望める健康状態ではなく、性的にも不能だったため、二度の結婚生活を通じて子をなすことはできなかった。
スペインを200年近くにわたり統治したスペイン ハプスブルク朝は、1700年、彼の崩御によって断絶。スペイン王位はブルボン家へ移り、現在の国王フェリペ6世に至る。

カルロス2世を検視・解剖した医師の言葉が残っている。
「陛下の脳は一滴の血液も含んでおらず、心臓は胡椒の実の大きさで、肺は腐食し、腸は壊疽(えそ)していた。頭蓋内には水がたまり、石炭のように真っ黒な睾丸がひとつあった」

この解剖所見が本物だとすれば、この状態の人間が生きていられるのかという疑問すら浮かんでくる。けれど、カルロス2世に現出した顕著な劣性遺伝を記した文献は多く、これが「生まれたときから死に頻していた」といわれる理由なのだろう。

自分たちの高貴な血や欲望のために、人知を超えた領域へ足を踏み入れたスペイン ハプスブルク家。その結果、自ら終焉を招いてしまったのは皮肉な話だ。
カルロス2世は、生まれながらに王家断絶を運命づけられた国王だった。それはまるで、一族の咎を引き受け、悪習の連鎖を断ち切る役回りを与えられたようにも思える。

featured image:Claudio Coello, Public domain, via Wikimedia Commons

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