ギロチン処刑後に意識はあるか?実験を試みた学者たち

斬首、すなわち首チョンパは人類最古の極刑といわれる。
とりわけフランスでギロチンが採用されてからこのかた、ひとつの大きな課題が学者たちの探求心に火をつけてきた。それは、人は首をはねられたら即死するのか、それとも意識が残っているのかということだ。
歴史をひもとけば、切断後の首が瞬きをした、怒った顔をしたという類の目撃証言は枚挙にいとまがない。今回は、この難題に挑んだ学者たちの見上げた根性に敬意をこめて、斬首後の意識の有無の妥当性を考えてみた。

なお、本記事はできるだけ無味乾燥な表現を用いて記述していますが、内容の特性上、グロテスクな描写も含まれています。
「てやんでい、グロテスク上等だぜ!」「アタシ、ギロチンで白飯いけるわ!」という方のみ、突っ走ってください。「退くも勇気だ」とアシタカが言っています。

目次

「ギロチンは人道的な死刑です」by 昔のフランス人

胴体から切り落とされた人の頭に意識はあるのか。あるとすれば、どれほどのあいだ意識を保てるのか。
この回答として、おそらくいちばん良心的で説得力があるのは次のような意見だろう。生々しさをやわらげるために、『キテレツ大百科』のコロ助風にしてみました。
「人間の頭は切断されると一気に血圧が下がるナリ。そうなると、人は気絶するナリよ。ひどい貧血と同じナリ。血圧が戻れば意識も戻るナリが、心臓と切り離された頭の血圧は戻らないナリ。はじめてのチュウ。だから、斬首されたら瞬時に意識が飛んで即死ナリ」

フランスにおいてギロチンが採用された理由というのが、まさにこれだった。人間の首はかなり頑丈にできているため、斬りつけて失血死させることはできても、きれいに一刀両断するのは至難の業。斬首刑に刀や斧を用いていた時代は失敗も多く、受刑者の苦痛をいたずらに長引かせる凄惨な光景が繰り広げられていたのだ。ギロチンは残酷な処刑器具ではなく、痛みを感じる暇もないほど一瞬で死に至る処刑法と認識されていたのである。
即死するから人道的。もっともらしい理由ではある。しかし、その即死したはずの首たちが、まるで意識を有しているかのように反応するのを多くの人間が報告したのも事実なのだ。

切断されても見える、聞こえる。斬首後の反応実験あれこれ

猫も杓子も首チョンパのフランス革命期。
「近代化学の父」と呼ばれたアントワーヌ・ラヴォアジエもまた、恐怖政治の犠牲になって断頭台の露と消えた。
彼の処刑に先立って、まず使用人がギロチンにかけられた。刑の執行後、ラヴォアジエはすぐさま使用人の首を両手で抱き上げて問いかけた。
「おい、聞こえるか? 瞬きで答えよ」
二人の姿を想像するとなかなかのものがあるが、その首はラヴォアジエの声を認識したのか、目をしばたたかせた。

今度はラヴォアジエがギロチン台に立った。執行直前、近代化学の父は弟子にこう告げる。
「おい、弟子。もし私に意識があったら、できるだけ瞬きを続けるからな。よーく見とけよ、弟子!」
……ちょっと待てよ。体を張りすぎだろ。学者のメンタルってどうなってんだよ。だってあんた、どうせ死んじゃうんだぜ?
首だけになったラヴォアジエは、言葉どおり、15秒から20秒にわたって渾身の瞬きを続けたといわれる。
じつはこの話、残念なことに創作説もある。
「作り話です」「いや事実です」という正反対の主張には、死刑存廃問題もからんでいるとみるのが自然だろう。

ボーリュー博士の意識確認実験は論文が残っていることもあり、いちばん信がおけるかもしれない。彼の被験者はアンリ・ランギーユという死刑囚だった。博士は次のように記している。これも生々しいので、コロッケが大好きなコロ助が通訳。
「耳元で『ランギーユ!』と呼びかけると、首は目を開けたナリ。瞳はまっすぐ我輩を見据えて、焦点も定まっていたナリよ。数秒で首は目を閉じたナリ。もう一度呼びかけると、まぶたはまた開いたナリ。キャベツはどうした。それからまた目を閉じて、三度目の呼びかけには反応せず、瞳はどんよりした死者の目になっていたナリね。ここまで30秒ナリよ」

さらにドイツの医師ヴェントの場合。彼は斬首された囚人トレールの目に勢いよく指を突き出してみた。トレールはとっさに目をぎゅっとつぶって防御した。つづいて首を持ち上げて太陽に向けてみると、まぶしそうに眼を閉じた。どうでもいいけどヴェントさんさあ、生首いじめて何がしたいのよ。つい本性がでちゃった感じ?

暗殺の天使ことシャルロット・コルデーの首は、執行人の助手に平手打ちをされて怒りをあらわにした。
イングランド国王ヘンリー8世の二人目の妻アン・ブーリンは、首をはねられた直後、明らかに何かを言おうとした。

このように、体と切り離されたあとの首に意識が残ることを思わせる研究事例や目撃談は多い。しかし、これらに科学的根拠はあるのだろうか。問題はそこなのだ。

死人に口なし

これほど多くの研究事例があるのなら、長さに個人差こそあれど、生首に意識はあると仮説をたてるのは可能だろう。
しかしながら、これらはなんら不思議な現象ではないととらえることもできる。切断された首の一部分が動くのは、死後の筋肉の痙攣や反射神経による律動で説明できるからだ。死後反応は意識の有無に関係なく起こりうる。

ある人は、首を切断をされた人間は即死するはずで、意識などあるわけがないと主張する。
またある人は、斬首後の首に意識があるという事例は死刑廃止論者の捏造にすぎないと主張する。もし意識を有しているのなら、想像を絶する恐怖と痛みを受刑者に与えることになるからだ。ギロチンが人道的な処刑法から非人道的な処刑法に変わっていった経緯を考えれば、捏造があったとしてもおかしくはない。

しかしその一方で、最近の医療の現場では、心停止後30分にわたり脳が活動していることを示す新たな研究結果も発表されている。
結局、胴体と分かたれた首の意識の有無については第三者には確認のしようがなく、現時点では不明のまま。

ひとつだけ言えるのは、このさき本格的な研究が行われる可能性はゼロに近いということだ。現在、法制度として斬首刑があるのは中東とアフリカの一部の国だけで、ほとんどの国では採用されていない。
研究の必要性や倫理性を考えるかぎり、この問いに正解をだせる者はこれからも現れそうにない。答えは断罪された人のみぞ知る、ミステリーでありつづけることになるのだろう。

Eyecatch sauce:Hector Fleischman, Public domain, via Wikimedia Commons
参考文献:『処刑の文化史』ジョナサン・A・ムーア著/森本美樹訳
※画像はイメージです

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