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火災の因縁と今もつきまとう心霊現象、いわくつきのホテルニュージャパン火災

未曾有の大火災として昭和の歴史に刻まれたホテルニュージャパン火災。
多数の犠牲を出した要因は同ホテルのオーナー社長の徹底した利益第一主義に基づく防火設備不備や従業員の安全教育不足などによる人命軽視の姿勢が原因だとされている。
しかし、このホテルニュージャパンの建つこの地にはそれだけでは説明しきれない因縁と今なお囁かれ続ける噂があるのだ。

目次

ホテルニュージャパン火災の概要

1982年(昭和57年)2月8日未明、東京都千代田区永田町にそびえたつ高級ホテル・ホテルニュージャパンで火災が発生した。通報を受け、多数の消火関係車両・消防士が出動したものの火と煙の勢いはすさまじく、火元の部屋がある9階と上階の10階を中心に9時間以上に渡って炎が燃え盛り、宿泊客33人が犠牲となる大惨事となった。

火災自体の直接原因は9階宿泊客の寝タバコの不始末だ。

しかしここまで被害が大きくなった原因は、同ホテルオーナー社長の徹底した利益第一主義に基づく防火設備不備や従業員によって宿泊客への必要な避難誘導措置がとられなかったことにある。

消防から再三の是正勧告を受けていたにも関わらず、内装の防火素材への変更や防火扉等の設置費用を出し渋ったり、配管の通らないスプリンクラーを設置して消防の点検をやり過ごそうとした上、いざ火災が起きた際に従業員は宿泊客の避難誘導を行うでもなく、社長の指示によりホテル内に残された豪華な調度品を外に持ち出したりしていた。

複雑なつくりのホテル内で避難誘導もない中、逃げ場を失った宿泊客らは火と煙に襲われ亡くなった。
なかには惨事から逃れようと9階、10階の部屋の窓から飛び降り亡くなった者も多数いた。

火災発生当初からテレビや新聞、雑誌などで犠牲者の悲惨な最期とホテル側の杜撰な対応が伝えられ、昭和の時代に衝撃を与える大火災となってしまった。

ホテルニュージャパンの立地

ホテルニュージャパンは政治の中心地・永田町の地で1960年に開業した。
着工当時は高級レジデンスとして売り出す予定であったものの、インバウンド需要の高まりをきっかけに工事途中で建物の大部分をホテルへと用途変更したという経緯を持つ建物だ。

では、ホテルニュージャパンが建つより以前、この一等地はどのような場所だったのだろうか。

慰安用ナイトクラブ「ラテンクォーター」

ホテルニュージャパンが建つ前、この地には「ラテンクォーター」というナイトクラブがあった。
はっきりとした記録はないものの、1953年に極東マフィアがクラブを開き、主に日本に駐留するアメリカ軍兵士向けに営業し繁盛していたようだ。

1945年8月の終戦後、日本に駐留する連合国軍兵士たち向けの慰安施設が全国に設置されている。
民間事業者としては戦後の混乱に乗じて連合国軍相手に一儲けしようという魂胆があったのだろう。一方で政府が直々に開設した施設も多数存在する。
中にはナイトクラブやキャバレーなども存在したが大半はいわゆる性行為を目的とした施設だった。

当時の日本政府としては、連合国軍兵士らによって日本人女性が強姦される事件を未然に防ぎ守るための防波堤としたいという思惑があったようだ。しかし、その陰で生贄宜しく戦後行く先や暮らしの糧のない婦女子や戦争未亡人らが集められて外国人兵士のお相手をさせられていたというのだから皮肉なものである。

そして政府の思惑通りにいくはずもなく、全国各地で連合国軍兵士による性加害、強姦被害や殺人などの凶悪事件がなくなることもなかった。

その後、ラテンクォーターは1956年に焼失。
焼失の理由についてもはっきりとした理由は明確に残っていないのが、このやや後ろめたい施設のいきさつを考慮するといささか不気味である。

ラテンクォーターが消えた後、土地は売却されホテルニュージャパン着工の運びとなった。
ホテルの地下には日本プロレス界の父・力道山が暴力団の構成員に刺されたことでも有名な「ニューラテンクォーター」というナイトクラブがあったが、これは元あったラテンクォーターから名前を拝借している。

二・二六事件の舞台、日本料亭「幸楽」

ラテンクォーターができる以前の戦前・戦中の時代、同地には「幸楽」という日本料亭があった。
幸楽といえば、戦争へのターニングポイントともいえる二・二六事件の舞台の1つだったことで有名な料亭。
二・二六事件とは、1936年2月26日に起きた陸軍青年将校らによる軍事政権発足を最終目的とするクーデター未遂事件だ。

当時の日本政府に不満を持ち、天皇を中心とした軍事政権を築こうとした皇道派の影響を受けた陸軍青年将校が1,500人近い下士官らを率いて蜂起し政府要人らを次々と襲撃、永田町や霞が関一帯を占拠した。
事件時、幸楽はクーデターを起こした陸軍兵の拠点の1つとなっており、兵士らの休息、宴会場所となっていた。

その後の太平洋戦争下に幸楽はB-29の爆撃を受け、焼失することとなる。
ホテルニューパンのあった場所は、欲望渦巻くラテンクォーター、未遂に終わったクーデターの悔恨が滲む幸楽と2代続いて火事により焼失している。

そして第3の火災現場となったホテルニュージャパン。
その遥か昔からこの土地は炎と因縁深い場所なのだ。

ホテルのその後

ホテルニュージャパンは当然営業を続けられるわけもなく、廃業に追い込まれることになる。しかし火災後、ホテルの建物は取り壊されることなくなんと14年にも渡って放置される。

地下にあったニューラテンクォーターがホテルニュージャパンとは別経営だったため営業を続けていたことも理由の1つだが、この間、同社のオーナー兼社長の横井はホテルの土地を担保にあちこちから多額の融資を引き出し、資金調達に勤しんでいたのだ。33人もの人間が命を落とす大惨事を引き起こした張本人とされながらも、ただでは起きぬこの横井社長の姿勢にはある種畏怖の念すら感じられるほどだ。

また、現・東京メトロ赤坂見附駅そばに位置し、周囲に国会議事堂、皇居、赤坂御所など名だたる有名スポットが揃うまさに日本の一等地の中で、火の手に見まわれた廃墟ホテルがいつでも鎮座する状況も繁る森の中に焼け焦げた巨木を見るようなうすら寒いものを感じる。

千代田生命の凋落

多額の融資を引き出していた横井であるが、その返済が滞るようになる。これに焦ったのは最大の融資先であった千代田生命保険である。
千代田生命保険相互会社(以下、千代田生命)は1904年設立の老舗保険会社である。戦前は日本国内の5大生命保険会社(明治生命、帝国生命、日本生命、第一生命、千代田生命)の一角を占める有名な保険会社でもあった。

千代田生命は貸付金を回収すべく担保に入れられていた土地を差し押さえ競売に掛けたものの、多くの人が火事で亡くなった曰くつきの場所を積極的に手に入れようなどという不動産会社や投資家は現れない。この場所に新たに住宅を建てるにしろ、商業施設を建てるにしろ、オフィスビルを建てるにしろ、ホテルを建てるにしろ、「あのホテルニュージャパンの跡地に」と後ろ指さされることは目に見えているからだ。

華々しく新しい建物を作ったところで、そのようなケチがついたのでは事業者としてはたまったものではない。やむを得ず、千代田生命は自身で落札し自らこの呪われた土地を取得した。この時点で千代田生命が横井社長への貸付金の大半を短期に回収することはほぼ不可能となった。

そもそもこの千代田生命、バブル期の不動産や株式への積極投資が災いしてバブル崩壊後から不良債権を雪だるま式に増やし経営が悪化していた。

ホテルニュージャパンの不良債権

その最中に突きつけられたのがホテルニュージャパンの不良債権だ。この一件が経営面に大きな打撃を与えたことは間違いないだろう。また、このホテルニュージャパンへの貸付金問題は肝心の保険加入者を増やす営業面にも暗い影を落としたのではないだろうかと推察される。

保険に加入するにあたって私達が検討することはいくつかある。
保障の内容やそれに対して支払う保険料、保険会社の経営状態、そして加入しようとする保険会社への信頼感。保険は私達が人生の中で支払い、受け取る金銭の中で大きなウエイトを占める場合が数多ある。

支払ったはいいが本当に保障内容の額面は受け取れるのか。
その保険会社はクリーンな企業なのか。

加入者の会社への信頼感は保険契約において重要なものだし、中には信用に最も重きを置く人もいるだろう。千代田生命のホテルニュージャパン貸付金問題は当時のマスコミにも報じられ、多くの人々の知るところとなった。かつては5大生命保険会社の一角を占めた保険会社の信頼と名声は大いに傷つけられたことだろう。

ホテルニュージャパンの土地を自己落札した後、千代田生命は廃墟となったホテルを1996年に解体し、再開発事業として同地にビルを建設し始める。しかし、建設を開始してすぐの2000年、膨らむ不良債権などを背景に千代田生命は経営破綻。

生命保険会社としては金融機関等の更生手続の特例等に関する法律(金融版会社更生法)申立の第1号という不名誉を賜ることとなる。

プルデンシャルタワー

千代田生命主導の再開発事業は頓挫するのかと思われたが、アメリカの大手生命保険会社プルデンシャル生命保険が森ビルと合弁会社を設立して土地と建設途中のビルを購入。2002年にオフィスや賃貸マンションからなる「プルデンシャルタワー」としてなんとか開業にこぎつけた。

千代田生命自身も経営破綻後、別の生命保険会社への包括移転を経てプルデンシャル・ファイナンシャル(プルデンシャル生命はこの会社の傘下にあたる)に買収される。

2012年にはプルデンシャル生命と同じくプルデンシャル・ファイナンシャルの傘下にあるジブラルタ生命保険に吸収合併されることとなり、老舗有名保険会社は日本の生命保険業界からその名が消えることとなった。

千代田生命の経営破綻の原因は膨れ上がる不良債権とそれに伴う信用不安、そして当時の景気悪化に対応できなっかたことにある。が、ホテルニュージャパンの存在が同社の経営に暗い影響を与えたことは間違いないだろう。
千代田生命の凋落もまたホテルニュージャパンの赤黒い闇に引きずり込まれた結果と言えるのかもしれない。

プルデンシャルタワーを取り巻く怪奇現象

今、紆余曲折を経て曰くつきの土地の上に建つのはガラスに空を写す美しい超高層ビル、プルデンシャルタワーだ。
赤坂の地を見下ろすこのビルにはオフィスや賃貸住宅、店舗が入居しており、いかにも新しい時代の建築物といった雰囲気だ。ここにかつてあのホテルニュージャパンが建っていたことなど微塵も感じさせない。

しかし、この新しいビルもまたホテルニュージャパンの呪いから完全には脱却できずにいる。それがネット上で取り上げられる心霊現象の証言の数々だ。

  • こちらに助けを求める声が聞こえる。
  • 妊娠しているとみられる女性がずっとこっちを見ている。(亡くなった犠牲者の中には妊娠3~4ヵ月の外国人観光客がいた。)
  • 高層階で窓の外を人が通過するのが見えた。

急な体の不調を感じたなども含めれば例に事欠かない。

中にはホテルニュージャパン火災やそれに関わる諸々が念頭にあったために、そういった霊的現象を感じたという事例もあるのかもしれない。筆者も世に蔓延る心霊現象と呼ばれる現象全てを受け入れているタイプではないのだが、1つ「これは」という話を聞いたことがある。

知人女性の話

かつてのホテルニュージャパン、現在のプルデンシャルタワーのある永田町で開催された仕事関係のセミナーからの帰路、偶然会った知人女性に聞いた話だ。
彼女によればつい先日、彼女の父親が仕事のため真新しいプルデンシャルタワーを訪れたのだそうだ。

エレベーターに乗り込み、目当ての上階で降りると途端になにかが背中に覆いかぶさり、首に捲きついたような感覚に襲われたのだという。しかも耳元で微かに「助けて」という女性のものと思われる声のようなものが聞こえた。
急な衝撃と声に驚き、とっさに後ろを振り向いて背中にのったなにかを落とそうと手で払ったがなんの感触もない。
それもそのはず、そこにはなにもなかったのだ。

父上は「これは勘違いだ、エレベーターで急に上の階に来たから少し酔ったのかもしれない」と思い直し、仕事先に向かい用事を済ませようとしたものの、なにかを背負いこんでいるような感覚が消えることはない。

その上、腰の少し上のあたりがどんどん熱くなっていく気さえする。結局仕事中にその重みが解消することはなく、彼女の父上は冷や汗をかきながらなんとか用事を終えてビルの外に出た。
エントランスを抜けてビルの敷地から出ると、背中の重みと首に捲きついたなにかの感触は急に消え去り、父上は思わず片足を地面についてしまったそうだ。

「お父さんから聞いたんだけど、あのビル、昔すごい火事を起こしたホテルの跡地に出来たんだって。なんか心霊現象だったのかも恐いよね。」

彼女の父上はホテルニュージャパン火災を知っていたようだ。彼の深層心理下にあった記憶がそうした現象を引き起こしたのだろう。
話を聞いたその場ではそう思い、「恐いね」などと言って彼女に話を合わせているうちに話題は次々に変わっていったため父上の身に起こった話は頭の隅に追いやられた。

妊娠しているの

そのうちに彼女が「実は自分は妊娠しているの」と打ち明けてきた。
妊娠4ヵ月、自分の両親にとって初孫になるためとても喜んでいるのだという。

「おめでとう、体を大切にね」などと話して駅で別れた。
帰宅の電車に乗り、なんともなしに彼女との会話を思い出す。

父上が感じた背中と首周りのなにか。
その現象が勘違いなどでなく、本当にあのホテルニュージャパンの犠牲者の霊の仕業なのだとしたら。
それは首に腕を回し背に乗りかかってきた―ちょうど父上がなにかをおぶっているような状態だったのだろう。

では、徐々に腰の上の辺りが熱くなってきたのはなぜか。
そこでふと思い当たる、知人の彼女、心霊現象を体験した父上の娘は妊娠していた。
それもちょうど火事で亡くなった妊婦と同じくらいの月数で。

人の形のなにかを負ぶっていたのだとしたら、腰の上辺りに来るのは腹だ。もしも犠牲になった妊婦の霊が火事から20年を経てこのホテルニュージャパン跡地に未だ存在したのだとたら、その悔恨たるやどれほど深いものなのだろうかと戦慄する。
しかし、お腹の子を助けたいという妊婦の強い一心がこの地に留まり、妊婦を娘に持つ、初孫を心待ちにする男性に必死に助けを求めたのだとしたら、こんなにも悲しく、寂しいことはあるだろうか。

父上がビルから外に出た際に、あの妊婦の魂も一緒に忌まわしい土地から出られたのであればいいのだが。
改めて犠牲者たちの冥福を祈りたい。

続く東京消防庁にとっての悪夢・・・日本航空350便逆噴射墜落事故

2月8日未明に起きたホテルニュージャパン火災発生時には激しい火災の様子と想定される甚大な被害から、消防内での最高ランクの出場態勢である「火災第4出場」、追加でさらなる応援部隊を出場させる「増強特命出場」、大勢の負傷者に対応するための「救急特別第2出場」が発令された。

まさに東京消防庁の総力戦としてこの大火災に対応していたのだ。

3:39の通報直後から必死の消火活動、救助活動が行われ、ようやく鎮火が確認されたのは2月8日の12:36、消火活動を終えるまでに約9時間を要した。鎮火後も本件に携わった多くの消防隊員たちには火災原因の調査や使用機材の点検・清掃、報告書の作成など事後業務が課され、命を張る現場での仕事の後であっても多忙を極めていたはずである。
しかし、ホテルニュージャパン火災鎮火から1日も経たない翌2月9日午前8:44、乗客乗員174名を乗せた福岡発羽田行きの日本航空機350便が着陸寸前、羽田空港沖に墜落したという驚愕の一報が東京消防庁に入る。

飛行機が海に墜落となれば多数の負傷者、要救助者が出ることは避けられない。
しかも今だホテルニュージャパン火災の事後対応にあたっている隊員も多い中での緊急事態だ。
それでも東京消防庁は通報後、9:00頃には特別救助隊や水難救助隊を編成し、消防艇を墜落現場に到着させ救助活動を始めている。

墜落時の状況が味方したことと消防をはじめとする乗員乗客や周辺をたまたま航行していた船舶の乗組員らの決死の救助活動によって、多くの乗客が助け出されたが、24人もの乗客が墜落の衝撃と海水の影響で絶命した。

昭和史に残る大火災の翌日の飛行機墜落。
東京消防庁にとってはまさに悪夢のような2日間であっただろう。

最後に

昭和の初めから人々の野望と欲望を炎をもって燃え上がらせてきた土地、ホテルニュージャパン跡地。
平成、令和と時代は移り変わったがこの因縁は果たして本当に断ち切れているのだろうか。

私達がこの土地で起きた火災の裏に秘められた理屈だけでは説明しきれない「なにか」を完全に忘れ去ってしまったその時に、この因縁は再びその赤黒い悪魔の横顔を覗かせるのかもしれない。

※画像はイメージです。

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