一般人から要人まで幅広く誘拐・拷問・殺害を行い、恐怖と暴力でもって南米を支配してきた麻薬カルテル。極悪非道なその所業を数え上げたらきりがないものの、英雄的な麻薬捜査官キキ・カマレナの凄惨な死は、その代表例といえるのではないでしょうか。
今回はNetflixの ドラマ『ナルコス:メキシコ編』やAmazonプライムの『ラスト・ナーク』で取り扱われた、キキ・カマレナの衝撃的な死の真相に迫っていきます。
メキシコの極貧家庭に誕生?麻薬取締官として頭角を表す
エンリケ・“キキ”・カマレナ・サラザールは1947年7月26日、メキシコ国境の町・メヒカリで生まれました。このうち「キキ」は愛称で、エンリケ・カマレナ・サラザールがフルネームになります。
一家はカマレナの幼少時にカリフォルニア州に移住するも、その後両親が離婚し、カマレナと兄弟たちは極貧の中で育ちます。
軍隊入りした長兄をベトナム戦争で失い、別の兄が薬物中毒で警察に逮捕されるという逆境にもめげず、カマレナは優秀な成績で高校を卒業し、海兵隊を経て警察に就職。
1973年に麻薬取締局(DEA)が設立されるや即座に入局し、特技のスペイン語を生かした潜入捜査に励みました。曰くカマレナの演技力はずば抜けていたようで、役柄に応じてプルエトリコ訛りを使い分け、メキシコ人しか知らないスラングすら口にしたそうです。メキシコ系アメリカ人特有の風貌も、敵を油断させるのに役立ちました。彼を熱心な捜査に駆り立てた背景に、麻薬の犠牲になった兄の存在があったことは言うまでもありません。
1980年、カマレナはグアダラハラのDEA駐在事務所に異動した親友から、同事務所に来ないかと誘われました。当時のグアダラハラは麻薬がらみの犯罪が急増しており、慢性的な人手不足の状態。
それに加えてDEAは海外赴任経験の有無を出世の判断材料にしていた為、カマレナは妻のミカと三人の息子を連れ、メキシコ・ハリスコ州の州都、グアダラハラへの異動を決意しました。
プライベートにおけるカマレナは子煩悩の愛妻家だったようで、オフの日ともなればわんぱく盛りの息子たちを可愛がり、近所の農園や動物園で写真を撮っています。長男のエンリケ・カマレナ・ジュニアが成人後にサンディエゴの高等裁判所判事となったのも、父の背中を見て育ったからでしょうね。
グアダラハラ・カルテルの台頭とカリスマ捜査官カマレナの戦い
グアダラハラに着任したカマレナを待ち受けていたのは、グアダラハラ・カルテルが関与する、恐ろしい犯罪の数々でした。グアダラハラ・カルテルとはミゲル・アンヘル・フェリックス・ガジャルド、エルネスト・フォンセカ・カリージョ、ラファエル・カロ・キンテロが中核となる組織で、この三人が生産と運営を調整し、敵の拉致・拷問・殺害を行っていました。
グアダラハラの常駐エージェントとして精力的に捜査に取り組む中で、カマレナは各方面に情報提供者を作って密売人を検挙し、目覚ましい成果を上げていきます。
当時のグアダラハラでは山岳部に点在するマリファナ農園が次々と摘発され、さらに人里離れた砂漠地帯に移転し始めていました。前者は発見され辛く井戸も不要ですが、収穫量や品質が不安定で、輸送コストが嵩むデメリットが悩みどころです。
その一方砂漠の農園ではアメリカ人が開発した新種のマリファナ、「シンセミラ(種なし)」が手広く栽培され、グアダラハラ・カルテルの新たな収入源となりました。従来のマリファナより高品質で強力なシンセミラは、北米の市場で莫大な利益を生み、新興のグアダラハラ・カルテルをメキシコのトップ組織にまで押し上げます。
なおメキシコには井戸の掘削を規制する法律があったものの、この問題は巨額の賄賂で解決しています。麻薬撲滅計画の一環として米軍が行っていた上空偵察の中止も、農園の拡大に拍車を掛けていたことは否めません。カルテルの本拠地を切り崩したいカマレナは、さぞかし歯がゆかったでしょうね。
カマレナの手柄と暗転
グアダラハラ着任から2年が経過した1982年、すっかり現地に馴染んだカマレナは、ミゲル・サンチェスと呼ばれる情報提供者と手を組み、大規模な作戦に打って出ました。
知人の農園経営者からグアダラハラ・カルテルの所有する農園の場所を聞いたミゲルは、サン・ルイス・ポトシ州の寂れた町・ヴァネガスの郊外にそれがあるとカマレナに密告します。ミゲルから貴重な情報を得たカマレナは裏付けをとったのち、単独飛行による秘密偵察を2回行い、農園の資金提供者がグアダラハラ・カルテルの幹部に名を連ねるフアン・ホセ・エスパラゴサ・モレノであり、確かにシンセミラが栽培されていることを突き止めました。
その後カマレナは農園の場所をメキシコ当局に報告し、同年9月にグアダラハラDEAとの合同作戦が実施されます。結果、当局は4,000トン以上のシンセミラを焼き尽くし、そこで働く関係者の一斉検挙に至りました。
農園の総面積は200エーカー、雇用されていた労働者は数百人以上。これは当局が摘発した農園の中で最大規模にあたり、カマレナは英雄として称えられました。
30時間以上に及ぶ凄惨な拷問の末に…英雄カマレナ死す
1984年にはDEAからもたらされた情報に基き、チワワ州アジェンデにある2500エーカーのマリファナ農園が、メキシコ兵によって徹底的に破壊し尽くされました。この時もカマレナが暗躍し、メキシコ兵らを手引きしました。
DEA、ひいてはメキシコの英雄となったカマレナは、ニュース番組や新聞の取材を受け、メディアに顔と名前が報じられます。
これがきっかけとなり、グアダラハラ・カルテルの中心メンバーは彼の拉致を敢行。実際には麻薬カルテルと裏で繋がっていた当局の人間が、カマレナを売り渡したのでした。同時にカマレナの任務に同行したメキシコ人パイロット、アルフレド・ザバラ・アベラールも拉致に遭い、カルテルのアジトに監禁されます。
白昼堂々二人が連れていかれたのはグアダラハラ市西部、ハルディネス・デル・ボスケ地区のロペ・デ・ベガ881番地に位置する、広壮な一軒家でした。ここはカルテルで最も危険な男と見なされるメンバー、ラファエル・カロ・キンテロが所有する住居で、椅子に縛り付けられたカマレナとアルフレドは、延命措置を施す医師のもと、凄まじい拷問を受けることになります。
よってたかって袋叩きにし、鼻をへし折るのは序の口。殴る蹴るの暴行が利かないと見るや、ラファエルはカマレナたちの睾丸に導線を繋いで電気ショックを与え、頭にビスをねじ込んで回し、さらには焼けた鉄棒で肛門から直腸を刺し貫きました。
拷問の間もカマレナは頑として口を割りませんでしたが、カルテルの人間が録音していたテープには惨たらしい悲鳴と譫言が収められており、のちに事件の証拠品として法廷に提出された際は、裁判官たちに多大なるショックを与えました。中には数週間の不眠に陥るなど、深刻なPTSDを患った裁判官もいるそうです。
大変おぞましいことに、カマレナとアルフレドに対する拷問は、30時間以上の長きに亘って継続しました。
カマレナは既に瀕死のアルフレドを終始気遣い励ましていたものの、結局二人とも力尽き、最期は鉄筋で頭蓋を貫かれ、肋骨を折られて殺害されました。
1985年、ミチョアカン州の小さな町ラ・アンゴストゥラ郊外の農村にて、ビニールに包まれた遺体が回収されます。二人の遺体は手厚く火葬されたのち、カレキシコ近郊のシグナル山に遺灰が撒かれました。
アメリカ政府の報復とその後の記憶の継承
志半ばで非業の死を遂げた捜査官、エンリケ・“キキ”・カマレナ・サラザール。されどその遺志は確かに受け継がれ、カマレナの報復を誓ったアメリカ政府は、グアダラハラ・カルテル撲滅作戦を実施します。DEA史上最大の殺人捜査、レジェンダ作戦です。
これによってカマレナとアルフレドの殺害に関与した主要メンバー、ミゲル・アンヘル・フェリックス・ガジャルドとエルネスト・フォンセカ・カリージョ、ラファエル・カロ・キンテロらが逮捕され、カマレナの死後、漸くカルテルを一網打尽にする悲願が遂げられたのでした。
現在、カマレナが生まれ育ったカリフォルニア州カレキシコには、彼の名を冠した学校・図書館・通りなどが作られ、麻薬犯罪と戦い続けた英雄の記憶を継承しています。
featured image:United States Drug Enforcement Administration (DEA) PD-USGOV., Public domain, via Wikimedia Commons


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