少女が消えた3年後、家族の元に1通の手紙が届いた。
中から出てきたのは意味不明な文章が綴られ、後に「怪文書」と呼ばれる手紙だ。
この手紙は未だに事件と何の関係があるのかわかっていない。
悪質ないたずらなのか、それとも私たちに真実を訴える告発文なのか。
自宅に届いた怪文書「ミユキカアイソウ」
ゆきちゃんの足取りが掴めぬまま、失踪から3年の後、家族の元に1通の手紙が届いた。
用紙3枚にわたって漢字、ひらがな、カタカナが入り乱れ、神経質さを感じさせる字体で書かれており、奇怪な雰囲気を醸し出している。
その一方で手紙は鉛筆で下書きをした後に上からボールペンで清書されており、丁寧さも感じられる。
内容は一見すると事件と関係がありそうなワードを無作為の組み合わせただけのようにも見え、いたずら目的で家族に送られた悪質な手紙にも思われる。
この手紙は後に「怪文書」と呼ばれ、ゆきちゃん失踪事件を不可思議で不気味足らしめている大きな要因の1つになっている。
しかし、この怪文書は本当にただの手の込んだいたずらで片づけられる代物なのだろうか。この手紙を事件の真相に迫るための告発文だと仮定した上で、1つ1つに解釈をつけながら読み進めていくと、ただのいたずら目的で書かれた文書にしては、真に迫るものがある。
あくまで個人的な見解になるが、この世にいう怪文書を読み解いていきたい。
怪文書解読
漢字。ひらがな、カタカナ、奇妙な文体は怪文書原文をできる限り正確に起こしている。
ある程度の文章の塊で解読を試みている。
ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
「ゆきちゃん」と「みゆきちゃん」の間違いともとれるが、ゆきちゃんに敬意をもって「御」の字を当て、「御ゆきさん」としたのではないだろうか。
カアイソウも可哀想より可愛そうを漢字の字面通りにカタカナ表記した感がある。
そうであるなら、可哀想よりもよりゆきちゃんへの慈しみが感じられ、怪文書の筆者はゆきちゃんやゆきちゃんの家族に対して同情的な立場であることが推察できる。
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ
トオモイマス股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ
シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ
ニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
裏口ニ立ツヨウニナッタ
「トミダ」、「富田」は事件現場付近の地名。股割レは売春者への蔑称だと思われる。
犯人は富田出身の売春者ということなのだろう。
「シュンガ」は駿河(静岡)の漢字の字面をカタカナ表記したのではないだろうか。
このシュンガ=駿河が旧国名で静岡県中東部、ないし静岡県全体を指しているのか、より具体的に静岡市駿河区を指しているのかまでは判断できない。
表の反対=裏だが場所というより「裏社会」的な意味合いで使われているように思う。
「パーラ」はいわゆる「パーラー」のことで喫茶店や軽食屋、パチンコ屋、「ポウ」が「某」を指しているのだとしたら、富田の股割れが静岡県内で裏社会と関りのあるような某パーラーで働き始めたということになる。
その後結婚して所帯を持った一方で、数年後には「裏口ニ立ツ」=裏社会で活動するようになったということだろうか。
イまハー ケータショーノチカクデ
四ツアシヲアヤツツテイル
「ケータショー」は警察署に語感が近いように感じる。
または「ショー」が小学校の「小」で「ケータ小」と取ることもできるだろうか。
ここからはややこじつけになってしまうのだが、「イまハー」の「ー」は伸ばし棒とも数字の「一」にもとれる。
もし数字の「一」と考え、それが一番=最上のものを表しているのだとしたら、存在として最上のものを神だと捉えているのだと仮定してみよう。
これに関しては先に書いた通りかなり無理のある解釈ではあるが、静岡市駿河区には神が住む場所である「宮」と「ケータ」をひっくりかえして「タケ」からなる小学校が実在する。
「四ツ」は被差別部落民に対する蔑称ととることも、指を詰めたヤクザのイメージととるこもできる。
いずれにしろ、裏社会でそういった人々を操る=管理する立場の仕事をしているということではないだろうか。
ツギニ
スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナ
ガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ
アサヤントオもう。
「スズカケ」のケを落とすと「鈴鹿」になる。
「荷の向側」の荷は数字の2を表していて、2の次、3を表してるのではないか。
三重県鈴鹿市には算所(さんじょ)という地名がある。
また、「向側」とは本来、物を隔てた反対側を意味する言葉だ。
ならば2の向こう側を8と考えることもできる。
時計を考えた時に、針の根元を隔てて2の反対にあるのが8だからだ。
鈴鹿市には八野町(はちのちょう)という地名も存在している。
「アヤメ」が「漢女」を意味し、大陸から渡ってきた機織りなどに従事した女性を意味するのだとすれば、鈴鹿市内、算所または八野町の大陸系女性が大勢いる部屋ととれる。
「ユキチ」は一万円札のことだろう。
「アヤサン」は個別の名前ととることもできるが、「ヤーサン」=ヤクザを濁している可能性も考えられる。
金を握ったのがヤクザなのだとすれば、話の流れから金を渡したのは富田の股割れであろう。
股割れはヤクザに金銭を払う代わりになにかを依頼するなど、両者の間にはなんらかの取引があったことを示唆しているととれる。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きく
ワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメス
にナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動いタ。
全体として売春行為に堕ちていく様を書いているように読める。
この股割れは人心を忘れてしまった人間になってしまったということだろうか。
「シガミツイタ」の表現に富田の股割れが置かれている立場や状況への執着が見える。
「感激」し、「しがみつき」、「一匹のメスになっていた」の表現から抗いがたいものに流され、堕ちていく様が想像できるのだ。身体的に麻薬やドラッグに堕ちてしまったのか、ヤクザに頼んだ仕事がうまくいき、ヤクザ相手に心酔してしまったのかまでわからないが、結果、持っていた所帯=「家」、そして裏社会の仕事も忘れてしまったということとも受け取れる。
そして「アサヤンノイフトオリニ動いタ」とあるが、そのまま読むと股割れは率先してアヤサン=ヤクザ?の言いなり、手下のように動いているとなる。
ただ腑に落ちない点が、前段では股割れがヤクザになにかを依頼して金を渡しような書きぶりで、股割れの方が依頼者として立場が上のように感じられるのだが、上記の解釈だと股割れとヤクザの立場が逆転しているように読み取れる。
富田の股割れがヤクザを利用していると思いきや、ただヤクザに利用されているだけだったととれるのだ。
それとも股割れが現金を渡したヤクザと、言いなりになっているヤクザは別物なのだろうか。
ここで初めて「メス」と記載があり、股割れが女であることが明確に示されている。
ソレガ大きな事件トハシラズニ、又カム
チャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ
ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
カムチャッカはロシアのカムチャッカ半島のことだと思われる。
富田の股割れは自身の行動が大事になると理解しないままに、なんらかの形でゆきちゃん失踪に加担し、幼い少女がカムチャッカの厳しい寒さの中で八寒地獄の極寒の責め苦のような恐ろしい思いをしているということだろう。
モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ
トオモウ
カムチャッカの地で3度春を迎えたということだろうか。
春を迎えたのがゆきちゃんなのであれば、この怪文書の筆者はこの文書を書いた時点ではゆきちゃんは生きていると考えていることになる。
では具体的にゆきちゃんはどこにいるのか。
「サカイノクスリヤ」とは国境、県境などの境にいる違法薬物の密売人を指しているのではないだろうか。
また、3度の春を迎えたのが富田の股割れであるなら、「サカイ」は「境」である他に大阪府堺市や堺市出身の違法薬物の密売人の所に身を寄せていると怪文書の筆者は考えている可能性もある。
ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ(赤字記載文)
平和希求トハチガウ
ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ
ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広い
ダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり
韃靼海峡は中国名でロシアではタタール海峡、日本では間宮海峡とも呼ばれている、アジア大陸とサハリン島を隔てる海峡のことだ。
単純にゆきちゃんの居場所について言及しているともとれる。
一方で「ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ」の一文は詩人・安西冬衛の「春」という一行詩、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」とよく似ている。蝶は様々な象徴性をもつモチーフだ。
仏教においては極楽浄土に魂を運んでくれる神聖な生き物であるし、その成長サイクルから不死の象徴とされる一方で不吉な存在とも考えられている。
海外では生と死、復活のシンボルとも言われている。
安西冬衛の詩も怪文書の一文も解釈は諸説あると思うが、詩に関しては真冬には凍り付く韃靼海峡を寒く厳しい状況の象徴とするならば、魂を運ぶてふてふ=蝶がその厳しい状況を乗り越え、安らかな地へ渡った詩と読むことができる。
この安寧が、魂の成仏と心身の安全、どちらを意味するかは分からない。
しかし怪文書の方には「コンナ平和希求トハチガウ」とある。
怪文書の方は安西冬衛の詩を念頭に置いた上で、ゆきちゃんがカムチャッカ半島からサハリン島経由で韃靼海峡を越えてロシア方面に向かったことを書くと共に、詩で蝶は海峡を渡ったことにより安寧を手に入れたが、ゆきちゃんという蝶はそうではなかったということを言いたかったのではないだろうか。
ゆきちゃんの母親という蝶も厳しい海峡を渡っている、つまり娘を探してもがいている状況であるということを富田の股割れは認識していて、それでも知らんふりをしているということになる。
時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス
コトモアル、一片の良心ガアル、罪悪ヲ
カンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレル
オスヲ探しツヅケルマイニチ
「駅のタテカンバン」がゆきちゃん失踪事件の情報提供を求める看板なのだとすれば、富田の股割れはこの怪文書が書かれた時点で再び、事件現場であり、ゆきちゃんの家族が住む三重県四日市市周辺に戻ってきていることになる。
そして前段では「平気なそぶり」を見せていたものの、今では罪悪感を感じて自身の罪を忘れるために売春行為に身を投じているということだろう。
股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタ
コトハマチガイナイ
確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
事件ガ大キイノデ、決シテ
イソグテバナイトオモウ。
この怪文書の筆者は、富田の股割れについてゆきちゃん失踪であると考えに深くかかわっていると確信する一方で、富田の股割れについてよく知っていながら捜査機関に対しては口止めをしている。
ここまでわかっているならば、こんな怪文書などというまだるっこしい真似をせずに、すぐにでも警察に行って事情を話し捜査協力すればいいのだ。
ただ、怪文書の筆者は、女の子が1人いなくなっただけでももちろん大事件であるところ、あえて「事件ガ大キイ」と書いている。
怪文書の筆者はゆきちゃん失踪以外にも、富田の股割れ、また股割れが関わる人物らがなんらかの事件に関与しており、ゆきちゃん失踪とそれ以外の事件とを合わせて「事件が大キイ」と言っているのではないだろうか。
そのため、ゆきちゃん失踪事件だけでなく、その他の事件も含めて全容が解明するまで待つべきだと考えている。
解決のためには、決して急いではいけないとしているのだ。
では、怪文書筆者の考える大きな事件とはなんなのか。
もしそれがゆきちゃん失踪と同類の事件であり、怪文書の筆者がゆきちゃんは国外に連れ去られたと考えているならば、最早それは子どもの集団人身売買という結論にならないだろうか。
ヤツザキニモシテヤリタイ(赤字記載文)
股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ(赤字記載文)
コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番
トホトイトキダ
ゆきちゃんへの憐憫と富田の股割れに対する絶対的憎悪。
そして怪文書筆者にとっての性行為は「命ガケ」=女性としては死の危険もある妊娠・出産に至るための行為であり、富田の股割れとは違い、自身が金儲けや性的欲求を満たすために股を割っているわけではないという主張。
つまり自分は幼子を憐れむ心も悪を憎む心も持っており、売春など裏の仕事にも関わっていない、人として正常な精神の持ち主だとということを言いたいのではないだろうか。
怪文書はおかしな言い回しやわかりにくい記載となっているものの、健全な思考の元に書いた正当で正確な訴えだということをアピールする狙いだと考えられる。
怪文書から読み取れるゆきちゃん失踪の裏側
ここまでの怪文書の解釈をまとめると、ゆきちゃん失踪には事件現場付近の富田出身の売春婦が関与している。
この売春婦は地元の学校を卒業後、静岡県や鈴鹿で働きながら裏社会と関係を持ちながらも、所帯をもって暮らしていた。
しかし、なぜそのようなことをするに至ったのか不明だが、売春婦はヤクザにゆきちゃん連れ去りを依頼。
このことをきっかけに徐々にヤクザとの関係を深め、ついにヤクザの言いなりになってしまう。
ゆきちゃんは国外へと連れ去られ、ひどい目にあっている(生死は不明)。
売春婦は地元に戻ってきており、罪の意識を持ちながらも変わらず売春業をして暮らしている。
ゆきちゃんについては可哀想だと思っているし、売春婦に対しては強い憤りを感じているが、ゆきちゃん失踪事件は大きな事件の氷山の一角でしかない。
なお、怪文書などという手法はとっているが、イタズラ目的や頭がおかしくなって書いた文書ではなく、正しい情報を提供する文書だと理解してほしい。
ということになる。
一見すると事件に関係あるような言葉や不気味なワードを散りばめただけの怪文書に思えるが、上記のように考えていくと意味が通り、筋道の通った告発文であるように見えてくる気がするのだ。
この怪文書はいたずら目的の悪意ある手紙なのか、それとも真実を語る手紙なのか。
真偽がわかるのは、ゆきちゃん失踪事件が解決されるその日なのだろう。
※画像はイメージです。
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