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安倍晴明が引き連れていた式神とは何だったのか?

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陰陽師で有名な安倍晴明ですが、彼が使っていた式神とは何だったのでしょうか?

目次

安倍晴明とは?

まず、安倍晴明という人物はご存知でしょうか?平安時代中期に実在したと言われる呪術士・祈祷師ですが、「陰陽師」といった方が有名かもしれません。多くの創作物にも取り上げられて有名になった人物です。白狐(狐の妖怪)を母に持つと言われており、呪術や祈祷に長け、式神(または十二神将とも呼ばれる)を自在に操ったとされ、その式神を利用した数々の伝説を生んだとされています。よく、清明神社など彼を祭った神社仏閣も日本各地にありますね。

彼は幼いころから神童と呼ばれていましたが、才覚を発揮し出したのは40代頃と遅咲きであったと言われています。皇太子の病をお祓いしたことから時の権力者に目を付けられて出世していったようです。陰陽道と言われる占星術のような祈祷方法も使い、日本の政治を裏で支えていたという説もあります。

創作物の登場人物として有名になったのは荒俣宏さんの小説『帝都物語』や、その後に発表された夢枕獏の小説『陰陽師』の大ヒットなどが知られています。そして平成になってその知名度が飛躍的に向上し「安倍晴明」という名前は誰もが知ることになりました。
その後には、数々の和風ファンタジー系漫画・アニメ・ゲームにも使われてその世界観にも多大な影響を及ぼすことになりました。

安倍晴明の像

晴明が使っていた「式神」とは?

式神は晴明のような陰陽師が使う神様(鬼とも言えます)のことを指します。人の目には見えないとされており、陰陽師以外は存在を確認できません。陰陽師の中でも安倍晴明は特に式神を使うのが上手であり、また雑務など使役をさせるように親しい間柄であったともいわれております。しかし、この式神っていったい何なのでしょうか?一介の人間が神や鬼を使う、というのはあまりピンときませんね。

安倍晴明はこの式神を橋の下に隠していたといいます。また晴明の周りのご飯などの支度は目に見えない式神がやってくれていたともいいます。神や鬼といわれる存在が何だかぞんざいな扱いにも思えますよね。
結論から言うと、式神とは当時、平安時代の貴族から差別されていた民族なのです。当時の一般的な生活ができる民というのは、それだけでかなりの生活水準が高い貴族くらいでした。他の貧しい民族は河原や山の中に住んで、とても劣悪な生活を送ったり、貴族たちが避けるような仕事をしないと生きていけないような人たちがほとんどでした。貴族たちはそのような人たちを存在するものとはせず、「見えないもの」としていたのです。

晴明はそのような被差別部族との強固な信頼関係を結び、彼らのネットワークを活かして情報収集や図り事を行っていきました。貴族たちは彼らを人としては見ていなかったので、晴明が操る式神として「人ではない何か」と認識していたのです。

現代の私たち、晴明ではなくむしろ式神

ともすると私たちは晴明の物語を見聞きするときに、晴明や彼とやり取りする貴族に感情移入してしまいがちですが、むしろ私たち一般庶民のルーツは式神といわれて、差別を受けていた下級庶民のほうであるはずです。そのことを肝に銘じて、せめて私たちが誰かを差別するようなことは避けたいですね。

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