中東世界には二つのイスラームの大国があります。一つがスンナ派の盟主で聖地を管理するサウジアラビア、もう一つがシーア派の大国であるイランです。
そもそも、イスラーム教のシーア派とはどのような宗派なのでしょうか。
イスラーム教を創始したムハンマドが632年に死去すると、イスラーム教団は教主(カリフ)によって率いられるようになります。
皆が認めたカリフのことを正統カリフとよびました。
第3代カリフのウスマーンが暗殺されると、後継のカリフの座をめぐってウマイヤ家のムアーウィヤと第4代カリフとなったハーシム家のアリーが争います。
661年にアリーが暗殺されると、ムアーウィヤがカリフを称しウマイヤ朝が始まりました。
ムアーウィヤのカリフ即位を認めなかった人々はアリーの子であるフサインの下に結集し、ムアーウィヤとカルバラーで戦い、結果はムアーウィヤの勝利。
フサインが敗死したことでウマイヤ朝の存続が確定的となります。
ムアーウィヤやその子孫がカリフとなったウマイヤ朝を認めた多数派のスンナ派とアリーやその子孫だけをカリフと認めるシーア派の対立がこうして始まります。
人口比でいえば、スンナ派がイスラーム教徒の90%を占めるのに対し、シーア派はわずかに10%でシーア派の大半はイランやイラクにいます。
フサインが死んだイラク南部のカルバラーはシーア派にとって重要な聖地であり、現在でもシーア派の人々が巡礼に訪れる場所となりました。
シーア派で教団の指導者をイマームといいます。シーア派の人々はイマームにはアリーやアリーの子孫だけが鳴ることができると考えました。
シーア派にはいくつかの分派がありますが、主流派は「十二イマーム派」とよばれ、イマームの地位はアリーを初代とし、十二代にわたって受け継がれます。
十二代イマームは、忽然と世の中から姿を消しました(隠れイマーム)。十二イマーム派の人々は、最後の審判の日に十二代目イマームが再び姿を現すと信じてきました。
現在、イランを指導するハメネイ師や、1979年にイラン革命を起こしたホメイニ師は十二イマーム派のイスラーム法学者(ウラマー)です。
イランが隣国であるイラクに様々な形で干渉するのは、シーア派が多い地域だからですね。
現在、中東ではスンナ派、シーア派の対立に加え、アメリカ、中国、ロシアも絡んだ複雑な国際情勢が展開されています。
一つの事件が世界大戦に結びついてもおかしくない危うさを秘めている地域だといえるでしょう。
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