30歳で暗黒街の帝王に! アル・カポネが実践した黒い出世術?

世紀の悪法、禁酒法を逆手にとって巨万の富を築き、年功序列をものともせずに闇の一大帝国を支配したアル・カポネ。
またの名をスカーフェイス、あるいはピストルを忍ばせたロックフェラー。
450件もの殺人に関与しながら、TIME誌の表紙を飾った国民的人気者。
この稀代の人たらしギャングスターはどのようにして成り上がったのか。貧しいイタリア系移民の若者がみせた、アメリカンドリームの叶え方を振り返る。

禁酒法時代とカポネ全盛期

かつてアメリカには禁酒法という悪しき法律があった。
しかしこの法律で社会が健全になったかというと逆効果で、むしろ酒をめぐる犯罪や闇酒場が激増した。この禁酒法に目をつけたのが金の匂いに鼻のきくギャングたちだ。彼らは人々の欲望を巧みに利用し、酒の密造・密輸・販売という闇酒ビジネスに乗りだした。

これまでもギャングはビジネスに手を出していたけれど、カポネはギャングの生業をビジネスととらえた。
密売酒の流通ルートを独占し、懐に舞い込む札束の山を闇で取り仕切るギャングたち。カポネはシカゴの高級ホテルを根城にして部下を指揮し、密造酒の製造・販売、賭博業、売春業で組織を巨大化させていく。

ギャングとマフィアの微妙な違い

「さっきからギャングギャング言ってるけど、マフィアとは違うの?」と思う方がいるかもしれない。もちろんカポネはマフィアと紹介されることもある。そのあたりは編集サイドの括り方によるのだろう。

けれど、厳密にいうとカポネをマフィアと呼ぶのはちょっと苦しい。理由はシチリア島(ブーツの爪先にある大きな島)にルーツをもたないナポリ系だからだ。マフィアとは、もともとシチリア島起源のギャングをさす言葉だった。例えば、映画「ゴッドファーザー」のヴィトー・コルレオーネは生粋のマフィア。カポネは非シチリア系だったため、闇社会で成り上がる決意をした時にマフィア本流に加われなかった。

しかし、シチリアンマフィアと非シチリア系イタリアンギャングの垣根は徐々に取り払われていく。いつしか「マフィア」は犯罪シンジケートの代名詞になり、「香港マフィア」「ロシアンマフィア」、さらには「金融マフィア」といった意味不明な言葉が横行するようになった。今では「マフィア」の本来の意味は薄れ、けっこうテキトーに使われている。

Wide World Photos, Chicago Bureau (Federal Bureau of Investigation), Public domain, via Wikimedia Commons

アル・カポネのイメージ戦略と堅気とのつきあい方

陽気な性格も手伝って、カポネは世間への露出をいとわないアウトローらしからぬ男だった。派手な慈善活動も積極的に行った。
1929年に世界を襲った大恐慌。職を失い、今日の食事にも困る人々のために、カポネはシカゴ市内にスープキッチン(無料給食サービス)を次々と開いた。たとえ人気とりと言われようと、地元の商店に協力させたと言われようと、このボランティアが市民の空腹を満たしたのは事実だろう。

貧困層の子どもたちに経済的な援助をしたり、学校に牛乳配達を手配したこともある。ギャングの抗争で市民が巻き添えになれば治療費を、店が破損すれば修繕費を負担した。

有名なエピソードに白いボルサリーノがある。アメリカ人が善玉のイメージを抱く白い帽子をトレードマークにしたのも、「市民の味方」というパブリックイメージを大衆に植えつけるためだった。
泣く子も黙る犯罪組織のボスでありながら、国民的ニュース雑誌に堂々と登場するほどにカポネは民衆に愛されていた。

ぬかりない買収工作とバッシング対策

転がり込む札束を惜しみなくばら撒き、カポネは警察や裁判所、政治家を買収して自身の安全を確保した。法の執行機関は闇社会と癒着し、腐敗の一途をたどっていく。さらに選挙まで操作して「都合のいい男」を市長に選出。シカゴの影の市長はカポネのようなものだった。
マスコミ対策にも余念がなく、不都合な記事を書いた記者には暴力の圧力。それでも屈しない場合は賄賂攻撃。それでもだめなら新聞社ごと買い取った。自分の悪いイメージが世に出ないようにメディア潰しにかかるのがカポネ流。

数多くの殺人に関与しながら殺人罪で逮捕されなかったのは、シカゴ警察の半数以上が彼の手下に成り下がっていたためといわれる。FBIのエリオット・ネスが率いる精鋭チーム、アンタッチャブルとカポネの闘いは広く知られるところだが、「アンタッチャブル」とは「手の届かない相手」、すなわち「買収や脅しのきかない男たち」を意味する。

敵は容赦なく葬り去る~聖バレンタインデーの虐殺

シカゴでは、巨大な利権をめぐって血で血を洗うギャングの抗争が続いていた。カポネの命を執拗に狙っていた男のなかに、宿敵でアイルランド系のジョージ“バグズ”モランがいる。

ある日、路上に停めていたカポネの車に何者かの車が横づけし、マシンガンを乱射していった。食事中のレストランや滞在先のホテルなど、時や場所を問わずに銃弾の雨は降り注いだ。

そして1929年2月14日、聖バレンタインデーの虐殺が起こる。カポネの部下が大がかりな芝居を打ってモラン一派をあざむき、7名を蜂の巣にしたのだ。間一髪で難を逃れたモランは、「こんな殺戮ができるのはあいつしかいない」と黒幕を確信したという。当のカポネはフロリダにいて、アリバイは完璧だった。

裏切り者は必ず抹殺

組織が成長すると、敵は内部にも現れる。カポネは組織の危険分子にも目を光らせた。
前述の聖バレンタインデーの虐殺でも活躍した腹心の殺し屋、ジョン・スカリーゼとアルバート・アンセルミの裏切りを知った時も、躊躇なく彼らを始末した。

映画「アンタッチャブル」には、この実話をもとにした場面が登場する。ロバート・デ・ニーロ演じるカポネが野球のバットで男を何度も殴打するシーンだ。映画では相手は一人だったけれど、実際は三人を殺している。遺体はインディアナ州のハイウェイに放置された。

カポネがアルカトラズ島の刑務所でAz-85号と呼ばれていた1933年、暗黒街に暴利をもたらした禁酒法はようやく廃止される。
刑期を終えた時のカポネは梅毒にむしばまれ、かつての威厳はみる影もなかった。短い余生をフロリダの自宅で家族と過ごし、48歳でこの世を去る。
帝王として君臨したシカゴに戻ることは二度となかった。

eyecatch source:Szilárd SzabóによるPixabayからの画像
※一部の画像はイメージです。

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