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エニグマを破ったアラン・チューリング、その後の壮絶な人生

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2021年6月より、イギリスで新しい50ポンド紙幣が流通しはじめた。1ポンド153円で換算すると、7650円。肖像に採用されたのは、数学者にしてコンピュータ科学の生みの親、アラン・チューリング。第二次世界大戦中、解読不可能といわれたナチスドイツのエニグマを攻略した若き天才だ。史上最強の暗号解読者は、後にも先にもこの男をおいていないだろう。

41歳でこの世を去ったとき、彼が戦争の英雄だったことを世界中が知らなかった。家族や友人も例外ではなかった。エニグマ解読は国の軍事機密であり、チューリングの仕事はなかったことにされたからだ。

チューリングが新札の顔だって? なにを今さら。イギリスは、さんざん彼を苦しめてきたではないか。国家のエゴとゲイへの偏見によって。
彼は当局に消されたのか、それとも自ら人生を終わらせたのか。
大戦の早期終結の陰の立役者であり、間接的に多くの命を救った人間が、なぜ不当に傷つけられたまま死ななければならなかったのかを考える。

目次

その頭脳は世界の至宝

「謎」という名をもつ難攻不落の暗号機、エニグマ。世界の運命は、この「謎」に挑んだ一人の若者に託された。
エニグマの解読は、第二次世界大戦の終結を2年から4年早めたといわれる。その功績は、当時の英首相チャーチルをして「人類史上、これほど多くの人がこれほど少人数によって救われた例はない」と言わしめたほどだった。

政府の依頼を受けて、暗号解読本部ブレッチリーパークで解読斑を率いていたのはアラン・チューリング。彼は日本帝国海軍の暗号JN-25(アメリカ側のコード)の解読もサポートしていたと伝えられる。ミッドウェー海戦の敗北の一因が暗号戦での敗北だったことをふまえると、チューリングの頭脳が太平洋戦争の戦局にも影響を及ぼしたことがうかがえる。

しかし、その功績に見合う待遇を本人が受けていたとは言いがたく、生前は栄誉を称えられることもなかった。
戦後、彼や彼のチームに関するすべての痕跡は歴史から抹消され、ブレッチリーパークの関係者も秘密を守ったからだ。

一般的に「コンピュータの父」といえばアメリカではジョン・フォン・ノイマンだけれど、イギリスではアラン・チューリング。
どちらも同じ「コンピュータの父」なのに、両者の生涯はあまりに対照的だ。チューリングの後半生は、なぜか不遇の連続だった。
晩年のチューリングは、これまで国家に貢献してきたにもかかわらず、国家によって苦しめられていたのだ。

Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

スキャンダル、去勢、突然の死

1952年、アーノルド・マレーという男性と同性愛関係にあることが警察に知られて、人生は急転する。当時のイギリスでは、同性愛は犯罪だった。
法廷に立ったときも、チューリングは戦争の英雄であることを明かしたりはしなかった。何も知らない人々に、彼は言う。

「事実について争うつもりはありません。けれど、そのうえで僕は無罪を主張します」
「事実を認めるのに、なぜ無罪と?」
「なぜ、ですって? 僕たちの行為は、罪であるべきではないからです」

アラン・チューリング、有罪判決。オスカー・ワイルドが19世紀に投獄されたのと同じ罪状。
その後、服役か保護観察かの選択を求められて後者を選び、同性愛矯正のための定期的なホルモン投与を余儀なくされた。いわゆる化学的去勢である。21世紀の人間からみれば、屈辱的で非人道的な措置。諜報機関での仕事は辞めざるをえなくなり、政府関連の研究施設への立ち入りも禁止され、常に監視の目が光る毎日。

そして2年後の1954年6月8日、彼は自宅で死亡しているところを通いのメイドに発見された。

チューリングの死にまつわる陰謀論

部屋には青酸の瓶があり、ベッドの横にはかじりかけのリンゴがひとつ落ちていた。検死の結果、死因は青酸中毒と判明。公式には服毒による自死ということになっている。

しかし、事故死ではないかとの疑惑もいまだ根強い。
自宅で行っていた化学実験により、青酸ガスを吸い込んでしまったのではないかというものだ。翌日に数学者バーナード・リチャーズと会う約束をしていたこと、また楽しそうに翌週の予定を立てていたことなどが疑惑の根拠となっている。もちろん、親しい人たちを悲しませないために事故死を装って自殺した可能性もゼロではない。

一方で、自死でも事故死でもなく、じつは殺害されたのだという見方もある。それはこういうことらしい。
第二次世界大戦のあとにやってきたのは冷戦だった。それはスパイの時代であり、当然ながら暗号解読技術はトップシークレット。
チューリングは暗号やコンピュータに関する国家機密を知りすぎていたうえに、解読の天才として存在そのものが危険だった。他国が彼を拉致したり、同性愛につけこんで懐柔したりしたら一大事。

イギリスではKGBのスパイ網ケンブリッジ・ファイヴが暗躍し、アメリカではマッカーシズムの嵐が吹き荒れていた。いわく、「コミュニストと同性愛者が国家の安全を脅かす」。
学者の自宅に侵入し、眠っている彼の口に、あるいは抵抗する彼を押さえつけて、その口に青酸化合物を押し込むことなどプロにとってはたやすい仕事にちがいない。

イギリスによる謝罪とチューリング法の施行

チューリングの没後、その大きな功績ゆえに、スティーブン・ホーキング博士らによる名誉回復運動が高まった。
1974年、ブレッチリーパークの活動について記された『ウルトラ・シークレット』が出版され、ようやくチューリングの業績は世間の知るところとなる。
2009年にはゴードン・ブラウン首相が公式の謝罪声明を発表。

「時計の針を元に戻すことはできない。だが、彼のおかげで自由な人生を送っているすべての人を代表して謝罪したい。申し訳ありませんでした。アラン、あなたはもっともっと報われてしかるべきだった」

2013年にはエリザベス女王の名のもとに正式に恩赦を発効。
さらに2017年にはチューリング法が施行され、過去に同性愛行為で有罪となり、すでに他界した約5万人の男性が死後恩赦を受けた。チューリングは、死後も多様性の許容という形で社会に貢献したことになる。

ただ、どうも彼らは論点を同性愛にすり替えて、核心をうやむやにしているように思える。英雄をおとしめたのは冷戦時の国家の手前勝手な都合ではなかったか。この20世紀屈指の頭脳を葬った真犯人は誰なのか。

Apple社のロゴマークは暗殺者を示す暗号か

長年ささやかれている噂がある。それは、Appleのロゴはチューリングの死を表しているというものだ。
スティーブ・ジョブズ氏に依頼されてデザインを担当したのはロブ・ジャノフ氏。リンゴが他の丸い果物ではなく、リンゴにしか見えないように、ひと口かじったシルエットにしたのだという。

情報量の単位である「byte(バイト)」と「bite(かじる)」の言葉遊びともいわれている。
これらの話が転じて都市伝説も生まれた。リンゴをかじったのはチューリングで、ロゴのデザインには彼を殺した犯人の名前が隠されているというのだ。強いて言うなら「CIA」にしか見えないが、まさかね。

新50ポンド札が発行された6月23日は、チューリングの109回目の誕生日だった。没して約70年、社会は大きく変わった。キャッシュレスの時代にコンピュータ科学の父が紙幣の顔になるのはなんとも皮肉だ。

戦争では、たったひとつの情報が万人の生死を分け、歴史を転換させる。エニグマとチューリングの闘いが繰り広げられたブレッチリーパークもまた、もうひとつの最前線だった。

Rob Janoff, Public domain, via Wikimedia Commons

参考文献:『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』サイモン・シン著/青木薫訳

※一部の画像はイメージです。
eyecatch source:WikimediaImagesによるPixabayからの画像

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