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アメリカ国歌のモデルは独立戦争ではなかった?

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アメリカ合衆国の国歌と言えば、日本人でも知っている「星条旗よ永遠なれ」ですね。
歌詞の内容的に、独立戦争を題材にしたものと思われがちですが実は違うのです。

アメリカ合衆国国歌の要約ですが・・・
「夜明けの薄明りの中ではためく城壁の旗が見えるか? あれ一晩中砲撃でドンパチあった中はためいてたんだぜ。めっちゃすげえよ、自由の地勇者の故郷にたなびく旗って」
非常にアバウトですがこんな感じです。

ほとんどの人が独立戦争中の逸話ではないかと思うでしょうが、しかし違うのです。
1812年に始まった米英戦争が題材になっています。

米英戦争は、ヨーロッパで続くナポレオン戦争に乗じてカナダに野心を持った当時の大統領マディスンが始めた戦争で、逆にイギリス陸軍の上陸を許しワシントンは陥落。

大統領官邸は焼き討ちに遭ってしまい白く塗りなおさざるを得ませんでした。
これがあの「ホワイトハウス」になります。

勢いに乗るイギリス軍はメリーランド州ボルティモア港を抑えるべく北上し、艦隊もやってきます。
この艦隊には新兵器「コングリーヴ・ロケット」が搭載されていました。大きなロケット花火みたいなものですが当時としては画期的な兵器と言えます。

■コングリーヴ・ロケットを発射する軍艦
By Col. Congreve (NMM PAH7444) [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

1814年9月13日から14日にかけて、ボルティモアを守る「フォートマクヘンリー砦」は2500発を超える艦砲射撃を受けることになりました。
しかし、砦と守備隊は耐え抜きます。少数の死傷者を出したのみで砦は健在で、そこにたなびいていたメアリー・ピッカースギルという地元女性が作った巨大な星条旗も無事だったのです。
これを見たワシントンの弁護士フランシス・スコット・キーが感動して詠んだ詩が後にアメリカ国歌のモデルとなりました。

アメリカ国歌は自由と独立を守る象徴としてその後広く知られることになったことは言うまでもありません。
しかしこの話には後日談があります。

舞台となったフォートマクヘンリー砦は南北戦争時代、政治犯収容所として使われ、南軍に同情的とされたフランシス・スコット・キーの孫が収監されたことがあるのです。
歴史の作り出した皮肉な運命と言えますね。

アメリカ国歌 歌詞 英語 日本語 – Anthem of USA (EN/Japan lyrics) -youtube

 

 

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