2018年、第1次世界大戦終結100周年ということで、クリスマスの時期1914年の非公式停戦が話題になっていました。
ところが非公式停戦は実はその後もいくつか発生していたのです。
非公式停戦とは交戦国の政府同士が合意したものではなく、現地の指揮官同士あるいは自然発生的に起こった停戦状態の事です。
有名なところで1904年の日露戦争中、旅順攻防戦で現地指揮官同士の合意で停戦が実現しています。
これは映画「203高地」でも描かれていますが、負傷者の救出や遺体の回収だけでなく、日露両軍兵士が交流したと記録されているのです。
地区によって期間は様々ですが、長い場所では1週間近く停戦状態になった場所もあったそうです。
今でこそ美談ですが、当時は両陣営首脳は大いに怒り、世論も批判的だったとされています。
しかし「ほぼ」と言ったのは実は第2次大戦でもいくつか発生していたのです。
最も規模が大きいものは1944年10月から始まったヒュルトゲンの森の戦いでの停戦で、機動力や航空戦力にものを言わせたアメリカ軍が森林にこもるドイツ軍に大損害を与えられた有名な戦いですね。
さく裂した砲弾が森の木々を粉々にして兵士に降り注ぎ大損害を出したこの戦いで、ドイツ軍医ギュンター・ シュトュットゲン大尉は人道上の観点から負傷兵救出のための休戦を米軍に申し出ます。その結果6日間にわたり停戦が実現し、ドイツ軍衛生兵が多くのアメリカ軍将兵を救うことになったのです。
他にもベトナム戦争中の旧正月にあたる「テト」での停戦も有名で、これも公式には停戦とされていないのですが、自然とこの期間は戦闘が治まったケースになります。
しかし、北ベトナムはこれを逆手にとって1968年に大規模な「テト攻勢」を発動。古都フエやアメリカ大使館などが襲撃され世界に衝撃を与える結果となりました。
現代の戦闘はスピーディなのでこのような対処は不必要になりました。
ただ何年も続く内戦状態の場所では、今でも事実上として非公式停戦が起こっているかもしれません。
※画像は一部イメージです。
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