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パチンコをしている間に子供が殺された未解決事件「足利事件」とは?

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1990年5月2日、栃木県足利市にあるパチンコ店で、父親がパチンコをしている間に女の子が車で留守番をしていた時に連れ去られ、殺されました。
事件から30年以上経過した今も犯人が見つかっておらず、結局未解決のままとなった事件です。

目次

誘拐された女児

1990年5月2日、19時頃、栃木県足利市にあるパチンコ店で父親がパチンコをしている間に女の子が車で留守番をしていました。パチンコが終わり、車から戻ってくると車内からから女児が行方不明になったのです。翌朝、現場近くにある渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見されたのです。

付近の川底から、女児が身に着けていたと思われる半袖の下着やパンツが泥だらけの状態で見つかり、即日、栃木県警科学捜査研究所(科捜研)が半袖下着に付着していた微量の精液をもとに、犯人の血液型をB型と断定しました。

事件経緯

事件当日、犯人らしき男の人が、現場付近の運動公園へ女の子を連れて行く姿を複数の方が目撃しており、栃木県警は多数の目撃情報を元に捜査を行った結果、同市内に住む幼稚園バスの運転手だった菅家利和さん(当時44)が容疑者候補に浮上、そして逮捕しました。

1991年12月1日、栃木県警はDNA鑑定によって犯人の精液と、菅家さんの生活ごみから採取した精液のDNA型が一致したとの理由で、菅家さんを任意同行で取り調べ、深夜におよぶ取り調べの末、菅家さんの自白を引き出しました。
この菅谷さんの自白が決め手で、菅家さんは同年12月2日、わいせつ目的の誘拐、殺人の容疑で逮捕されたのです。

5月中旬の夜でしたので、すでに辺りは薄暗かったのですが、女児の可愛らしい赤いスカートがよく目立ったために、目撃者たちの記憶にはっきりと残っていたのです。しかし、菅谷さんは、第一審の途中から無罪を主張したのです。それにもかかわらず、様々な事件背景や証拠などを素に検証した結果、宇都宮地裁は無期懲役を確定、続いて最高裁では有罪が確定したのです。

菅谷さんは無罪?

しかし、菅谷さんは無罪を根気よく粘り強く訴え続け、繰り返しDNA鑑定が行われました。その結果、DNAの再鑑定により、なんと無罪が確定したのです。19年もの長い時間を有罪として押し付けられたこの事件は当時新聞、メディアでは注目された事件でした。19年とは子供が産まれてほぼ成人するまでの時間です。

足利事件は一転して、冤罪事件となったのです。菅谷さんは2009年6月4日に釈放されたのでした。事件から19年経過した6月4日でした。

結局新犯人は検挙されず時効が成立してしまい、未解決のまま幕を閉じました。
この後、親が子供をパチンコに連れていくモラルが検討されるようになりました。しかし、残念なことに親が子供をパチンコ店に連れていくケースは中々減りません。
法律で決められないと親は出来ない行動なのでしょうか。

※写真はイメージです。

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