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兵士に聞け 最終章を読んだ

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1992年11月、27年前にこのシリーズの取材を始めた時、著者の杉山隆男氏は不惑を迎えたばかり。
四半世紀を超えて、世界における日本の立ち位置、情勢、そして自衛隊を取り巻く環境は大きく変わりました。

そのごく初期のこと。
日本が初めてPKOに参加し、カンボジアに陸上自衛隊が派遣された時のことを、覚えている市井の人は、どれほどいるでしょうか。
今では大々的なニュースにならずとも、世界のどこかに自衛官たちは派遣されています。
後にアメリカで同時多発テロが発生したことから、日本だけではなく、世界が大きく動きました。
そして、日本を揺るがせた東日本大震災。
そうした全てが、あの頃は予想もしない出来事でした。

自衛隊を知りたい、と自衛官の生の声を聞くことから始まったこの「兵士」シリーズは、杉山氏が当時の自衛官の定年退官の年齢、54歳を迎え、陸自レンジャーなどの過酷な訓練に同行したり、長期にわたる取材が難しくなってきた、という事情もあり、本来は2007年の5作目で終らせると決めていたはずでした。

その決意を翻し、改めて詳細な自衛隊・自衛官のリポートをまとめたのが「兵士は起つ」___東日本大震災という未曽有の災害に直面した日本で、自衛隊という組織が、創設以来最大の危機に際していかに動き、国のために働いたか、ということをまとめなければならないという使命感に他ならなかったのです。

災害派遣という“有事”に直面した自衛官がいかに戦ったかを、杉山氏は直接一人一人に会って、差し向かいで体験を聞き取り、そして纏めた渾身の一冊でした。しかし、さらに時間を経て。

24年にわたる取材を終わらせることを決意させた一番の理由は、自衛隊側の取材環境の激変だったといいます。
彼が見つめ続けた四半世紀の間に、何が、どのように変わってきたのか。
一人の自衛官が一人前になり、定年を迎える間近な年齢になるまでの時間が流れた間に杉山氏がその眼と耳を通してつぶさに感じてきたことを含めての、集大成となった一冊です。

目次

罰金帖

かつて、航空自衛隊のパイロットたちの間には、罰金帖(ばっきんちょう)と呼ばれるノートが存在し、自分のミスを自己申告してその分の“罰金”を傍に置かれた貯金箱に投じる、というシステムが存在していました。
1985年頃に千歳基地の飛行隊の取材をしたNHK特集でもその一部が放送されたこともあり、当時はそれが特に問題視されることはありませんでした。

そこには、毎回のフライトで感じた小さな違和感やちょっとしたミスという軽微なものから、一歩間違えばとんでもないことに繋がった可能性もある、そんな事象までがつぶさに残されていたものです。
その罰金は、取りまとめられて部隊の行事の予算に組み込まれたり、部隊独自のエンブレムなどのグッズを作るために投じられたりしたものですが。

近年の取材では、どの部隊でも撤去されており、罰金帖も貯金箱も見かけることがなくなったのだそうです。
部隊の中でそうした性質のお金を取り扱うことが問題視された可能性が示唆されていますが、部内の情報が一般に広報されることによって、こうした素朴なシステムすら予想がつかない問題として取りざたされること、そして予防という意味で、消されていったのだというのです。
しかし、かつてそのノートに記された詳細なインシデントの数々は、自分の分だけでなく、先輩・後輩、そのフライトのウィングマン同士など、さまざまな立場から検証され、共有されてきたものでした。

勿論、現在でも大きなインシデントに関しては同様の記録やレポートは適宜発行され、そうした公式の資料を皆が閲覧し論じることもありますが、以前そこにあったはずのノートとは意味合いが似て非なるものとなってきているように感じるのだと杉山氏は言います。
そしてまた、違う意味で情報の取り扱いの厳密さと、現場で必要とされているものに齟齬が生じる、という危うさは、海上自衛隊の新人教育にものしかかっているのです。

「秘」と「世界の艦船」

情報機器が多様化してくるにつれて、自衛隊の中でも情報漏洩などの事件があったり、世間一般の情報取り扱いの基準以上のクオリティを求めることによって、逆に現場の自由度が枠にはめられて効率が落ちる、という逆転のような現象が起きています。
昔は、海上警備行動などで撮影した他国の艦船の写真、そして先輩隊員たちの経験値を詰め込んだ手作りの資料などを基にして船乗りたちの“目”を鍛えていたそうなのですが。
現在では、そうした写真そのものが“秘”として扱われるため、プリントアウトして教材を作ることができなくなってきた、というのです。
まさに本末転倒。

船乗り、そして哨戒機を駆る海上自衛隊の隊員らは、沢山の艦(船)を見てその形を頭に叩き込むことも大切な仕事です。
しかし、そこで正規のデータを学習に活用できない、となった時。
ではどこからその情報を得るか___なんと、それは市販の雑誌から、という事実。
書店のホビー雑誌コーナーに並ぶ、歴史ある雑誌「世界の艦船」を部隊で購入し、毎号を皆でページに穴が開くのではないかというほどに読みこむというのです。

「秘」でもなんでもなく、そうした一般に流通する艦船の写真を教材にして学ばなければならない、というのはなんという“不便”でしょうか。
「秘密は、それに 触れる人の 手を 縛る」___この言葉が、最前線で働いている隊員たちのそうした日々を見事に表しています。
しかし、島国である日本の周囲を航行している膨大な数の艦(船)を目視する警備行動の中で、実際に不審船が出没し、発砲事件も発生している昨今、この状況で本当に良いのか、という思いもありながら…その中でも、隊員らは自ら暗号のように他者には読めないノートを作り、雑誌の写真を懸命に読み取ることによってそのスキルを上げていくのです。
「普通の艦を沢山見ているからこそ、おかしい船がわかるようになる」
その言葉は膨大な船を見て、学んできた人の率直な感慨だったのです。

神は細部に宿り給う

杉山氏がその言葉を知ったのは、大先輩というべき作家・開高健氏のベトナム戦争を取材したルポの中であったと述懐しています。
当時、一般人がなかなか知ることができなかった国際社会の裏側を見るために様々な場所を訪れていた開高氏でしたが。
“体制側”が見せたい場所は綺麗に飾り立てられ、作られたものばかりであり、彼が知りたかった本質が見えるものではなかったのだ、というのです。

彼が見つめ続けたのは、最前線にいる人々の姿。
「本質は しばしば その周りに 漂う 匂いの 中に 姿を あらわしている」
杉山氏は、その言葉を胸に“解釈”や“論”に頼ることなく、隊員ひとりひとりの囁きや呟きという“細部”を拾い続け、それらのまわりに漂う“匂い”に拘り続けてこのシリーズを綴ってきたのです。
基地や駐屯地、そして護衛艦の中に入ってみて感じること。
兵士シリーズの初期によく書かれていた、廊下や階段の途中にある姿見の鏡のこと。
まさに、その空気感や、そこに漂う匂い、そこで働く者たちの匂い。

そうしたものを追い求めてきた四半世紀にわたる取材にも、時代の変化は押し寄せてきていたと杉山氏は言います。
現場で話を聞くときにも、かならずその場に広報官が立ち会うようになり、以前は自衛官だけでなくその家族にも様々な話を聞くことができたのが、今では「それに対応できる者がいない」として、取材が叶わなくなったのだと。
自衛隊の広報の在り方は、東日本大震災の経験や、TBS系で放送されたドラマ「空飛ぶ広報室」を経て随分様変わりしましたが、こうした所にもその影響があったのには驚いています。

長年自衛官たちの中に入り、近い距離の中で小さなこと、そこに漂う何かを追い求めてきた杉山氏にとっては、こうした変化に阻まれ始めたことも、取材を終える時期がきたのだ、という思いに繋がったのかもしれません。
細部に宿る何かを汲み取るのが自分の仕事である、と考えていたのだとしたら、それは納得の理由と実感しました。

みどころ

自衛隊はその創立初期から、「日陰者」という言葉が付きまとっていました。
その言葉は防衛大一期生の卒業式に際し、その組織の生みの親であり当時の宰相であった吉田茂氏が語ったものです。
しかし、そのネガティブな「日陰者」という言葉だけが取りざたされ、何かと引き合いに出されて問題とされていましたが。
その挨拶を最初から聞いて、読み解けば、彼がその言葉を使った意図、そして彼が真に願うことが見えてくるのです。

「自衛隊が 国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは 外国から攻撃されて 国家存亡のときとか、 災害派遣のときとか、 国民が 困窮し 国家が 混乱に 直面している ときだけなのだ。
言葉をかえれば、 君たちが ”日陰者“ であるときの方が、 国民や 日本は 幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい…」

杉山氏が災害派遣で活躍した自衛官にインタビューをしたとき、聞き取った言葉がありました。
「自衛隊は目立たない存在でいた方が、日本というか、国というか、平穏なんだな…」
“日陰者”という強烈なインパクトのある言葉を“目立たない存在”に置き換えれば、意図せずこの現役自衛官が吐露した言葉は、そのまま創設の功労者たる吉田茂氏の信条に通じるのです。

戦後、そして創設から60年を超えてなお、そのポリシーは“現代っ子”だの“新人類”だのと呼ばれている世代にも引き継がれている、というのは奇妙でもあり、不思議でもあります。

この兵士シリーズには、多くの生身の自衛官たちが声を寄せていました。
単なる“自衛隊レポート”とは一線を画すと杉山氏が自負しているのは、その層の厚さです。
日本人として、自衛官として、彼らが語った人生、その時の思っていること、感じていることは、総勢25万人を超える三自衛隊の組織から湧き上がる素顔そのもののように思えました。

「ことに及んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えることを誓います」

昔は六本木・桧町(現在の六本木ミッドタウン)、現在は市ヶ谷にある防衛省を中心に、北海道から沖縄、尖閣諸島といった国際情勢の最前線を飛ぶ者たち。
そして、大きなニュースになった災害現場のど真ん中に飛び込んでいくレスキューなど。
様々な立場で戦う自衛官たちの姿をあぶりだしてきたこのシリーズは、杉山氏が掘り起こした沢山のエピソードと、彼にしか引き出せなかっただろう自衛官の生の声にあふれています。
もし、できることならば、最初の一冊目から順を追って読み進め、この“最終章”を目指していただきたい、と思っています。
なぜなら、自衛隊、自衛官を見つめ続けている間に流れてきた情勢の移り変わりは日本という国の在り方をいくつもの視点であぶり出し、引き出しており、ある部分は今となってはまるで“予言の書”のようですらあるからです。

東日本大震災を経て随分と好意的にみられるようになった自衛隊は、それ以前から様々なものを背負って存在しており、今もなお、苦闘を続ける組織と言っても良いでしょう。
その存在について、諸手を挙げて礼賛することは難しいけれど、功績は、直視され、正しく評価されて然るべきであると私は思っています。
どうか、このシリーズのどれか一冊でもいいから、一読してみてください。
この国を守っている人たちの現実の一端が、きっと見えてきます。

(C) 兵士に聞け 最終章 杉山隆男 新潮文庫

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