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「あやこさんの木」の考察~古い木に宿るもの

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一言で怖い話といっても、その種類は様々です。人間が恐ろしいもの。人ではない何かが恐ろしいもの。また、結末がはっきりしていてすっきり終わるもの。もしくは、恐怖の対象がはっきりせず、分かりやすい結末のないもの。

それぞれ特徴的な恐ろしさを持つものの、恐怖の対象がよく分からないままに終わる物語は特に独特で、もやもやとした、なんとも言えない感覚を残します。

今回ご紹介していくのは、そんな独特の感覚を残す「あやこさんの木」という怪談です。
「あやこさんの木」とはどのような話なのでしょうか。また、その木に宿るものとは何なのでしょうか。考察していきます。

目次

「あやこさんの木」とは

「あやこさんの木」とは、2011年に2chの「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?(略:洒落怖)」に投稿された実話形式の怪談です。淡々とした語り口で、語り手が子供の頃に体験した恐ろしい体験が語られています。

この怪談の特徴は、確かに「怖い話」ではあるものの、恐怖の本質とでもいうべきものが明かされていないという点にあります。「あやこさんの木」が話の軸であることは間違いないのですが、その木の何が語り手に恐怖体験をさせたのかが、よく分からないのです。

分からないのは怖いものです。そして、その恐怖は劇的なものではないものの、いつまでも残り続ける不思議な後味があります。
ここから、そんな「あやこさんの木」のあらすじを、簡単にご紹介していきましょう。

あらすじ

語り手の「私」が通っていた小学校のグラウンドには、「あやこさんの木」と呼ばれる立派な木がありました。あやこさんの木と皆が呼ぶものの、その理由ははっきり分かっていません。

ある日、児童の運動の邪魔になるという理由から、あやこさんの木が切り倒されることになりました。
伐採が行われるのは、小学校の授業中。チェーンソーが木に当たった音がしたとき、学校中に人の叫び声のようなものが響き渡ります。その叫び声は、木が完全に切り倒されるまで続きました。そして「私」たちは、そのまま集団下校をし、次の日の休校も決定しました。

次の日、あやこさんの木はお祓いをされていました。校庭には入れません。

その日の夜、「私」は夜の10時過ぎ、学校の前を通りかかりました。何気なく校庭を覗くと、1人の女の子が切株の上に座っているのが見えます。恐怖に慄いた「私」が家に帰ろうとしたとき、市内放送が流れました。なんでも、1人の女の子が行方不明になったと言うのです。

怖がりながらも女の子に近付く「私」。女の子は「私」に、「どうして切ったの?」と問いかけます。やがてその表情は怒りに代わり、「私」に詰め寄ってきました。
そのとき学校の方から、木が切り倒される際に聞こえた悲鳴のようなものが響き渡りました。「私」は恐怖から女の子を突き飛ばし、学校の外へと向かいます。校門にはパトカーが止まっていました。

切株に座っていた女の子は、やはり行方不明になった女の子でした。2人でお祓いを受けたものの、彼女は記憶をほとんど無くしており、「私」と話した記憶も残っていません。
あやこさんの木について、大人は誰も知りませんでした。しかし古い木ですから、何かが宿っていたのかもしれません。

木に宿るものとはなに、アニミズム的観点から考える

「「あやこさんの木」は、その表題の通り、一本の木がストーリーの中心となっています。しかし、この木は非常に謎めいた存在です。なぜ「あやこさん」なのか、どんな曰くがあるのかなどが、一切描かれていないのです。
もちろん、「あやこさん」にまつわる逸話はいくつかあります。しかしそれは、学校の怪談程度の噂話であり、真実味があるものではありません。

本文中で、語り手の「私」は、あやこさんの木について学校の先生たちからこう聞きます。「昔からある木だから、何かが宿っていたのかもしれない」と。

古い木に何かが宿る。それは昔からある話です。しかし、本当にそれだけなのでしょうか。ここから考えていきたいと思います。
とても古い信仰の形に、「アニミズム」というものがあります。これは、世の中のありとあらゆるものに霊魂が宿るとする考え方で、精霊信仰とも呼ばれています。

奈良県の大神神社をご存じでしょうか。この神社は三輪山そのものをご神体としており、本殿はなく、拝殿を通してお参りする形を取っています。少し分かりにくいかもしれませんが、「山そのものを祀る」というこの形こそがアニミズムなのです。
そんなアニミズムの一例として、「木に宿る精霊」があります。「木霊」と呼ばれることも多く、『もののけ姫』に登場する木霊のようなものから、キジムナーのように福の神的一面と恐ろしい一面併せ持つものとして表現されることもあります。

「あやこさん」と言われると、どうしても人間や、人間由来の霊的なものを想像してしまいます。だからこそ、あやこさんにまつわる様々な噂話も生まれたのでしょう。
しかし、あやこさんの木に宿っていたものが幽霊ではなく、精霊的なものであると考えればどうでしょうか。木にまつわる明確な云われが分からないことが理解できるはずです。木の精霊が気に着くことに、理由は必要ありません。

また、長い間立つ木がご神木として扱われることがあるように、長い間校庭に立っていたあやこさんの木が、守り神となっていたらどうでしょうか(ご神木的地位にある木を切ったとき、悲鳴が響き渡ったという話は古今東西あるものです)。
書かれている中では、何か大きな問題が起こったわけではなさそうです。しかし、これからも安全であるとは限らないでしょう。

アニミズムと「あやこさんの木」

怪談「あやこさんの木」について、アニミズム的な観点から考察してきました。

木とは身近なものです。学校や神社、家の庭などに生える大木に、よじ登って遊んだ経験のある人は少なくないことでしょう。もし、その木の中に、神聖ななにものかが住んでいたとすればどうでしょうか。木に対する見方が少し変わるかもしれません。

子供の頃に馴染みのあった木を考えながら「あやこさんの木」を読んでみてください。もしかすると、それがあやこさんの木なのかもしれません。

※画像はイメージです。

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