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天と地を繋ぐバベルの塔はなぜ消えたのか?

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バベルの塔はバビロンにおいて建てられたジッグラト(ピラミッド)です。
ジッグラトは高い所を意味しており、天と地を繋ぐものでした。

目次

旧約聖書に登場する塔

バビロンはメソポタミア南部のエリアにあり、バビロニア王国の首都と言われております。そこには天高くそびえるバベルの塔があり、7階建てで高さは90mあり最上階には神殿もありました。一週間7日と定義付けしたのはバビロンの捕囚だったユダヤ人になり、バベルの塔の階層は曜日を示しているとされています。

バベルの塔は旧約聖書の創世記に登場しており、いろいろな解釈が存在しています。例えば創世記にあるノアの箱船の後に繋がる部分に、「シュメールに平野を見つけ、ブロックとアスファルトを使った技術を使って、都市と天国への階段(塔)を築きました。神は彼らの団結力がいつか神の存在を脅かすと判断し、神は人が使う言語を通じないようにします。

人はお互いを理解することができなくなり、都市や塔の建設は中止になり、人々は散り散りになりました。世界の各地へ移動するようになり、個々の言葉を話すグループで街を作り世界は分裂します。この崩壊した都市はバビロンと呼ばれ、今も謎のままになっています。

ピーテル・ブリューゲルのバベルの塔
ピーテル・ブリューゲルのバベルの塔
Pieter Brueghel the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons

円筒形ではなくピラミッドタイプ

いろいろなジッグラトが発見されており、エ・テメン・アン・キの遺跡がバベルの塔の基盤だったとされています。そこからは旧約聖書に記載されているバベルの塔と同じく、乾燥したり燃き固められたレンガがあり、アスファルトを使ったモルタルなどで建造されていました。

バビロニア王国だったとチグリス・ユーフラテス川周辺には、多くのジッグラトと予想される遺跡が多く発見されています。最古のバベルの塔の碑文が発見されており、黒い石に刻まれたものがあります。当時支配していたネブカドネザル二世やジッグラトなどが描かれており、石碑に描かれたものはいわゆる円筒形ではなく、7階建てで最上階に神殿があるタイプです。

この石碑に描かれたものが実在の姿に近いと言われています。旧約聖書にあるバベルの塔、つまりバビロンのジッグラトモデルは、現在でも謎のままです。はっきりした場所なども解明されておらず、バビロンには塔は複数あったとも言われています。

バベルの塔は何度も戦乱のために破壊されており、完成しなかったのが聖書のようなストーリーになったという説もあります。旧約聖書は新バビロニア王国時代に書かれており、古バビロニア王国時代から千年以上後のことです。古代メソポタミアにはバビロンはもちろん、他の都市にも多くのジグラットがありました。

バベルの塔とは?

バビロンのものがバベルの塔になった理由として、当時新バビロニア王国においてたくさんのヘブライ人(ユダヤ人)がバビロンに連れられます。捕囚として都市建設に従事させられ、ネブカドネザル二世は古バビロニア王国時代の塔も再建しました。ヘブライ人は捕囚として建設させられた塔と、あったとされるバベルの塔と重ねて旧約聖書を書いたのかもしれません。

※画像はイメージです。
featured image:Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

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