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史上最大の市街戦・スターリングラード攻防戦とは?

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今年2021年、開始から79年が経過したのが、史上最大の市街戦と言われるスターリングラード攻防戦です。この戦いは独ソ戦のみならず、第二次世界大戦の欧州での戦いの分岐点となった激戦でした。少し歴史をし選べて見ました。

スターリングラード攻防戦は1942年6月28日 ~ 1943年2月2日に渡って、第二次世界大戦の独ソ戦・東部戦線において、ソ連領内の工業都市スターリングラード(現ヴォルゴグラード)を巡って争われた、ドイツを中心とした枢軸軍とソ連軍との一連の戦闘の事です。

スターリングラードは時のソビエト連邦最高指導者であったヨシフ・スターリンの名前を冠した都市であったことから、ヒトラーが攻略を厳命したことから熾烈な攻防戦が展開されることとなりました。この戦いは史上最大規模の市街戦に発展し、やがては日露戦争の奉天会戦、第一次世界大戦のヴェルダンの戦いを上回る兵力が投入され、多数の犠牲者をもたらす野戦に拡大しました。

開始当初は、ドイツ・枢軸軍側が優勢であり、市街地域の約90%以上を占領しました。しかし最終的にはジューコフ率いるソ連軍側の反撃によって、ドイツ第6軍を主軸とする枢軸軍が包囲され、降伏しました。独ソ戦の行方を決し、第二次世界大戦の方向を決定したターニングポイントとなる戦闘でした。アメリカの軍史家イヴァン・ミュージカントはこの戦を評して「ミッドウェイ海戦、エル・アラメインの戦い、第三次ソロモン海戦」と並んで第二次世界大戦の転換点であると位置づけています。

死傷者数はの第一次世界大戦のソンムの戦いなどの激戦を遥かに超える規模となり、ドイツ・枢軸側が約85万人、ソ連側が約120万人、計200万人の兵士が死傷しました。街は完全に破壊され、開戦前には60万いた住民は、終結時点では約9800名にまで減少、戦闘の犠牲になったと伝わっています。第二次世界大戦でも最大の激戦であり、且つ又ナチスドイツおよび枢軸国の命運を決定させた戦いでした。

eyecatch source:Soviet Government, Public domain, via Wikimedia Commons

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