歴史に翻弄された4隻の未完成戦艦、ほんの偶然で運命が変わり、また海での戦いに大きな変化をもたらす事となる。
かつて日本海軍は海上戦力の更なる強化のため、当時の最強クラスの長門型戦艦のみならず、更に戦艦を建造する計画を立てていました。
そこで計画されたのが天城型巡洋戦艦と加賀型戦艦であった。
それぞれ建造が決まり、実際に工事が開始され船体は徐々に作られていきました。
一つ目の運命の転換(軍縮条約)
1922年に取り決められたワシントン軍縮条約により日本は現在完成しているもの以外戦艦を所有する事が出来ない事となった。
そのため日本の保有戦艦は
・金剛型 4隻
・扶桑型 2隻
・伊勢型 2隻
・長門型 2隻
のみまでとなり天城型・加賀型は既に工事は始まっていたものの戦艦として完成させる事ができなくなってしまった。
そこでまだ建造が認められていた航空母艦を2隻建造する事に変更。
天城型巡洋戦艦を航空母艦として作り、空母「天城」「赤城」とする計画に変わりました。
一方加賀型戦艦は処分する事となり、「加賀」「土佐」は廃棄される運命と決まりました。
2つ目の運命の転換(関東大震災)
1923年に発生した関東大震災で建造中の空母「天城」に大きな損害が発生、竜骨という船にとって非常に重要な箇所が損傷したため、修理困難と判断された。そこで急きょ廃棄されるはずだった戦艦「加賀」を「天城」の変わりに航空母艦にする事が決定。
これにより「加賀」は「幻の未完成艦」から日本海軍を代表する軍艦の一隻となった。
完成後の2隻の運命
その後完成された空母「赤城」と「加賀」は同じく空母の「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」と共に、真珠湾攻撃に参加、航空戦力でアメリカ海軍の戦艦に大打撃を与えるという大戦果を挙げ、海の戦闘の主役が戦艦から空母(航空機)に変わっていく事を証明してみせ、その後も「赤城」を中心とした機動部隊は活躍を続けていった。
コストの問題から空母を運用している国は限られているものの、現代でも空母は非常に強力な戦力で、アメリカ海軍の空母は1隻で小国の空軍並みの戦力と言われています。
だがその「赤城」「加賀」と「蒼龍」「飛龍」はともにミッドウェー海戦で自らも敵航空機の攻撃を受けた事で原因で沈没(大破→味方による処分)という最後を迎える。
表舞台に出る事のなかった残り2隻の運命
戦艦「土佐」は廃棄される事となり標的艦としての最後を迎える事となった。
今、廃墟スポットとして有名な長崎県端島だが、この島が「軍艦島」と呼ばれるのはこの「土佐」に姿が似ていたからです。本物の「土佐」は海中に沈んでいますが、軍艦島をみて「土佐」の姿を想像してみてはどうでしょう。
「天城」はその一部の資材を利用し浮き桟橋へと変わりました。
そして今でもジャパンマリンユナイデット磯子工場で使われています。
そして海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦の工事に使用されました。
その護衛艦の名前は「かが」
自らの代わりに空母になり、自身の妹艦と運命を共にした艦の名前を受け継いだ船です。
「赤城」も「加賀」も「土佐」もみんな海へ沈んでしまいましたが、「天城」だけは当初と違った形であるものの、21世紀になっても活躍を続けています。icon image: public domainの画像を使用しております。
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