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戦艦陸奥記念館があるのをご存知ですか?

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皆様は日本に戦艦の博物館があることをご存知ですか?横須賀の三笠以外に山口県の周防大島に突端に、戦艦陸奥記念館という施設があります。

目次

戦艦陸奥とは

戦艦陸奥(むつ)は、大日本帝国海軍の戦艦です。艦名は青森県から福島県にかけての旧国名の陸奥国からとられています。
長門型戦艦の2番艦であり。八八艦隊計画の二番艦でもありました。1番艦である戦艦「長門」と共に、大日本帝国海軍の力の象徴として日本では親しまれていました。

竣工当時は世界に7隻しか存在しなかった巨大な40cm砲を搭載した戦艦として『世界七大戦艦』(ビッグセブン)と呼ばれていました。戦艦陸奥と長門とは、交互に連合艦隊旗艦のを務めたため大変、知名度の高い戦艦でした。

新造時のスペック

1921年(大正10年)10月19日時点で、排水量33,750トン、87,479馬力で26.728ノットの性能を発揮し、こ後の大和型戦艦に迫る速力を記録しました。
長門とは後橋や艦橋指揮場の形状に若干の相違があり、艦首フェアリーダーの位置がやや先端に向かっています。
艦首は連繋式1号機雷の連繋索を乗り切るための形状となっていました。菊花紋章は長門よりもやや高い位置についており、長門との識別すできる点となっていました。

陸奥の最期

第二次世界大戦中には他の戦艦部隊(大和、長門、伊勢、日向、山城、扶桑)等と共に大きな作戦への傘下は少なく温存されていたものの、1943年(昭和18年)6月8日、原因不明の爆発事故を起こして柱島沖で沈没しました。

戦後浮揚作業が行われて、1970年(昭和45年)には船体の一部や船首の菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収されました。

■ 横須賀ヴェルニー公園の41cm主砲

陸奥記念館

山口県周防大島町にある町立の博物館です。戦艦陸奥に関する遺物や遺品などが展示されています。
入口には艦首錨及び錨鎖が設置されていて、記念館に向かい右の丘には屋外展示物としてスクリューや14cm副砲や艦首先端部があり、慰霊碑も建てられています。
山口方面にお出かけの際はぜひ足を運んで見られてはいかがでしょうか。

※画像はイメージです。

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