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人は思いこみだけで死ぬ?黒い心理実験「ブアメードの血」

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人は思いこみによる影響をたくさん受けながら生きている。環境・価値観・経験値・学習その他もろもろで形成された思いこみのバイアスを一人ひとりがもっていて、これがない人間はまずいない。
よい方向に働く思いこみで有名なのがプラセボ効果だ。薬効のない偽薬でも、「これは絶対に効く」と信じこむことで症状が改善したり、本当に回復したりする現象のことをいう。「痛いの、痛いの、飛んでいけ」に似たポジティブ系の心理効果である。

反対に、悪い方向に働くノセボ効果も存在する。人体に無害な薬剤であるにもかかわらず、「身体に有害なのでは?」と心配しすぎると、本当に副作用がでたり、症状が悪化したりする。

どちらの場合も必ずそういう結果になるわけではないけれど、こうした心理作用は不自然なものではないと思う。人間の心と身体が密接な関係をもつことは現代社会ではすでに共通の認識であり、思いこみには、よくも悪くも人体に働きかける力があるのだ。
その極めつきが、悪名高き人体実験「ブアメードの血」である。思いこみがもたらす摩訶不思議な生理現象をのぞいてみよう。

目次

ブアメードの血実験

ノセボ効果の最たる例として紹介されることが多い「ブアメードの血」。
まずは概要に触れておこう。

19世紀のオランダで、医学の発展を名目に、ある実験が行われた。
被験者は死刑囚ブアメード。彼は医師団から実験への協力を懇願されて、引き受けることにした。少々危険をともなう実験だと聞かされたが、無事に終了したあかつきには恩赦を与え、自由の身にするという。どのみち死刑になる身である。失うものなんてない。
当日、医師のもとへ連れてこられ、こう説明された。
「人は3分の1の血液を失うと死ぬといわれているが、われわれは疑問に思っている。そこで、きみから3分の1の血液を抜いて生きていられるかどうかを検証したい」
彼は手術台に寝かされ、手足を固定され、目隠しをされた。
「では、実験をはじめます」
つぎの瞬間、足に鋭い痛みが走った。医師が足の親指にメスを入れたのだ。皮膚に血が伝うのを感じる。床の容器にポタポタと滴り落ちる音も聞こえる。少しずつ血が失われていく。気分が悪くなってきた。
(引き受けなきゃよかった……)

長い時間が過ぎたように思えた。医師たちは出血量を定期的に確認し合う。
「失血はどれくらいになったかね?」
「5分の1です」
ブアメードの顔色は悪く、息づかいも荒い。
「失血は?」
「今、3分の1を超えました」
出血が致死量に達したのを知ったとたん、彼は死んでしまった。
実験終了である。

思いこみで死んだ男

生命倫理的ななんやかんやは今回の主題ではないのでスルーさせていただく。ここで注目したいのは、医師が与えた「3分の1の失血で人は死ぬ」という情報が彼を殺したことだ。

じつは、この実験で彼は1滴たりとも出血していない。医師は足を切開したふりをしただけで、実際はフォークの先を押しつけたのだ。手術台の横には水の入ったサイフォンが設置されており、水がチューブを伝って下の容器に落ちる仕組みになっていた。
医師たちのやりとりも、あらかじめ用意されたシナリオどおり。つまり、被験者には死ぬ理由がなかった。したがって、想像よって死んだことになる。「3分の1の失血で自分は死ぬ」という思いこみが生命機能を停止させたのだ。
出血量の実験というのは表向きで、医師団は初めから「人間は思いこみによって死に至るかどうか」を調べていたのである。

実験対象が視覚を奪われているからこそ成立する実験。目隠しをされているから足を切られたと思いこみ、水の音も血だと信じこむ。
失血しながら、だんだんと死に近づいていくのを自覚する。拘束されているため、解放されることはない。「このままだと死ぬ」という認識が、さらに暗示を強くする。極限のストレス状態だ。

実験の真偽

さて、紹介した以上はお断りしておかなければならないが、この実験には都市伝説疑惑もある。その理由は、実験者、場所、時期といったディテールが文献によってまちまちだからだろう。
たとえば、舞台はオランダ、フランス、イギリスなどがあるし、時期は18世紀、19世紀、20世紀初頭、1936年などのバージョンがある。傷をつける場所も足の指だったり、首だったり、四肢の先端だったりと安定していない。「ブアメード」という名前が明記されていないものも多く、仮名なのか実名なのかもわからない。
原資料となる論文があれば、これほどの揺れは生じないだろうと筆者も思う。しかし、少なくとも2世紀近くにわたって欧米の新聞・医学誌・学術誌が言及してきた実験であるうえに、ノーベル賞受賞者までもが自著で取り上げているので判断に苦しむ。時代を超え、言語を超えて拡散されるうちに伝言ゲームの体になってしまったのだろうか。

これと似た話に「冷凍室と作業員」がある。ストーリーはこうだ。
米国のある電機メーカーで、一人の作業員がうっかり冷凍室に閉じこめられてしまった。大声で助けを呼んでも誰にも届かない。翌朝になって、彼が中で凍死しているのが発見される。しかし、冷凍室の電源は昨日から切られたままだった。
「自分は凍死する」という思いこみが作業員を死に至らしめたという話である。

「そんなばかな。まあ、ブアなんとかにしろ作業員にしろ、まともな精神状態じゃいられなくなるのはわかるよ。だが、死を考えただけで本当に死ぬなんてことがあるのか? 外傷を与えてもいないのに? しょせんは都市伝説にすぎないんじゃないか?」

ごもっとも。誰でも少しは懐疑的になるだろう。ところが、思いこみによる死亡例が実際に存在するのだ。

悪い思いこみの帰結

ひとつめは、2005年にクリフトン・メドアが論文で報告した男性のケース。
その男性は末期肝臓がんで余命を告知され、がっくりと気落ちした。その後は日に日に弱っていき、余命すらまっとうできずに息をひきとった。しかし、驚いたのは死後のこと。がんではなかったことが解剖で判明したのだ。自分は末期がんで、もうすぐ死ぬと思いこんだせいで心因性の死が起きたのである。

つぎは医師の告知ではなく、自分の体質に思いこみがあるケース。
「自分は心臓病にかかりやすい」と思っている女性の死亡率は、そう思っていない女性の4倍にのぼることがレベッカ・フェルカーの研究で明らかになった。

おもしろいところでは、米国の銃撃事件の被害者に対する調査結果がある。
致命的な部位に被弾したわけではないのに、撃たれた瞬間に動けなくなったと答えた人が4割から5割を占めたのだ。銃で撃たれたときの衝撃は、じつは思っているほど大きくない。なのになぜそれほどのダメージが生じるかというと、映画やドラマによる刷り込みがあるからだ。
映像作品では往々にして、撃たれた側のリアクションがオーバーに演出される。威力の低い銃で撃たれたにもかかわらず、吹き飛ばされるように倒れたり、悲鳴をあげてのけぞったりする。わたしたちは映画やドラマを観るときに、「銃で撃たれたらどうなるか」を学習している。つまり、映像から得た間違った情報を本番で脳が採用してしまうのだ。「撃たれたらこうなる」という思いこみである。

思いこみとのつきあい方

心のバイアスがもたらす生理現象のメカニズムは今も解明されていない部分が多く、今後の研究をまたなければならない。しかし先の引例のように、信じこむことで反応があらわれることは確かにある。

よい方向に思いこめばよい結果がでやすくなり、悪い方向に思いこめば悪い結果がでやすくなる。
それならいっそ、万事よい方向にとらえればOKと早合点しがちだが、それでは問題が起きてしまう。人間が生命を維持するには恐怖も必要だからだ。言い換えれば、恐怖を恐怖と感知するセンサーである。
たとえば、自分に向かってうなり声をあげているドーベルマンを見て、「近づいたら噛まれるかもしれない」と思うか、「なでても大丈夫だろう」と思うか。
この場合、危機を回避できる可能性は前者のほうが格段に高い。人間の危機回避システムに「ネガティブな思いこみ」は組み込まれていて、両方のバランスをとれるようにプログラミングされているのだ。

わが国には「念ずれば通ず」「病は気から」といったことわざがある。日本人は古くから、思いこみがもつ不思議な作用を知っていたのではないか。
力に変わる場合もあれば毒に変わる場合もある。となれば、うまくコントロールすることが求められるバイアスである、というオチになる。

※画像はイメージです。

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