大空で華麗なアクロバット飛行を見せる飛行隊と言えば、日本では航空自衛隊所属の「ブルー・インパルス」がお馴染みだが、アメリカではその地位にあるのが「ブルー・エンジェルス」だろう。但し「ブルー・エンジェルス」はアメリカ海軍に所属する部隊であり、同様にアクロバット飛行を行う「サンダーバーズ」がアメリカ空軍に所属する部隊となっている。
今年2020年は「ブルー・エンジェルス」が2008年から使用してきた機体・F/A18C/Dレガシー・ホーネットの最終運用年にあたり、2021年からは使用機体がF/A18E/Fスーパーホーネットに更新される。しかしF/A18E/Fスーパーホーネット自体が実戦部隊である航空母艦艦載機に配備され始たのは、実に1999年まで遡り、その意味ではこちらもF-35ライトニングⅡC型などに更新されつつある。
「ブルー・エンジェルス」は毎年全米34箇所で述べ70回以上となる飛行ショーを披露しており、2021年からは青地に黄色のカラーリングを施されたF/A18E/Fスーパーホーネットを見る事になる。
「ブルー・エンジェルス」の起源
「ブルー・エンジェルス」はミニッツ級航空母艦にその名が冠されたことでも有名な、アメリカ海軍のチェスター・ニミッツ元帥によって1946年4月に創設された。当時のチェスター・ニミッツ元帥は1945年11月より、自身の海軍での最後の役職となる作戦部長を務めており、その任の一環として海軍航空兵力の存在のアピールを企図したとも伝わる。
これは太平洋戦争の終結に伴い、それまでに肥大化していた海軍の削減を主任務としていたことも影響していたと考えられ、軍縮の流れの中でも存在意義を主張したものだろう。
創設から2ヶ月後の1946年6月に「ブルー・エンジェルス」は、当時の本拠地であったフロリダ州ジャクソンビル海軍航空基地で初となる飛行を実施した。更に同年8月には「ブルー・エンジェルス」の飛行形態として、菱形上に編隊を組んで飛行する「ダイヤモンド編隊」を披露し、今に続く飛行技量を広く世界に見せつけた。
「ブルー・エンジェルス」の休止と再開
チェスター・ニミッツ元帥の肝いりで創設された「ブルー・エンジェルス」ではあったが、1950年の朝鮮戦争の勃発に際して一時活動休止となり、隊員達も第191戦闘機隊に配属された。
191戦闘機隊は航空母艦「プリンストン」に属する部隊であり、同艦自体も朝鮮戦争前には予備役編入に回されていたが再就役したもので、以後1960年代にはベトナム戦争にも投入され1970年に退役した。但し「ブルー・エンジェルス」自体は、翌年の1951年にテキサス州コーパスクリスティ海軍航空隊基地に拠点に移して復活し、同年6月の航空ショーでアクロバット飛行を見せている。
以後、1954年に「ブルー・エンジェルス」は現在の本拠地であるフロリダ州ペンサコーラ海軍航空基地に居を移し、1971年には日本の航空自衛隊小牧基地でもその勇姿を披露した。「ブルー・エンジェルス」にとって大きな節目となったのは1974年で、この年より「海軍の入隊志願者を募る」活動を支援する役割が公に付与され、海軍のデモンストレーション部隊に再編されている。
「ブルー・エンジェルス」を支えたF/A18の変遷
2021年から伝統の青地に黄色のカラーリングを施されたF/A18E/Fスーパーホーネットを使用する「ブルー・エンジェルス」だが、初期型のF/A18A/Bの導入は1986年まで遡る。実にこの年から34年にわたり、2008年からはF/A18C/Dに替わったものの、所謂レガシー・ホーネットの使用が継続され、アメリカ海軍の主力戦闘機の座に君臨した同機の歴史そのものとも言えよう。
因みにこれまでのF/A18A/B・C/Dのレガシーホーネットと、これからのF/A18E/Fスーパーホーネットはシルエットこそ似てはいるが全長で1.31メートル、全幅で2.19メートルも拡張されている。このためF/A18A/B・C/のレガシーホーネットとF/A18E/Fスーパーホーネットとは、部品の共通率は僅かに10パーセント程しかなく、両機が別の戦闘機と区別される理由である。
とは言え「ブルー・エンジェルス」は第一線の戦闘部隊ではないため、今回のF/A18E/Fスーパーホーネットへの更新も含め新造機ではなく、オーバーホールされた機体が使用されている。
eyecatch source:this page on http://www.pdphoto.org., Public domain, via Wikimedia Commons
思った事を何でも!ネガティブOK!