ホラー映画や小説で取り上げられることが多い「死者の書」ですが、実際に存在する「死者の書」とはどんなものなんでしょうか?
考察してみたいと思います。
死者の書の実際
人間の生皮で装丁された分厚く重い書物をおもむろにひらき、そこに書かれた呪文のようなものを読み上げる。
一瞬の静寂のあと、地の底から湧き上がるようなうめき声、そしてまた静寂。音もなくドアが開く、用心しながらあたりを見回すが、なにも見当たらず、安心して振り返ったとたん目の前に現れたのは・・・そして、絶叫、または床にころがる恐怖にゆがんだ人間の顔。
なんていうのが映画や小説でみられる「死者の書」を読み上げてしまった後のパターンではないでしょう。
そして、この「死者の書」をメジャーにしたのは、クトゥルー神話で有名なラブクラフトだと思います。
そんな「死者の書」ですが、エジプトとチベットに実際に存在し、今も残されています。しかしその内容はと言うと映画や小説とはかなりかけ離れています。
エジプトの死者の書
古代エジプト人は、死後に死者の審判を抜けると地下の冥界ドゥアトを通り、楽園アアルで再生できると信じていました。生前の身分によってそのレベルは違ったかもしれませんが、誰もが、そう信じてうたがっていなかったようです。審判の際、悪人の心臓を食べ、二度とあの世に再生できなくさせてしまうアメミットの存在は有名です。
そのため王族は生前そのままの身体、身分であの世である楽園アアルで暮らせるように、貴重な貴金属などの宝石などを副葬品として一緒に供したり、自らをミイラとして残したのだそうです。
そのとき必要なものが「死者の書」。死者の書は楽園アアルにはいるための道標ではありますが、審判に掛けられたときに、裁判官に語るべきことが書かれてあります。
今風に言うならば図解とでもいうのでしょうか、美しい絵画とともに棺に記されたり、パピルスと呼ばれる巻物に書かれたりして一緒に収められたのです。
チベットの死者の書
チベット仏教では、死は解脱するための最大のチャンスであると考えられてきました。そのため、死の直後から49日の間、解脱に至るために経典「死者の書」を耳元で唱え続けたといいます。
チベットの死者の書はエジプトのそれとは違い、とても宗教色が濃く感じます。
ダライ・ラマ猊下の例を見るように、チベット仏教では、命は輪廻転生を繰り返すという死生観があり、それから抜け出すためには解脱することが重要。そのため、生きている間にどれだけ修行することが必要なのかを説いています。
チベットの死者の書では死後に解脱できなかった場合は今よりも、より良い世界へ生まれ変われるような方策もかいてあるようです。
死生観
エジプトの死者の書もチベットの死者の書も、残念ながら悪魔や死霊を呼びだし、この世に災いの種をまく類の書ではありません。
そこにはその時代、その土地に生きた人々の死生観が強くあらわれていて、人々は逃れようのない死と言うものに対しての考え方。死後、来世やあの世というものがあると言う概念をあらわし、そこは今よりも素晴らしい世界であると共に、そこに至るまでの道しるべを指し示したものが「死者の書」であります。
死者の書と悪魔召喚
葬祭儀式のためにつくられた「死者の書」がどうして映画や小説では、悪魔召喚のための書になってしまったんでしょう。
おそらくは、西欧での魔術の思想や魔女、小説ファウストにみられるような悪魔との契約や悪魔の召喚など、その他もろもろが小説や映画の媒体で混ざり合ってしまい、「死者の書」イコール「死んだ者を生き返らせる呪術」として定着してしまったんではないのでしょうか?
しかし死者に手向ける書なのに、エジプトでは別の世界があると言い、チベットでは何回も転生すると説く。こんなに死後の世界というものに対する考えがちがうのですね。かんがえると「死」後の考え方は国、宗教、民族でかなり変わっているのかもしれないです。
死んだあと楽園に行くにせよ、より良い世に生まれ変わるにせよ、今生が「苦」であることに変わりないことが、なんとも物悲しい話ではあります。
※画像はイメージです。
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