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井深宅右衛門と会津藩の教育と白虎隊

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白虎隊につながる会津藩の教育について考えてみました。

目次

井深宅右衛門

信濃国には清和源氏の流れを汲む小笠原氏が守護として勢力を有し、井深氏は小笠原氏の一族であるといわれている。
現在の松本市の近くの井深城山を拠点としてい井深氏は、戦国時代末期には保科家の重臣となり、その後、保科家に徳川家から養子が入ったので、徳川家に仕える形になり会津藩の幕臣となった。

井深一族の一人である井深宅右衛門(いぶかたくうえもん)は西暦1830年に生誕した会津藩士である。

日新館の館長として

井深宅右衛門は京都の会津軍事奉行を勤めた後、会津に戻り、学校奉行に就任し、藩校の日新館の館長として幼年の藩士の教育に当たった。生徒の中には、後の白虎隊の隊士となる子供達が在籍していたようである。

日新館では、六歳から九歳までの藩士の子供達の教育のために什(じゅう)という集まり形成して、什の掟というもので教育を行った。

什の掟
一、年長者としうえのひとの言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者にはおじぎをしなければなりませぬ
三、うそを言うてはなりませぬ
四、卑怯な振舞いをしてはなりませぬ
五、弱い者をいじめてはなりませぬ
六、戸外そとで物を食べてはなりませぬ
七、戸外で女と言葉を交わしてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

會津藩校 日新館 https://nisshinkan.jp/about/juu より引用

これを破った子供達には厳しい処罰が待っていた。

「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」と「年長者にはおじぎをしなければなりませぬ」は現代ではついてゆけないものもあるが、「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」だけは「年長者」を「子供達を教育しようと一生懸命になっている親やリーダー」と解釈すれば、受け入れられうる項目になるとは思う。

「うそを言うことはなりませぬ」、「卑怯なふるまいをしてはなりませぬ」、「弱い者をいじめてはなりませぬ」の三つの項目については、現代の学校で悩みの種になっている「イジメ」を防ぐことにつながると考える。

「戸外そとで物を食べてはなりませぬ」と「戸外で女と言葉を交わしてはなりませぬ」はまず無理な話でしょう。

白虎隊の隊士達が従うもの

はたして白虎隊の隊士達は什の掟のどの項目に従ったのであろうか・・・「卑怯なふるまいをしてはなりませぬ」であろうか?もっとも家が滅ぶときは、一族は共に戦って死ぬのが武家の習いではあった。これは損得勘定を度外視した行為である。

考えるに六歳から九歳までの子供に「ならぬことはならぬものです」と教え込むのは、什の掟の正誤を考えさせることを目的としているよりは、むしろ、自身の頭で正誤を判断して一度正しいと決定したことを貫く。例えば、決定により自分の命がなくなることが判っている状況においても、恐怖感から揺らぐことがないように、強靭な精神力を培うことを目的としているように感じる。

井深一族の後裔でソニーの創立者である井深大(まさる)氏も、「さんざん考えた末に最善の開発目標であるとひとたび決心したことは、なにがなんでもやりぬいた」というようなことを言われていますので、この魂を受け継がれていたのかもしれません。

会津に行くと、現在でもこれら什の掟が生きているような雰囲気を感じるのは、人々の心のなかで脈々と息づいているからでなのではないでしょうか?

※画像はイメージです、

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