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ミニョネット号の悲劇〜生きのびるための殺人や食人は罪?

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ミニョネット号事件が遭難、船長が決断したのは漂流19日目のことだった。
「このままでは、いずれ全員が飢えと渇きで死ぬ。くじ引きで当たった者がみんなのために身を捧げよう」。
共倒れか、それとも1人の犠牲者か。ひとつの命と引き換えに彼らは生き残った。
極限的な状況での犯罪行為は、はたして罪に問えるのか。

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YESも地獄、NOも地獄の二者択一

1884年7月。喜望峰のはるか沖合で、4人の男たちが救命ボートに揺られながら死の淵をさまよっていた。
彼らはイギリス船籍ミニョネット号のトム・ダドリー船長、船員のエドウィン・スティーヴンス、エドモンド・ブルックス、給仕のリチャード・パーカー。

ミニョネット号はオーストラリアへ向けて晴れの処女航海中にあった。しかし突如として発生した大嵐に襲われて難破、4人は命からがら救命ボートで脱出する。
残された食料はわずかに缶詰が2個。飲料水もなかった。彼らは雨水を集め、ウミガメを捕まえて命をつなぐ。けれどもやがて食料は底をついた。ダドリー船長は、くじ引きで犠牲者を選ぼうと提案するが、船員に反対される。

漂流20日目、最年少のパーカーがついに渇きに耐えきれず、海水を大量に飲んで昏睡状態に陥った。
「パーカーはもう助からん。ここに及んでは、彼を食べてわれわれだけでも生きのびるべきではないか?」
船長は再び提案する。パーカーがこと切れるのを待っていたら、血が凝固して飲めなくなってしまう。スティーヴンスは渋々同意した。

ブルックスが頑なに異を唱えるなか、船長は祈りを捧げ、パーカーの喉をナイフで切り裂いて殺害する。
反対していたブルックスもその血で渇きを癒し、その肉を口にした。
3人がドイツの貨物船に救助されたのは漂流24日目のことだった。

緊急避難の原則

3人はイギリスへ送還され、ダドリー船長とスティーヴンスは殺人罪で起訴された。ブルックスが不起訴となったのは殺害に加担しなかったからだ。

弁護を引き受けたコリンズ弁護士は、古代ギリシアの寓話・カルネアデスの板を例に引き、2人はやむなく殺害に至ったのであり、そうしなければ4名全員が死んでいたと主張。カルネアデスの板とは、船から海に投げ出された船員を支える1枚の板のこと。1人ならつかまっていられるが、2人だと沈んでしまう。その時、自分が助かるために相手の手を払うのは罪なのかという話だ。

コリンズ弁護士は、この事件には緊急避難の理論が適用されるべきだと主張した。緊急避難とは、たとえ犯罪にあたる行為でも、助かるためにやむをえず行った行為であれば罰しないという考え方。現在では日本を含め、多くの法治国家で採用されている。

ところが当時のイギリスでは緊急避難について議論が行われている最中であり、判例もなかった。結局、イギリス高等法院は法律論より倫理的な判断を優先し、2人に死刑を言い渡す。
しかし国民から無罪を望む声が多くあがったため、ヴィクトリア女王の特赦によって禁固6ヶ月に減刑される。ここに殺人を犯しても法的責任が免除されるという緊急避難の理論が確立することになった。

エドガー・アラン・ポーはミニョネット号事件を小説で予言していた?

ミニョネット号事件には奇妙なサイドストーリーがある。
事件の約50年前に発表されたエドガー・アラン・ポーの長編小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』の設定が酷似しているのだ。4人の男たちが大海原で遭難。小舟で何日も漂流するうちに水と食料が底をつく。男たちは苦渋の決断として、くじ引きで1人を選び、食料にする。犠牲者になった若い船員の名はリチャード・パーカー。
現実の出来事と小説のシンクロニシティは他にもいくつか例があるが、ここまで酷似しているのはめずらしい。

ミニョネット号事件で生還した3人は、パーカー殺害の隠蔽工作をやろうと思えばできただろう。
すべてを告白したのは、ひとえに良心と仲間への罪悪感からの行動だった。
その告白が刑法に多大な影響を及ぼすことになろうとは、彼らも予想だにしなかったに違いない。

※画像はイメージです。
featured image:Tom Dudley (1853-1900), Public domain, via Wikimedia Commons

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