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人肉食(カニバリズム)は何故禁忌とされてきたのか?徹底追及

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人類最大の禁忌、カニバリズム。
知性ある人間同士の共食いは想像するだにおぞましく、吐き気を催す方も多いのではないでしょうか。
今回は人類史においてカニバリズムがタブー視される理由を、カニバリズムの歴史も交えて徹底追及していきます。

目次

カニバリズムの語源はスペイン語のカニバル

まずはカニバリズムの語源を解説します。カニバリズムはスペイン語の「カニバル(Canibal)」に由来する言葉で、これは西インド諸島に居住するカリブ族をさしていました。
カリブ族は人肉を食べる人食い人種を信じられ、キリスト教的価値観を持った開拓人たちに野蛮人と蔑まれました。食人の習慣は学問的な見地からアンソロポファジーとも言い換えられます。

カリブ族はコロンブスの入植の百年以上前に、もともと住んでいた南米から小アンティル諸島を北上し、先住民のアラワク族を征服した戦闘民族でした。
さらに彼等はアラワク族の男を殺して食べており、この報告がコロンブスにより欧州にもたらされ、カニバリズムの言葉が生まれました。

カリブ族は極めて好戦的な民族であり、スペインの侵略に徹底抗戦したものの、17世紀頃には敗北を喫しドミニカ島とセントビンセント島に追いやられます。
カリブ族が敵の肉を食べた動機には諸説あり、戦士の肉を取り込む事によって力を得る為、味方を殺された復讐の為、あるいは単純に栄養補給に優れていたともいわれます。
ちなみに食人は仲間を食べる族内食人と敵を食べる族外食人に大別され、カリブ族の慣習は後者にあたりました。

族内食人の場合は弔いの意味合いも強く、同胞の屍肉を食べる事で、その魂と同化する宗教観が反映されています。
フランスの古生物学者曰く、十万年前のネアンデルタール人にも共食いの痕跡が見られ、カニバリズムの歴史が人類史の発端にまで遡れる事実に驚きを禁じ得ません。

欧州にもカニバリズムはあった?スコットランドの殺人鬼ソニー・ビーン

カニバリズムの慣習は欧州にも記録されています。古くは十五世紀スコットランドの殺人鬼、ソニー・ビーンが有名。
ソニー・ビーンはスコットランドのイースト・ロージアンで14世紀後半の貧しい家庭に生まれました。
やがてビーンは家を出、身持ちが悪い女と知り合い、夫婦でバナーン・ヘッド海岸の洞窟に移り住みます。
以来ビーン夫妻は通りがかりの旅人を襲い、死体を洞窟に持ち帰り、その金品を剥いで荒稼ぎしました。とはいえ生活は楽でなく、追い込まれたビーンは死体を食べるようになります。

ソニー・ビーン夫婦は精力絶倫であり、息子8人、娘6人をもうけました。子供たちは近親相姦を繰り返し、男18人女14人の大所帯に成長します。一方で障害を持って生まれた子は食料にされるなど、家庭環境は猖獗を極めました。
人肉を主食にしたソニー・ビーン一族は最終的に48人~50人まで増え、卓越したチームワークで旅人を襲撃・解体し、スコットランド中の人々を震え上がらせました。
ソニー・ビーン一族の残虐な犯行は二十五年にも亘り、最後は一族全員が極刑に処されたと言われています。

緊急時の人肉食は正義か悪か?メデュース号の筏事件

他に欧州で有名な人肉食事件といえば、1816年のメデューズ号遭難に端を発する漂流です。
こちらはテオドール・ジェリコーの名画『メデューズ号の筏』で、広く世間に知れ渡りました。

メデューズ号はフランス海軍の艦船であり、1816年に植民地の返還を受け、セネガルのサンルイに向かいました。
しかしメデューズ号の艦長は無能な亡命貴族で、その不適切な指示により船は座礁。乗員乗客は即席の筏に乗り移ったものの、艦長以下上層部が自分たちだけ逃げた為、絶海を十三日間漂流する事になります。

もちろん食料など積めず、筏上に孤立した船員は怪我人や病人を海に捨て、死体の肉を食らって生き延びました。
この惨状に耐えかね発狂・自殺した者も多く、漂流初日の夜に二十人が死亡したと記録されています。
これは貴族が犯した不祥事として批判され、生き残った船員たちには同情が集まりました。
時代は下り1972年にも、メデュース号の遭難とよく似た事件が起きています。

それがウルグアイ空軍機571便遭難事故。
1972年10月13日にウルグアイ空軍の571便機がアンデス山脈に墜落し、乗員乗客45人中29人が死亡した大惨事であり、72日間に渡る極寒のサバイバルの末、16人が生還しました。ところがその16人が仲間の死肉を食べた事が判明、カニバリズムの是非を巡る論議が白熱します。

日本でも飢饉の際に死体の肉を食べた記録が残っており、特に1782年~1788年の天明の大飢饉では、東北の農村を中心にカニバリズムが横行しました。
青森県八戸市内の対泉院には当時の惨状を刻んだ石碑「餓死萬霊等供養塔」が建っていますが、人肉食の記述は明治頃に削られました。

他、北海道で起きたひかりごけ事件など、緊急時にカニバリズムが発生する事例は後を絶ちません。
第二次大戦下の日本兵が深刻な食糧難に陥りフィリピン人の屍肉を食べた事も歴史の暗部でしょうね。

東洋は人肉食に寛容?妻子の肉を劉備に振る舞った劉安

翻り中国はどうでしょうか?
中国大陸は食の宝庫、あらゆる漢方や動物の肉を調理してきました。その中にはもちろん人肉も含まれます。
『三国志』で有名な劉備は、呂布に追われ敗走中に劉安の家に逃げ込みました。
しかし彼の家は貧しく蓄えがありません。
そこで劉安は妻を殺害。その肉を料理し、ご馳走として劉備に振る舞ったというのです。

自分が食べた肉の正体を知った劉備はショックを受け、のちに罪滅ぼしを兼ね、劉安の息子を養子に迎えます。
また春秋戦国時代の斉に実在した易牙は、主君の桓公が人肉を食べた事がないと発言した為、自分の息子を殺してその肉を提供しています。『十八史略』には晋の文公(重耳)が亡命中に腹心の介子推が自身の腿肉を削いで与えた逸話が記載されており、これが「割股奉君」の四字熟語の由来とされました。

余談ながら古代中国では人肉を「両脚羊」と称し、羊や犬より価値が劣るものと見なしていたそうです。

共食いは生物の本能にインプットされた人口抑止策?

近代の人類にはタブー視されてきた人肉食。ですが自然界において、共食いする動物は決して珍しくありません。
人類に最も近い霊長類といわれ、知能の高さでも知られるチンパンジーもまた、同種で共食いをする事例が報告されています。かわいらしいイメージもあるため「まさか」と思う方もいるかもしれませんが、チンパンジーが共食いをした例は数多く報告されています。

もとより群れで生活するチンパンジーは縄張り意識が旺盛で、異なる群れに属する個体に敵意を剥きだします。
抗争の際は勝利した群れが敗北した群れの子供を襲い、仲間と分け合って食べていました。
チンパンジーでさえ共食いを行うのですから、人間が同族の肉を食べるのもまた自然の摂理ではないでしょうか。

人肉の食べ過ぎで発症する恐ろしい病「クルー病」

ここまで人肉食の歴史を語ってきましたが、他の動物の肉と同じく、人肉もきちんと下処理しなければ危険です。安易に口にすれば肝炎やエボラ出血熱を引き起こし、内臓に大腸菌やバクテリアが繁殖するのは避けられません。
さらに注意したいのがクルー病。これは人肉を常食にしていたパプアニューギニアのフォア族に蔓延した奇病で、人体に含まれるたんぱく質の一種・プリオンが脳を侵し、スポンジのようにスカスカにしてしまうのです。
クルー病に罹患した人間は感情がコントロールできなくなり、最終的に死に至ります。
人類が共食いを避けてきたのは、不治の病のリスクを踏まえ、自己保全本能が働いた結果ともいえるでしょうね。

クルー病の詳細を知りたい方は二宮正明の漫画『ガンニバル』をおすすめします。
本作は人肉食が儀式化された田舎が舞台のサスペンスで、クルー病が重要なキーワードとなっています。

著:二宮正明
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人肉の味はベーコンに似ている?

記事の最後に皆さんが気になる人肉の味を想像します。
俗に知能の高い動物の肉ほど美味いとも言われますが、この説には些か懐疑的です。

人間は雑食なので、その肉も臭みが強いのではないでしょうか。
豚肉と仔牛の中間の味、ベーコンに似ているとも言われますが、こればかりは実際食べないとわかりませんね。

※画像はイメージです。

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