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なにが「視えている」のか?視えるひとびと

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20年ほど昔の話・・・わたしが高校生であった2000年代半ばのこと。
通学していた高校の男子生徒に、「視える」人物がいた。わたしと同級生であった彼は普段から、幽霊が視えることを殊更に強調するような真似をしなかった。だが、ある昼下がりの教室の雑談の最中―どういった経緯でそのような話に至ったのかは忘れたが?彼はふと、熊本県にある田原坂に足を運んだときの思い出を語りだした。

彼曰く、首から先を失った着物姿の女性が彷徨っていた。
兵士たちは既に亡くなっていることに無自覚なのか、双方が戦闘を繰り返していた。もちろん、西南戦争の幽霊たちだ。そうした断片的な目撃談を一つか二つ、彼はぶっきらぼうに語ると、そのまま口を閉ざした。雑談の場は、なにかの拍子に別の話題へと移ってしまった。

目次

同級生たち

雑談の席には、わたしの他に数人の男子高校生が居合わせていた。わたしを含めて、なぜ彼が語る幽霊談に質問などを投げかけ、ハナシの内容を深掘りしようと試みる者がいなかったのか。いま思えば少し不可解な気がするが、幾つか思い付く理由はある。

彼の語り口からは、聞き手を怖がらせたい、ウケを取りたいといった意図がまったく感じられなかった。彼にとっては幽霊を視ることは日常生活の一コマに過ぎず、「オマエ、視えるのか?」と軽く念を押しても「視えるけど、まあ別に」と、本人は嬉しくもない表情すら伺えた。ただ幽霊が視えたときの記憶を語るとき、ほんの少し「此の世」から離れた場所を見ている目付きになっていたことを、わたしは朧げに思いだす。

太陽の光が照り付ける昼下がり。幽霊よりも先輩や教師の暴力の恐れが日常的な教室内。学校から一歩でも外へ出ると、そこは暴走族どうしの抗争にヤクザや警察が絡むような土地の気風。そのなかにあって、彼の語る幽霊の目撃談は分かりやすい恐怖感を惹起させない。なのでどう受容してよいものか、誰も分からないニュアンスが漂っていた。「怪談らしさ」が皆目ない。

ある「心霊体験談」があるとして、体験の内容を詳細に聞き出し、他者の耳目を惹き付ける怪談へと創作するためには、その場に居合わせた聞き手に、相応の職業技術が求められる。とくに怪談への関心のない聞き手が、不意に心霊体験談を聞かされたとしても、そこから語り継がれる怪談が生成されるとは限らない。そのときの彼もまた、慌ただしい社会生活の喧騒に埋もれて忘れ去られた。彼が「視た」らしい幽霊とともに。

わたしは後に実体験を通じて知ることとなるが、彼のように「視える」が気にしていない、大っぴらに語ることのない人物は、それなりにいるようだ。

パン屋の姐さん

わたしが現在よりも物を考えずに生きていた2010年代のこと。月に一度のペースで「宅飲み」の席を共にしていた男性の友人が、ひょんなことから雑貨店の経営を任されることになった。わたしは開店した当初から雑貨店に足を運んでいたが、隣のテナントには先に開業した、30代前半の女性が切り盛りするパン屋があった。

彼女は心身ともにタフであり、多忙なパン屋の業務や経営にかんする全てをこなす。バイタリティが全身から漲る、姉御肌を画にかいたような女性であった。あだ名は「姐さん」。繁盛する時間帯を過ぎれば姐さんは雑貨店に顔を出して、経営について何かと不慣れな友人とパートナーである女性にバカ話などをして、落ち込みがちな二人の気持ちを鼓舞していた。

・・・のだが、彼女は「視える」人物でもあり、時おりバカ話に幽霊が視えた話を混ぜ込み、しばしば友人とパートナーの女性をビビらせていた。

わたしが「ちょっと参ったな」と感じたのは、わたし・パートナーの女性・パン屋の姐さんが雑貨店で雑談をしていた折、いつものように幽霊の話に及んだときのこと。

「ほら!おじいちゃん・おばあちゃんの幽霊がいる!」、そう姐さんが言って指を差した先は、あろうことか居合わせている雑貨店の一角であった。姐さんが言うには、パン屋を開業した頃から二人の老人の幽霊がいて、わたし達が居合わせている雑貨店が開業する以前から、おなじ一角に突っ立ったまま一歩も動かないらしい。いつもの陽気なテンションのまま、そう言うのである。

わたしは少しばかりイヤな気分になった。というのも、そのとき経営を任された友人は心労がたたって休職しており、パートナーの女性が店番を任されていた。上司の見切り発車めいた勢いで開業した雑貨店の経営も、それほど上手く進んでいない。そこに幽霊が二人、ずっといる。

こんな話を聞かされては、良からぬ発想が脳裏をよぎる。このテナントに幽霊が「入居」しているばかりに、経営に支障が出ているのか?。

さすがに勢いで口にしてしまった姐さんもバツが悪かったのか、それきり話は終わった。わたしは呑気に行きたいときに雑貨店に行き、帰りたいときに自宅に帰っていたものの、夜になって一人、閉店の準備に入るパートナーの女性の心境は、穏やかではなかった筈だ。

それから暫くして、雑貨店は閉店した。それきりだ。友人は別の職業に就いた後にパートナーの女性と婚約し、現在では幼い娘とともに安定した生活を送っている。ちなみに友人の結婚式には姐さんも招待され、和服姿はさながら「極道の妻たち」のような凄みがあった。姐さんは今でも、パン屋を営んでいる筈である。幽霊がいるらしいテナントは空いたまま、雑貨店の関連会社の倉庫になっている。

その後の同級生と姐さん

田原坂で西南戦争の幽霊を視た、高校の同級生。社会人として一角の人物であるが、眼の前にいる幽霊の存在をイジる姐さん。両者に共通していた点は、幽霊が視えることを自身では特別視しておらず、ましてや商売にしようといった魂胆がまるでなかったことだ。そういえば高校の同級生とは卒業後、数回ほど電車で顔を合わせたことがある。彼は幽霊の存在以前に、就職先に適応することに疲れた様子であった。

聞き手を怖がらせるつもりはない。「霊視」の体験を積み重ねていくうちに「心霊研究」の道に進むこともない。「視える」能力を活かして霊能者といった職業を目指す意志も、更々ない。そうした人物であるから、唐突に幽霊を視た話を語りだしても、せいぜい雑談の一コマとして終始させるばかりだ。

1980年代からマスメディアに登場してきた霊能者とは、いわばタレント業のひとつである。そこでは幽霊が視えるだけでは職業にならず、出現する理由づけやリアクション芸といったものが求められる。それが芸としてルーティン化するほど、逆に幽霊が存在するリアリティは?幽霊が実在するのかは別として?失われていく。

「視えない」人々にとって、それらしい幽霊の姿を見る手段が心霊写真であった時代は1990年代まで続いた。2000年代に入るころ、スチールカメラがフィルムからデジタルへと移行していくにつれ、心霊写真は急速に衰退していった。デジタルカメラでは心霊に結びつける撮影ミスが起きにくいことが、原因のひとつであろう。同じころ、心霊動画がレンタル店の棚を埋めるほどセールスを獲得するも、心霊系のYouTuberが一向にそれらしい映像が撮れない事実が広く認知されるにつれ、心霊動画は作り物であると、現在では誰もが認識している。Google photoのアプリなど、使い方しだいで心霊写真など幾らでも作り出せる。

では・・・霊視を生業や副業とはしない彼/彼女たちは、いったい何を視ているのか。

久しぶりに

今年の夏、久しぶりに「宅飲み」の友人と佐野元春のライヴへ出掛けた。以前のように中古レコードを漁り、ライヴの帰路にラーメンを食って、ときおり互いの育児についてLINEで連絡を取り合う。

今でも友人は、姐さんと面識はあるのだろうか。あるとすれば、何とか連絡を取りつけて詳しい話が聞けないものか、などといった無責任な思い付きが脳裏をよぎる。だが姐さん、幽霊の話をする以前に、パン屋と家庭の切り盛りで忙しく、そんな余裕は殆どない気がする。

そうした人物は考えてみれば、他にも数人ほど面会する機会はあったのだ。だが商売っ気のない彼/彼女たちと幽霊は荒々しい社会生活の中に埋もれ、フッと肩が触れ合った次の瞬間には、雑踏のなかに姿を消すのである。後を追いかけようとしない限り。

※画像はイメージです。

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