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前世や転生は実在するのか?自称生まれ変わりのエピソードを交え考察

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あなたは生まれ変わりを信じますか?フィクションでは転生を扱った作品も少なくなく、興味関心の高さがうかがえますね。
今回は生まれ変わりは本当にあるのかどうか、自らを生まれ変わりを称する実在の人々の証言を取り上げ、考察していきたいと思います。

目次

死んだ妻が幼女に生まれ変わって通い婚!?

まずはインド在住の女性スクラのケース。
スクラは1歳9か月の頃から枕を抱っこして揺らすような仕草をはじめました。周囲が何をしてるのか問うと、「娘をあやしてるの」と返すではありませんか。

勿論まだ赤ん坊といえる年齢のスクラに子供はいません。さらに数年後、5歳になったスクラは遠出しました。
行き先は妻を亡くしたある男性のもと。スクラは彼に対し、「私はあなたの妻よ」と断言し、自分たち夫婦しか知らない秘密を次々言い当てていきます。
二人の間には12歳になる娘のミヌもいました。元夫と再会時のスクラは、迎えに出たミヌの顔をみるなり号泣し、親族しか知らない義弟の愛称を呼んだのです。
他、自分が着ていたお気に入りの服を大量の衣類の中から選びだしたり、夫と1回だけ行った映画館のデートのエピソードを語るなど、本人としか思えない行動をとります。

残念ながらスクラのカーストは生前と異なっており、別の女性と婚約中の元夫と再婚は許されませんでしたが、その後も週一で通い続けているそうです。

硫黄島で撃たれたパイロットの生まれ変わり

ジェームス・レイニンガーはアメリカルイジアナ州の一般家庭に生を享けました。
ジェームスが4歳の時、不可解な悪夢が始まりました。夢の中のジェームスは戦闘機を操縦しているのですが、敵機に撃墜され、非業の最期を遂げるのです。
夜毎悪夢に苦しむ息子を案じた両親が詳しい事情を聞いたところ、ジェームスは第二次世界大戦の詳細な知識を語り始めます。それは四歳の子供が知るはずもない内容で、周囲を大いに驚かせました。

ある時、ジェームスはプラモデルの飛行機を製作していました。
母親が飛行機下部の装置を指し「爆弾が付いてるのね」と呟いた際、ジェームスは「ちがうよ、落下タンクだよ」と訂正しました。
別の日、ジェームス一家はリビングで戦争のドキュメンタリー番組を見ていましたが、日本の戦闘機をゼロと呼んだナレーターに向かい、「あれはトニーだ!」と叫びます。

トニーとは当時の連合国軍が使っていた陸軍3式戦闘機「飛燕」のコードネームで、戦闘機乗りしか知るはずがないものでした。
ジェームスの身内に軍関係者が一人もいないことは調査済み。父親は真相究明を望んでいます。

9年前に中絶した我が子が教え子に

ケンドラ・カーターのケースもまた非常にショッキングです。
当時4歳のケンドラは地元の水泳教室に通っていました。彼女の指導にあたったのは優しい女性コーチ。
ケンドラはたちまち彼女が好きになり、後を付いて回るようになります。
その懐きぶりは人見知りで引っ込み思案なケンドラの性格からしてみれば、些か奇異に映る程でした。

ある時ケンドラは「コーチは病気で赤ちゃんを諦めなければいけなかった」と母親に言いました。
コーチに聞いたのかと母親が問えば、なんとコーチのお腹にいた赤ちゃんが自分だったというではありませんか!
その後確認をとったところ、コーチが9年前に中絶している事実が判明。ケンドラは胎児の生まれ変わりだったのです。

母親は娘とコーチが一緒にいられる時間を増やしお泊まりも許したものの、ケンドラが自分よりコーチを愛している事が許せなくなり決裂。
コーチと母親が疎遠になったのが原因でケンドラは鬱を患い、四か月間失語症に陥りました。
その後関係が回復し、ケンドラの症状は徐々に快方に向かったそうです。

日本にも実在した!小谷田勝五郎の生まれ変わり

ここまで海外のリィンカーネーションの事例を取り上げました。では日本はどうなのでしょうか?
先に結論を述べれば、日本にも生まれ変わりの逸話は存在します。有名なのは江戸時代に実在し、東京の日野市や八王子市で語り継がれている小谷田勝五郎の話。
文政5年(1822年)、現在の八王子市中野村に住む少年・小谷田勝五郎が、自分のきょうだいに過去生を語り始めました。

勝五郎の過去生は日野市久保村に住んでいた須崎藤蔵で、齢6歳にして天然痘で亡くなったそうです。
勝五郎は前世で死んだ時の記憶をはっきり持っており、藤蔵の体から魂となり抜け出したこと、一度家に帰ったが親は気付かなったこと、その後白髪の老人と手を繋いであの世に渡ったこと、三年後に同じ老人に導かれて小谷家を訪れたことを証言しました。母の胎内に入ったのも老人の指示でした。
両親は息子の作り話ではないかと怪しむものの、だとすれば出産前の母親が江戸に奉公に上がる計画を立てていたことを、勝五郎が知っているのはおかしいです。

父親が久保村の知り合いに尋ねたところ、須崎家には確かに6歳で死んだ藤蔵がおり、死因も当たっていました。
後日久保村を祖母と訪ねた勝五郎は、初めて来たはずの村を迷うことなく歩き、さらには須崎家の向かいの家を指し、「前はなかった」と言ったのです。
向かいの家が建ったのは藤蔵の死後でした。
以降小谷田家と須崎家は親交を結び、頻繁に行き来するようになります。
大名の池田冠山がこの話を『勝五郎再生前生話』として世に出し、勝五郎転生説は江戸中に知れ渡ります。

摩訶不思議な生まれ変わりのメカニズム

生まれ変わりを研究している学者は世界中にいます。彼等曰く、生前の記憶や胎内記憶を持った子供は意外に多くいるそうです。しかし5歳頃から記憶が薄れ、その後は普通の人間と変わらなくなります。遅くとも8歳までには言及しなくなるようです。

これは子供に物心付く境目でもあり、そうしないと脳の許容量をオーバーしてしまうため、と考察されています。
過去生と今生2人分の記憶を1個の脳で処理するのだから、上書きは妥当ではないでしょうか。
仏教が説く輪廻転生の概念が定着した日本と違い、生まれ変わりを原則否定しているキリスト教でも、数多くの実例が報告されているのは興味深いです。
他、生まれ変わりを自称する子供たちの共通項として挙げられるのは、ショッキングな最期を遂げたり前世に未練を残してること。

前述したスクラは幼い娘を遺して亡くなり、ジェームスは空中戦の最中に死亡。
ケイドラはやむをえない事情で堕胎されており、「もういちどやり直したい」と願っても不思議はありません。
上記の子供たちは前世を語る際泣いたり怒ったり感情的になり、「元の家に帰して」と懇願しました。
やや希少な例として、前世の外見的特徴(痣や傷痕・ほくろなど)を引き継ぐのも注目してください。
このうち傷痕に関しては、前世の死因と関連付いてるのが興味深いですね。

科学的見地から生まれ変わりを調べる大学教授・大門正幸が、胎内記憶を研究する産婦人科医・池川明と共著した『人は生まれ変われる。』には、人が生まれ変わるまでの期間は平均4年5か月と定義されていました。これは勝五郎のケースとほぼ合致しています。
7歳以降記憶が風化するのは、小学校に上がり、社会経験を積み始めるのが大きく関与しています。
少し話はそれますが、過去生を自殺で終えた子供や、前世が動物だったと語る子供はほぼいないそうです。
キリスト教や仏教が自殺を悪と見なし、あの世で断罪されると説くのと関係あるのでしょうか?

リィンカーネーションの螺旋の行方

以上、生まれ変わりを自称する子供たちの逸話を取り上げました。我々も忘れているだけで前世の記憶を持って生まれてきたのか、謎は深まる一方ですね。
学者たちの研究が実り、真実が明らかになる日はくるのでしょうか?

※画像はイメージです。

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