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千年首都コンスタンティノープルを落としたメフメト2世の戦術とは

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トルコの首都イスタンブール。
かつてこの街は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルでした。
コンスタンティノープルは1000年にもわたって外敵の親友を寄せ付けなかった鉄壁の守りを誇る都市です。

この街が正面からの軍事攻撃で陥落したのはたったの一度。
それも、守りの薄い海側の城壁をヴェネツィア海軍に突破されたときのみで、陸側からの攻撃は一度として成功しませんでした。

■ 東ローマ帝国時代のコンスタンティノープル図http://en.wikipedia.org/wiki/User:DeliDumrul / Public domain

その理由はコンスタンティノープルの三重の守りにあります。
城壁の外側には深い壕、堀を渡り切ると第一の城壁が立ちはだかります。
そこを突破してもさらに高い城壁が攻撃群の行く手を阻み、防衛拠点となる塔もたくさんありました。

遊牧民であるブルガール人の王も、メフメト以前のオスマン帝国のスルタン、バヤジット2世も城壁を突破することはかないませんでした。

メフメト2世は容易ならざる覚悟でコンスタンティノープル攻略に臨みます。
彼は15万ともいわれる軍を動員し、オスマン帝国の総力を挙げて攻め込みました。

彼は城壁を破壊するため「ウルバンの巨砲」とよばれる大砲を鋳造。
そのほかにも大小の大砲を作らせて大城壁を砲撃します。

しかし、城壁は容易に崩れません。
当時の大砲は連続射撃に耐えられず、しばしば砲撃を中断せざるを得なかったからです。

■ ウルバン砲Gaius Cornelius / Public domain

海側は鎖によって封鎖され、ヴェネツィア軍が突破したような海からの攻撃は不可能でした。
攻めあぐねたメフメト2世は奇策を思いつきます。
なんと、艦隊の一部を陸揚げし、コンスタンティノープルに面する金角湾に運び込んだのです。

これには防衛軍も驚きました。陸を守る軍の一部を海側に割かざるを得ず、陸の防壁の防御力が低下。そこにオスマン軍が総攻撃を仕掛けたのです。

こうして、メフメト2世は陥落不可能といわれたコンスタンティノープルの攻略に成功しました。
戦争において、相手の意表を突くことができると勝率は高まります。

メフメトは艦隊の陸揚げという常識外の行動によって勝利をつかんだのです。

eyecatch source:joannaomanによるPixabayからの画像

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