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カローラに乗って

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横浜から京都に越してきた私は、車のナンバーを変える手間が面倒で、横浜ナンバーのまま乗っていました。少し緑色かかったグレーの横浜ナンバーの古いカローラは、変なエンジン音をたてながら走行していたので、その地域では目立っていたようです。

生命保険の外交員だった私は、その車で企業や個人宅へ訪問していました。お客様の名前、生年月日、住所等の個人情報を収集して、生命保険の設計書を作り、保険商品の販売をしていました。
その頃は、個人情報を守るという認識が薄かった時代でした。
当時の京都新聞の地元版には、『おめでとう』の欄に、生まれた赤ちゃんの名前と親の名前、住所が載り、『お悔み』の欄に、亡くなった方の名前と年齢、住所が掲載されていました。
私は生命保険の提案や保全のため、知った人の名前が載っていないか、毎朝『おめでとう』と『お悔み』の情報に目を通すのが日課でした。

地元の企業に何年も毎日のように訪問していると、保険の営業を抜きにして、仲良くできる人が増えてきます。社員さんたちの昼休み時間、一緒に雑談をして私の営業活動が終る日もありました。
ある日、外で休憩していたグループの中の男の社員さんに、
「昨日の日曜日、老の坂峠を車で走ってはったよな。こっちから珍しく、手を振ってやったのに無視しよった。」と、言われました。

「昨日は峠を通っておらんよ、誰かと間違えたんちゃうの?知らん人に手を振ったん?恥ずかし!」と答えると
「横浜ナンバーであんな古くて変な色のカローラ、あんたしか乗っておらんやろ?運転してたのもあんたやったで。あんたが、ボケてんのとちゃうか?」と言われました。「えー、私じゃないし」、「あんたやった」、と言い合って、みんなで笑って話して、その日の昼休み時間が終りました。

それから少し経ち、会社の先輩に、
「午前中、どこに行っとったん?こっちが挨拶したのも気付かんくらい、ものすご真剣な顔で車の運転しとったな。大きい契約でも取れたんか?」と言われました。
私は、ずっと営業所にいて事務作業をしていたので、どこにも出かけてないことを伝えると、
「そうか?でも、同じ車やったし、絶対あんたやと思ったけどな。ほんま、顔も髪型もそっくりやったで。」と先輩が言いました。

「前にも誰かと間違えられたな。世の中には、自分と似ている人が三人はいる。というし、たまたまこの近くに私と似てる人が住んでいるのかな?そのうち、会うことがあるだろう」と思いました。
晴天で日差しの強い日、仕事で企業訪問をする時に帽子を持っていきました。いつも外で休憩している人とアポが取れたので、日焼け対策と話しの切っ掛け作りのために持っていったのです。昼の訪問を終えて、営業所に戻ると同僚が話しかけてきました。

「お疲れさん。あんた、まめやなぁ、日焼けせんように帽子かぶって運転してるんやね。」
「え?」
「昼頃、国道ですれ違ったん、気い付かんかった?」
「私、帽子は持っとったけど、運転中はかぶってへん。あと、今日は裏道から行ったし、国道は通ってへんよ…。」
その後も、何人かに、「あなたを見かけた」と言われましたが、それはほぼ私ではありませんでした。さらに不思議なことに、私が髪を短く切った後、その人もショートカットになっていたのを見かけたと教えられました。

「私に似た知らない人が、少しずつ私に近づいてきている。」そう思えて、私は不安になってきました。その時に『ドッペルゲンガー』という言葉が浮かびました。死期が近づくと自分とそっくりな人間が同じ空間に現れる、絶対に相手の顔を見てはいけない、自分と同じ顔を見た時に死んでしまう。という話しを読んだことがあったからです。

そんな考えを「気にしない」、「そんな事はない」と自分に言い聞かせて、生活していました。
しばらくして、生まれて初めての事故をしました。通り慣れた帰り道で、ハンドル操作を誤り、車ごと一メートルほど下の溝に落ちたのです。すごくショックでしたが、田舎道の単独事故でだったので、相手がいなかったことに本当に安堵しました。私自身は全くの無傷でしたが、車はバンパーがはずれ、左のミラーは取れてしまいました。車が古かったせいもあったのですが、事故の衝撃なのかエンジンの調子がさらに悪くなったようです。

車を引き揚げてもらい、修理を依頼した自動車整備の方に、「修理代を考えたら、中古車に買い替えたほうが安くなる」と言われ、警察の方には「住所が変わったら、車のナンバーの変更もするように」と指摘もされました。痛い出費となりましたが、仕方なく中古の軽自動車を購入することにしました。諸手続きの終わる間、自動車販売店から代車を借りられることになり、翌日も通常通りに仕事に出ることができました。

代車で出勤して、その車で訪問先の企業に行きました。昼休み休憩をしているグループの雑談に加わり事故の話しをすると、
「まあ、誰もケガせんでよかったやんか。ボロ車から買い替えるいい機会やったんとちゃうか?」と茶化されましたが、みんなで笑い話にしてくれました。

一週間ほどで中古の軽自動車が納入され、毎日運転する私も車に慣れてきました。大きな出費はありましたが、心も落ち着いてきていつも通りの毎日に戻りました。
いつものように、出勤前は朝刊の地方版を開き『おめでとう』と『お悔み』を見ます。

その日は、ひとりの方の名前に目が留まりました。『お悔み』の欄に掲載されていた方の名前、住所、年齢を見て、何か引っかかりを覚えましたが、その人には全く心当たりはありません。共通するのは同じ年齢ということだけでした。なぜか気になったまま、新聞を片付けいつもと同じように仕事に出かけました。

私が横浜ナンバーの古いカローラに乗らなくなってから、私にそっくりな人と出会ったという話をまったく聞かなくなったことに気が付きました。会社の人達、訪問先の社員さんに聞いても、「あのカローラを見なくなった」、「私と似た人と出会わなくなった」とのことでした。
私とそっくりなその女の人が、急に消えてしまいました。

私は、ひとつの仮定をしてみました。
私が、「あなたに似た人にすれ違った」と言われていた時、逆にその人も「あなたに似た人がいる」と誰かに言われていた可能性があったはずです。同じ車を運転して、同じ時期に髪を切っている人がいる、その人も不安と少しの怖さを感じていたのかも。もしかしたら、私と同じくドッペルゲンガー現象の「絶対に相手の顔を見てはいけない、自分と同じ顔を見た時に死んでしまう」という話のことを知っていたのかもしれません。私が恐れていたように、その人も恐れていたのでは。
何かの偶然で、その人が、自分とそっくりな私を意図せず見てしまっていたら、どうなってしまうだろう。お互いが、お互いのドッペルゲンガーだったのではないかと、私は思い始めていました。

私の事故が笑い話程度で済み、同じ頃に同じ年の女の方が亡くなっている。新聞で見た『お悔み』欄の人が、私にそっくりな女の人で、私を見たせいで亡くなったのではないか?彼女が先に亡くなったお陰で、私は生きているのではないか?
そんなことを考えていました。

その人の名前が載っていた新聞は捨てた後だし、彼女の名前は憶えていませんでした。彼女がどこの誰か確かめることはできないし、しようと思いませんでした。
あくまで仮定の話で事実かどうかわかりませんが、関東に住むようになった今も心に引っかかったままの出来事です。

ペンネーム:伊若杏
怖い話公募コンペ参加作品です。もしよければ、評価や感想をお願いします。

※画像はイメージです。

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