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「狂った家族」考察~呪いと突如としておかしくなる家族の恐怖~

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「呪い」と聞くと非現実的に感じるかもしれませんが、それに類する事例は意外と身近にあるものです。例えば、皆でささやく誰かの悪口。繰り返すささやかな嫌がらせの数々。これらはまるで遅効性の呪いのようで、繰り返される内に大きな影響を及ぼすようになります。

呪いとは、人のマイナス感情が凝り固まったもの。決して、現代社会と無縁なものではないのです。

「狂った家族」は、そんな呪いが重要な要素となっている怪談です。この記事では、「狂った家族」の簡単なあらすじを述べた上で、呪いと因果を絡めて解説していこうと思います。

目次

「狂った家族」とは

「狂った家族」とは、2010年に2chのオカルト板に投稿された怪談です。語り手の「俺」が体験した、家族にまつわる恐ろしい体験がつづられています。

この怪談を読んで感じるのは、日常が突如として壊れる恐ろしさでしょう。ついさっきまで談笑していたはずの家族が、見た目は変わらないのにおかしなものに変化してしまう。子供のとき、両親が別のナニモノかと入れ替わっているかもしれないと想像して、恐ろしくなったことはありませんか? この怪談に描写されているのは、そんな恐怖感です。

実話であるかどうかは分かりません。しかし、緊迫感の伝わる文章から、「作り話だ」と一刀両断できない雰囲気に満ちています。
以下で、簡単なあらすじを見ていきましょう。

あらすじ

語り手である「俺」は、ある日の夜、家族と共に話しながらテレビを見ていました。

突然テレビにノイズが走ります。「俺」は何事もなかったかのように話し続けますが、両親の様子がおかしいことに気が付きます。口を半開きにし、目を見開き、驚愕しているかのような表情を浮かべていたのです。「俺」が驚いて声をかけると、両親の様子は一見普通に戻りました。

その後、母親が「俺」に、「いつ死ぬの?」と語りかけます。父親もそれに同調し、死に方を尋ねてきます。その上、どんな死に方が良いかまで話し始めました。
「俺」がその会話に割り込むと、母親と父親が「死ね」と連呼しだしました。その目は左右逆を向いています。驚いた「俺」は弟の部屋に逃げ込みますが、そこでも名同じ現象が待っていました。

家から飛び出した「俺」は、職場の先輩の伝手で、あるお寺の住職さんに頼りました。事情を話し、「俺」と住職さん、先輩の3人が家に向かいます。家の中は、自分で自分を傷つける家族の姿で、地獄絵図でした。

家族は皆、住職さんと他のお寺から休園に来てくれた人々により落ち着きを取り戻しました。その後、「俺」は家族たちが狂ってしまった理由を、住職さんから聞くことになります。
「俺」の家族がおかしくなったのは、先祖が酷い呪いを受けたことが原因でした。一代で終わるような呪いでは無く、子孫まで響く呪いです。しかも、ジワジワと追い詰めていくような気味の悪い呪いでした。
「俺」が無事だったのは、前世が高僧であったためだと言います。そのため、家族を使って圧力をかけたのです。

現在、「俺」が傍にいることで、家族は無事です。しかし、呪いが解けることは永久にありません。

考察~親の因果が子に報う、呪いの物語

「親の因果が子に報う」という言葉をご存じでしょうか。これは、親が行った悪事の結果が、災いとして子に降りかかる、という意味の諺です。「狂った家族」は、正にこの諺通りのことが起こりました。
ここからは、この諺を元に「狂った家族」を紐解いていきます。そのためにも、まずは、本文中から読み取れる事実関係を整理していきましょう。

「俺」とその家族が災難に見舞われたのは、彼らの先祖にかけられた呪いが原因です。呪いの詳細は不明ですが、本文中に「末代まで祟るというセリフのリアルバージョン」という表現がある通り、子孫代々まで影響を及ぼす強力なものだったようです。

そんな呪いの中、「俺」だけは正気を保っていました。その理由は、前世が高僧であること。徳の高さが自分自身と家族を守ったのです。
項の最初で、「親の因果が子に報う」という諺を紹介しました。この諺を怪談「狂った家族」に当てはめると、親とは先祖を指し、子とは子孫を表しています。

先祖は誰かに呪いをかけられました。呪いをかけられるということは、なんらかの悪事を働き恨まれていたということです。逆恨みという可能性もありますが、逆恨みで子孫代々まで祟るパワーが出るとは思えません。おそらく、かなりあくどい悪事だったのではないでしょうか。
しかし、「俺」の一族の血が絶えず残っていることから、呪い手がある程度の手心を加えていると考えられます。それは決して良心の呵責などではなく、呪うべき相手がいなくならないため(できるだけ長く苦しめるため)の方法なのでしょう。

そうして呪い続けて長い年月が経ち、「俺」が生まれました。「俺」の存在により、呪いはうまく機能しなくなります。前世の高僧の力により、呪いをはねのけてしまったからです。
仏教には輪廻転生という考え方があります。この考え方を簡単に表現すると、「悟りを開くために生まれ変わり続けている」ということになります。地獄もまた輪廻転生で生まれ変わる世界の1つであり、生前の行いによっては動物や虫に生まれ変わることもあるとされています。
人間から人間に生まれ変わるのは、かなり難しいことだと言います。「俺」の前世は、高僧であることからも分かる通り、かなり立派な人間だったのでしょう。そしてその行いは、現世の「俺」にも良い影響を与えました。

前世が与えた良い影響とは呪いをはねのけただけではありません。事態に対処できるお坊さんたちや、それに連なる先輩との出会いも前世の徳によるものと考えられるでしょう。
生まれ変わりを信じるのであれば、前世がなければ現世の自分は存在しません。血の繋がりがある先祖を親と考えられるように、前世も親として捉えることができるはずです。
そして、最初の言葉である「親の因果が・・・」は主に悪い結果の場合に使われる諺ではありますが、前世の高僧がもたらした良い影響もまた、因果が報いた結果なのかもしれません。

家系に流れる呪いの系譜

怪談「狂った家族」について、そのあらすじや諺からの考察を述べてきました。
ここまで読んできて何を感じたでしょうか?

この怪談は本文中に書かれた情報が非常に少なく、書かれていない部分を読み取ることが難しくなっています。それは文章に絶妙なリアリズムを与えているものの、納得のできなさも生んでしまっているのです。

これが本当なのかどうか。それは書いた本人にしか分かりません。しかし本来、呪いとは不条理なもの。そして非現実的でありながら、現実の間近にあるものです。
呪いとも因果とも、全く関係がないという人は少ないはずです。怪談「狂った家族」のようにならないために、自身の周囲を見渡してみた方が良さそうです。

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