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「南船北馬」鉄壁のディフェンスを誇る長江とは?

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三国志の赤壁の戦い。
英雄曹操が天下統一を目指すも、夢破れた戦いとして有名です。

中国が南北に分かれると分断が長引くのはなぜでしょう。
中国の地形を大きくみれば、大陸を南北に分断する大河が二つあります。
華北平原を横断するのが黄河、華中を貫くのが長江です。
中国は西に行くこと標高が高く、東に行くほど低くなるのです。

黄河も長江も大河であるには違いありませんが、違いがあります。
それは、緯度です。華北にある黄河は冬には結氷します。そのため、騎兵で渡ることができます。
一方、長江は川幅が黄河よりも広く結氷しません。下流の南京付近では川幅が数キロもあります。
ということは、長江を渡るには本格的な水軍が必要だということです。

三国志において曹操は孫権の治める呉を攻めるために大規模な水軍を編成しました。
しかし、陸での戦いと違い水の上では水上戦闘用の訓練が必要です。
揺れる船で戦うための感覚、主な武器となる弓の精度。そして何よりも船を操る練度。
陸の戦いは数で圧倒するしやすいですが、海や水上での戦いは訓練度がものをいうのです。

三国志の赤壁の戦いにおいても、訓練度が不足している曹操の水軍はお互いを鎖でつなぐ連環の計を用いました。
結果、船の機動力がなくなり周瑜による火計を成功させてしまいます。
南北朝時代に北朝が南朝を攻めようとするたびに長江が壁となって立ちはだかりました。
南北朝時代を隋が終わらせることができたのは、上流である蜀から水軍を攻め降らせる戦法をとったためです。

海戦において練度が重要なのは近代戦でも変わりません。
日清戦争での黄海会戦、日露戦争での日本海海戦。いずれも、日本海軍は高度な訓練度で相手を圧倒したのです。

華北平原では抜群の威力を発揮した騎馬隊も、圧倒的な数の歩兵も、長江の前では等しく無力化されます。
高い練度と、上流からの逆落としをしない限り長江という壁を越えるのは容易なことではないのです。

※画像はイメージです。

eyecatch source:Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

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