MENU

夢か現実なのか?

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。

あの記憶は、夢か現実なのか?

小さい頃、私は日本人形が怖かった。なぜなら、祖父から人形には魂が宿って、生き人形のように髪や爪が伸びたり、動いたりするということを教わっていたから。

目次

人形の入った箱

一番初めに、呪いの人形について教えてもらったのは、小学生の頃だったと思います・・・。

田舎の祖父とともに、紅葉狩りに行きました。
山に行くと、たいてい祖父も私も山の神様に守ってもらうため、その土地の神社にお参りするようにしています。
それは祖父から息子である父、その子どもである私や弟たちにも習慣として受け継がれていること。
その日も、秋の山に落ち葉がたくさん落ちている中、祖父と神社にお参りしたのです。

その日は、神社で何か神事をしているようで、お焚き上げするものを木の箱に入れて置いてありました。
私はてっきり、よくある御札やお守りやお正月飾りなど、神社でよくお焚き上げしている物だと思ってのぞいてみると、予想とはまるっきり違って、木箱に入っているのはたくさんの日本人形だった。
私が小さい頃によく遊んでいたリカちゃんよりも、少し大きいぐらいのサイズでしょうか?
お雛様のような人形も入っています。

その人形たちは

なぜ人形が・・・?
いらない人がここに入れて、欲しい人が持って帰っていいという仕組みかな?
そう思って人形を触ろうとすると、横から祖父が私の手を取って止めました。

「さわったらあかんよ。これはお焚き上げするもんや。念のこもってるもんや」
私は意味がわからず、祖父の顔をきあげ、
「なんでなん?焼いちゃうの?捨てられたゴミってこと?」

祖父は私の手を引いて木箱から離れ、神社の拝殿に向かいながら、
「あれはな、呪われた人形ばかりやねん。長いこと人の形をしてたら、人じゃないものにも魂や念が宿ってな。髪や爪が伸びてきたり、動いたりもする。」
「悪いもんばかりじゃないんやけど、ひどい扱いされて、中には悪くなったもんもある。やから、まとめて神社でお焚き上げして、お祓いしてもらうんや。情をかけたらあかん」

それを聞いて、私は少し怖くなってしまいます。
神社にお参りして、また木箱のそばを通るときは、怖くてそちらを見れません。
コトリと音がしたような気がして、なかなか怖ろしい気持ちが湧き上がったのでした。

夢うつつ

それから時が流れ・・・私は成人して祖父は亡くなり、祖父の何回目かの法事で田舎に帰ったときのこと。
あの時と同じように紅葉が美しい秋、祖父との思い出話として季節にちなんだ話として、日本人形が怖くなったきっかけは祖父からその聞いたからだと話しました。

しかし、両親はきょとんとしています。
「あんた、じいちゃんと秋に神社にいったことないはずやで」
「え、なんで?」

母が言うには・・・。
「よく考えてみい。うちが田舎に来るんは、盆と正月。夏休みと冬休みだけやで。」
「夏は枯れ葉も紅葉もなくて山は青いし、冬は寒くてじいちゃんは山登らずに、お父さんとしか行ってないで。」
「しかも、雪降るからそんなに冬も山の手前ぐらいで、神社まで行けんはずやわ」

私は冷静になって考え、納得しました。
確かに、うちは春夏は都会にある母の実家、夏冬は田舎の父の実家に行くというスタイルです。
では、あの記憶はなんだったのでしょう?

確かに、そこで初めて日本人形について聞いたと思ったのですが、小学生の私は、夢を現実だと思って記憶してしまったのでしょうか?
祖父も亡くなった今、真相は闇の中です。

※画像はイメージです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

どんな事でも感想を書いて!ネガティブも可!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次