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「デルタフォース」秘密の最強米陸軍特殊部隊とは?

アメリカ軍の特殊部隊と言えばかつては陸軍の「グリーンベレー」が代名詞的存在だったと思われるが、近年では海軍の「シールズ」と同様に巷間に浸透してきているのが「デルタフォース」ではないだろうか?

この契機となったのは1986年のアメリカ・イスラエルの合作映画で、チャック・ノリスが主演を務め、アメリカ陸軍の特殊部隊の活躍を描いた「ザ・デルタ・フォース」と言う作品の公開が大きかったとみて間違いない。

今日では現実の世界でも「デルタフォース」はアメリカ陸軍の最精鋭の特殊部隊と言うイメージが定着しつつあるが、アメリカ政府は表向きにはその存在を認めておらず、確定的な情報はほとんどないのが実情だ。
従って下記の内容についても推察の域を出ず、あくまでも推定されている情報を記載している点をご了承いただければ幸いだと、先ず初めに断っておきたい。

目次

「デルタフォース」の来歴

そもそも「デルタフォース」と言う名称が通称で、正確には「ファースト・スペシャル・フォースズ・オペレーショナル・ディタッチメント・デルタ」、日本語では「第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊」と訳される事が多い。
その設立は1977年とされ、アメリカ陸軍大佐・チャールズ・アルヴィン・ベックウィズが時のペンタゴンに対して、陸軍内に新たな対テロ戦闘任務に従事する部隊の設置を提言、時を経てこれが実現したとされる。

チャールズ・アルヴィン・ベックウィズは、かつて自身がイギリス陸軍の特殊部隊SAS(第二次世界大戦中の1941年に設立)に派遣された経験から、同部隊に倣った対テロ戦闘部隊「デルタフォース」を創設したと言う。
同じアメリカ陸軍の特殊部隊「グリーンベレー」もルーツは第二次世界大戦下の1942年まで遡るが、その任務はドイツ占領地域での所謂ゲリラ戦的な戦闘にあり、「デルタフォース」が想定する対テロ戦闘とは少し異なる。

特に「グリーンベレー」が第二次世界大戦後には、紛争地域における親米政権樹立のような戦略的任務を帯びていたのと違い、あくまで「デルタフォース」は要人暗殺、拠点制圧等の戦術的任務を主眼としているようだ。

「デルタフォース」と言う特殊部隊の概要

前述したようにアメリカ政府自体は表向きに「デルタフォース」そのものの存在を認めておらず、正確な所属人員数等も定かではないが、最小4名単位で行動するとされ総数で約1,200名から1,500名程度と考えられている。

この少数の「デルタフォース」の隊員達は、通常全員がアメリカ本土のノースカロライナ州のフォートブラックに置かれたアメリカ陸軍の基地に集められており、任務毎にここから派遣される形式のようだ。
こうした「デルタフォース」についての情報は設立に携わったチャールズ・アルヴィン・ベックウィズ本人の回想録や、元隊員等の手記等からも窺える内容だが、決してスムーズに立ち上がったものとは言い難い。

と言うのもチャールズ・アルヴィン・ベックウィズがイギリスのSASに派遣されたのは1962年前後と見られ、その後すぐに同様の特殊部隊の設置を唱えたものの、1977年まではそれは実現しなかった。
「デルタフォース」設立の契機は、設置同年の1977年に東アフリカのソマリアで発生したルフトハンザ航空機のハイジャック事件と言われ、この当時の西ドイツ警察の特殊部隊・GSG-9の鮮やかな対応に触発されたと為だと見られる。

この時GSG-9の隊員達がハイジャック機のテロリスト達を制圧した手際の良さに、アメリカ政府や陸軍もチャールズ・アルヴィン・ベックウィズの提言していた対テロ戦闘の専門部隊の重要性をようやく認識したのだろう。

因みにこの時GSG-9の隊員達が使用したのは、S&WM社製の19やM66等のリボルバー及びH&K社製のP9S等の拳銃とサブマシンガンのMP5であり、拳銃に比べ高い命中精度と連射性でMP5を世界的に有名にした事件だった。これに触発されたとは言え「デルタフォース」はアメリカ陸軍の特殊部隊である事から、標準的な主兵装はH&K社製のアサルトライフル・HK416、サイド・アームは40S&W弾を使用するグロック17との説が有力である。

「デルタフォース」隊員の選抜基準

「デルタフォース」の隊員は少数精鋭の特殊部隊員にふさわしい能力が求められる事もあり、既存のアメリカ陸軍の部隊である「グリーンベレー」や「第75レンジャー連隊」からの異動・移籍が多いと考えられている。

一般的に流布されている情報によれば、アメリカ国籍を有する志願者であり、空挺資格の保有、陸軍及び特殊部隊の体力テストで一定以上の基準を満たし、且つ任務の特殊性から語学に堪能な事も求められるようだ。

これらの基準からも既存の部隊からの異動・移籍が大半を占める事は想像に難くなく、志願制とは言うものの該当する兵士へ上層部からのヘッドハンティングを行う事も多いのではないかと推測される。

「デルタフォース」の関与が示唆されている主要作戦

「デルタフォース」の関与が示唆されている作戦は数多いが、その最初の投入は1980年4月に実施されたイランの首都・テヘランでのアメリカ大使館での人質救出を目的としたイーグルクロー作戦だと言われている。
これは前年1979年に発生したイラン革命によってそれまで親米路線を歩んでいた同国のパフラヴィー王朝が倒され、革命軍の一部がテヘランのアメリカ大使館を占拠、53人のアメリカ人達が囚われた為、その救出を企図したものだ。

当時のアメリカのカーター大統領の承認の元、アメリカ陸・海・空軍及び海兵隊の4軍と共に「デルタフォース」が投入されたが、使用された海軍のRH-53Dシースタリオンヘリが事故に見舞われ作戦自体も失敗に終わっている。
また1993年10月にソマリアの首都・モガディシュで、同国民兵のモハメッド・ファッラ・アイディード将軍の側近を捕縛する目的の作戦にも「デルタフォース」は送り込まれ、これは映画「ブラックホーク・ダウン」のモチーフとして有名だ。

ここでは作戦自体は一応成功したと見做されているが、映画のタイトルともなった投入されたMH-60ブラックホークヘリ1機が撃墜されており、且つ参加した兵士19名が犠牲となるなど、少なくない損害を被っている。

「デルタフォース」の評価

ここまで見て来たように「デルタフォース」は、設立同年の1977年にソマリアでのルフトハンザ航空機ハイジャック事件で西ドイツの警察の特殊部隊・GSG-9が見せたような華々しい成果は実は挙げていないようにも感じられる。

寧ろ初陣と思しき1980年4月のイランでの人質救出を目指したイーグルクロー作戦では完全に敗北を喫しており、これを命じたとされるカーター大統領の国内での支持率は一気に低下し、レーガンに政権を奪取される原因ともなった。

それでも「デルタフォース」が存続できたのは、そこで掲げられた対テロ戦闘という部隊のコンセプトが、中東地域におけるアメリカの政策に時代的にマッチした為ではないかと個人的には思えてしまうのが正直な感想だ。

featured image:DoD, Public domain, via Wikimedia Commons

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