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ディズニー映画にもなったメキシコの死者の日~エキゾチックな祭りを徹底検証

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皆さんはメキシコの伝統的なお祭り「死者の日」をご存知ですか?
毎年11月1日と2日に連続で開催されるお祭りで、華やかに仮装した人々や骸骨が踊る姿は、地元民のみならず観光客にも元気を分けてくれます。
今回はディズニー映画「リメンバー・ミー」で脚光を浴びた、死者の日を徹底解説していきます。

目次

死者の日って何をするの?

死者の日の正式名称はスペイン語でディア・デ・ムエルトス。開催期間は一族の老若男女が集い、賑やかに飲み食いしながら故人の思い出を語り合います。歌と踊りも欠かせません。
死者の日を語る上で外せないのセンパスチル、即ちマリーゴールド。原産地がメキシコだってご存知でしたか?

死者の日当日、センパスチルは市街地を埋め尽くします。家々の玄関先や街角に置かれるのは、迷える死者の道しるべとなるから。日本の精霊馬と一緒です。他、真っ赤なケイトウや菊が飾られるパターンもあるそうです。
先住民は「一輪の中に二十の花を秘め、太陽の色と熱を宿す」とセンパスチルを称賛しました。いわば死者の国を照らす太陽の代用です。

信号機の注意警報が黄色なのと合わせて考えれば、人間の視覚に注意を喚起する色彩なのでしょうね。
市街地には様々な露店が犇めき、多くの家族連れや恋人連れ、観光客で賑わいました。
地域によっては前夜祭として10月31日を祝うので、実質3日間開催となります。

1日と2日に分けて開催するのは還ってくる魂の種類が違うから。1日目には子供の魂が、2日目には大人の魂が、それぞれ死者の国から家族に会いに来るというのが死者の日の言い伝えでした。その為1日目にはチョコレートやキャンディなど子供が喜ぶお菓子を供え、二日目にはメスカルなど、大人が嗜むお酒を捧げます。

飾り付けは市街地のみにとどまらず、霊園の敷地内にもパペルピカド(カラフルな装飾用切り紙)が翻ります。
日本人の感覚からすると少々罰当たりかもしれませんが、底抜けに陽気で楽天家のメキシコ人は、死者と生者が交わるこの日を一種の無礼講と見なし、明るく騒ぎ通すのをよしとしているのです。
かぼちゃを加工した仮面を被って行進する人々もおり、ハロウィンとの共通点も多いです。
また、音楽も重大な要素。「リメンバー・ミー」を見た人はご存知でしょうが、メキシコ人は心から音楽を愛しており、死者の日ともなれば至る所でバンド演奏に行き当たります。
祭壇はオフレンダと呼ばれ、飲み物や食べ物などの供物が大量に手向けられました。

死者の日の開催地域

死者の日はメキシコ最大の祭りといっても過言ではありませんが、盛り上がりには地域差があります。
それは古代アステカの祭祀とキリストの祭日が混ざり合った、特殊な性質の祝祭だから。
キリスト教の影響が強い土地ほど、死者の日の認知度が高まる傾向にあるようです。

死者の日が大々的に行われるのはメキシコ南部から中部にかけて。北部ではそれほど意識されていません。
祭りの中心地はミチョアカン州とオアハカ州で、当日は海外から観光客が詰めかけます。メキシコの首都、メキシコシティで行われるパレードも名物です。

ミチョアカン州パツクアロ湖に浮かぶハニツィオ島はメキシコ随一の死者の日の名所。
島の南に位置する共同墓地には無数の蝋燭や花輪が捧げられ、日暮れの川を行く屋形船から、幻想的な集会の光景が望めます。蝋燭を持った漁師が漕ぐ舟に乗り、島を巡るイベントも開催されているので、気になる方はぜひ体験してください。

死者の日の歴史

死者の日の起源は今から三千年前に遡ります。古代アステカの民は先祖の髑髏を近くに飾り、ことあるごとに祈りを捧げていました。彼等にとっては先祖の遺骨が、偶像崇拝の「偶像」に該当したのです。
古代アステカには戦いの神・テスカトリポカに生贄を捧げる祭祀、「死の小祝宴」が伝えられてました。
テスカトリポカ(Tezcatlipoca)は古代アステカで信仰を集めた神。

大熊座の加護を授かり、夜空を征した存在で、キリスト教宣教師には悪魔と見なされました。
名前の由来はナワトル語で「鏡」をさすテスカトルと、「煙る」を意味するポカの合体語。
続けて読むと「煙を吐く鏡」となりますが、これは我々が想像するものとはかけ離れており、黒曜石から出来ています。

死の小祝宴とキリスト教の諸聖人の日が融合し、死者の日が誕生したというのが有力な説です。
一方で冥府を司る女神、ミクトランシワトルに捧げる祝祭から発生したとする説もあります。
彼女は冥府の王ミクトランテクートリの妻であり、冥府の最下層ミクトランを治めていました。下僕として骸骨を従えていた逸話を持ち、死者の日の骸骨の活躍に関わっています。
骨を操る能力を有し、「死者祭宴の議長」「死の夫人」とも呼ばれていたそうです。

不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

古代アステカのミステリアスな死生観

ここで深掘りしたいのが古代アステカ特有の死生観。
古代アステカの民は、北の果てにある冥府の最下層・ミクトランの存在を信じていました。
ミクトランに行くのは落雷で死んだ者、戦争で死んだ者、産褥で死んだ者、子供のうちに死んだ者以外。
彼等は実に4年もの歳月を費やし地底を彷徨い、死神ショロトルの案内を得て、漸くミクトランに迎え入れられるのです。

ミクトランへ入るのが許されるのは、共に火葬された愛犬を伴って、4年間の試練に耐え抜いた者だけ。
「リメンバー・ミー」の主人公リコに野良犬ダンテが付き添っていたのは、上記の言い伝えをもとにしたから。
ダンテが一緒じゃなければ、死者の国の入口にさえ辿り付けず、永遠に地底を迷っていたかもしれません。
なお、ミクトランにはミクトランテクートリとミクトランシワトルの夫妻の他、シワコアトル・アコルミストリ・チャルメカシウィルト・チャルメカトル・アコルナワカトルなどの神も勢揃いしていました。
ケツァルコアトルが滅んだ人間を蘇らせる為、その骨を取りにミクトランへ下りる伝説では、ミクトランテクートリとの知恵比べが繰り広げられます。

死者の貴婦人カトリーナ

死者の貴婦人、または骸骨の貴婦人とも呼ばれるカトリーナ。花で飾り付けた鍔広の帽子を被り、エレガントな黒いドレスを纏った女性の骸骨は、死者の日の名物として注目を集めています。彼女に仮装する者も少なくありません。
カトリーナのモデルは冥府の女神ミクトランシワトルだと前述したものの、人気の火付け役は別にいます。
それがメキシコを代表する版画家兼風刺画家、ホセ・グアダルーペ・ポサダ。
骸骨のモチーフを好んだ彼は、「金と権力はあの世に持ち越せない」と主張しました。

カトリーナが描かれたのはポルフィリオ・ディアス大統領の長期政権下。指導者の意向によりメキシコ伝来の文化が廃れ、ヨーロッパの風俗が取り入れられた頃です。
愛国心を忘れて欧州に媚びる上流社会の滑稽さを、華美に着飾った骸骨で表現するのがポサダの意図でした。
以来カトリーナは死者の日の象徴に祭り上げられ、子供から大人まで顔を白くペイントし、骸骨メイクで出歩きます。

死者の日をカラフルに彩るシュガースカル

カラベラ、別名シュガースカルも死者の日には欠かせません。これはカラフルにペイントした人工髑髏に花柄をあしらった物で、必ずといっていいほど祭壇に飾られています。

メキシコの人々は死のネガティブな面だけを見ず、命を繋ぐ営為、輪廻転生のサイクルとしてポジティブに捉え直しました。
その国民性が極彩色のカラベラに凝縮されているようで、見ているだけで心が浮き立ちます。皆さんもメキシコに行かれた際は、ぜひ死者の日のお祭りに参加してください。

※画像はイメージです。

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