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遺伝子情報から考える日本人とは?

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例えば、ジンギスカンがモンゴル帝国を建国したときのいきさつは知られており、歴史小説も作成されています。しかし、日本が建国されたときのいきさつは、神代につながる神話として記憶されているだけで、本当のところはよく分かっていない。
私自身、そういった事を研究している訳ではないのですが、遺伝子情報というものが一つの客観的根拠になると考えられると思うのです。

目次

天皇は縄文系?

大和王権の創始者の出自については様々の意見があり、遺骨の遺伝子調査から、現在の日本人から得られたサンプルの遺伝子調査と世界の様々な地域の遺伝子分布などから幾つかの説が構築されて、天皇は縄文系を出自とされているという説に同意いたします。

古代の天皇は、皇后以外に側室を設けることで、一生の間に多くの子孫を設けます。したがって、皇太子以外の皇子を臣籍降下させることが多かったのです。また、天皇よりわかれた武士の頭領達も側室を設け、分家の数が世代を重ねる度に加速度的に数が増加していきました。

男系を遡るといずれかの天皇に到達する、現在の日本人男性の方々のY染色体ハプログループを調査した結果、いずれの方もD系統の染色体を有しておられたようです。したがって、天皇は縄文系を出自とされていることになると考えられるのです。
しかし遺伝子、細かく言えば現時点において日本列島でしか発見されないタイプであるようで、この遺伝子は世界のどの地域から到来したのか、あるいは日本列島で発生したのかという疑問が頭に浮かびます。

これらの遺伝子の比較は、遺伝子の全貌どうしを比較しているのではなく、男系のY染色体ハプロタイプに焦点を当てて比較し、戦争や地位争いなどの主として男性による活動をベースにして起こされた盛衰を表す、染色体の盛衰を比較している。
古代において、戦争などに負けたグループの男性はその多くが殺されてしまったりしたので、グループ全体で考えると、それまで有していた男系の染色体はほぼ消滅してしまいますが、女性は殺されることが少なかったので女系の遺伝子の方は保存されることになります。

したがって女系の遺伝子の歴史上の統計的動向を調べても、そのグループの盛衰についてはよく判かりません。また、ある女系遺伝子が多いことが判ったあるグループがあったとしても、その女系遺伝子の存在が、必ずしも調査している対象の出自の判断材料にはなりません。

例えば

例えば、平安時代以降の皇后は、長江流域が発生の地と推測される弥生系のY染色体ハプロタイプを有する藤原氏から出られた女性にほぼ独占されていたので、この時代以降の天皇の遺伝子は全体として藤原氏の系統の遺伝子が多くなっていったはずです。
しかし、それによって天皇家の出自は藤原氏であるということにはなりません。聡明な藤原氏宗家は、天皇の地位の簒奪は決して望んではいなかった筈です。

藤原氏の血筋が濃くなっていったとしても、男系のY染色体のハプロタイプを調べれば、天皇家の出自は縄文人であるという結論になります。ただし、男系のY染色体だけで出自を定義するのは不合理だという考え方を取るならば、話は変わります。

これまではY染色体の存在とその一族の繁栄とが密接に結びついていたので、出自に対する考え方が自然に現在の形になったのでしょう。いままでの考え方によれば、全体としての遺伝子が似ていることだけを根拠に出自の系統を判断することは正しくありませんが、実際の状況にある程度沿っているので合理性もあると思います。

ここで、大和王権を創立した縄文系とされる対象範囲の人々は広い範囲で考えられうるものであり、縄文系遺伝子が人類史上初めてアフリカで発生して以降、縄文系の遺伝子を持った人々の日本列島への何回もの到来があったのでしょう。日本の縄文時代は紀元前10,000年から紀元前500年位までの期間という気の遠くなるような長さなのです。
この視点からするとアフリカから日本に到来した縄文系の人々が、日本列島に日本に根づき自身で日本特有のD系統Y染色体のハプログループを発生させたのではないでしょうか?

日本の縄文人はシベリアのバイカル湖付近を経由して日本列島に移住してきたという説があり、古事記などに記されている高天原(たかまがはら)からの天磐船(あまのいわふね)による天孫降臨の神話は、これらを示唆しているように感じます。

※画像はイメージです。

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