土偶は縄文時代につくられ、日本各地から出土している粘土製の人間型アーティファクト。
正体をめぐっては様々な仮説が展開されましたが、ここ最近、新たな説が注目を集めています。
それは「土偶は植物の妖精説」。この説を踏まえて土偶について考察したいと思います。
土偶と研究の歴史
日本で最初に土偶が発掘されたのは明治時代、茨城県美浦村の陸平貝塚でした。
それから約130年間、土偶についての様々な説が発表されましたが、一般的にいわれているのは、子孫繁栄、豊穣を祈願するためにつくられたのであろうという説です。
これは土偶に乳房や妊婦をかたどったものが多いことから考えられたのでしょう。
他にも全体像の不思議さから、古代日本に現れた宇宙人を畏敬の念をこめてかたどったものに違いないという、少々発想が飛躍しすぎる説まであります。
しかし、いまだにこれといった決定打はありません。
そんな中・・・2018年、土偶についての新たな説が話題になりました。
それが「土偶は植物の妖精」説です。
食物の妖精説
妖精説の概要はこうです。従来の研究では、土偶の造形はあくまでも人をかたどったものであり、それをデフォルメし抽象的にしたものである・・・という考えでした。しかし、偏見を取り除き、素直に土偶を見てみると、そこには日本列島にあまねく存在する、ある物が見えてきます。
それが、植物や貝類だったというわけです。
その目で土偶の、特に頭部を観察してみると、確かに植物や貝の姿が見えてきます。
例えば、ハート型土偶の顔はオニグルミであり、中空土偶の顔はシバグリに見えなくもありません。「合掌土偶」と呼ばれるタイプの土偶は、手を合わせて祈るような姿勢をしていますが、これは実際にはカキやアサリなどの二枚貝を表しています。妊娠女性とされてきた土偶の顔はトチノミの形も柄もそっくりです。
あの遮光器土偶の正体はサトイモでした。
でも、なぜ、今までそこに気づかなかったのかと素朴な疑問です。
おそらくですが、土偶には手足がついていたからなのでは?
手足がついた人型だったがために、これは人をかたどったものに違いないという固定観念が研究の邪魔をしてしまったのではないでしょうか。
縄文の生活スタイル
縄文人たちはなぜ、植物や貝類をかたどったフィギュアを作ったのでしょう?
それが「植物霊祭祀」という説です。つまり、縄文人たちは自分たちが食べる植物や貝類に感謝し尊敬する気持ちを込めてその精霊(妖精)像を作り拝んだということです。
それは、縄文人の生活スタイルにも合う気がします。縄文時代は農耕が始まる以前の時代で、人々は狩猟と採集の生活をおくっていました。
食事もままならない時代では、植物や貝類は貴重だったに違いありません。その大事な食物である、植物や貝類を人間に模して作り祀ったのではないのでしょうか。
というのが「土偶の植物妖精説」正確には「植物霊祭祀」です。
この説について考えを巡らせると、スッとなにかが腑に落ちるような気がします。
受け継がれる縄文人のDNA
それは、私たち日本人の擬人化好きという嗜好です。
古くは鳥獣戯画からはじまり、アンパンマンをはじめとしたアニメキャラ、ゆるキャラブーム、挙句の果てに戦艦や馬なども擬人化。各地の名産品やシンボルなども擬人化されていたりと、とにかく日本人は擬人化が大好きな国民性だとおもうのです。
その遺伝子は、はるか縄文の頃から脈々と現代人に受け継がれていると思うと縄文人がちょっと身近に感じられます。
たしかに日本古来からのシャーマニズムからするとそうなのかもしれません。
ゆるキャラや擬人化は、それこそ日本人のDNAに刻まれているものなのですね。
※画像はイメージです。
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