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戦国時代の毒親のお話

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最近、動画で修羅場とかの話を読むのにはまっています。
なかでもお気に入りは、結婚後に夫が豹変してモラハラ夫となって妻に嫌がらせするが、最終的に妻が勝利する話です。

定番の「誰のおかげで生活出来てるんだ」とか、ガンガン言われっぱなしだった奥さんが何かのきっかけで覚醒し、モラハラ夫に立ち向かうため、証拠を集めて弁護士を雇って離婚成立。そしてモラハラ夫は、浮気と経済DVで慰謝料とられて、土下座して復縁迫るが捨てられて会社でもハブられて惨めな結末となり、一方妻ははつらつとした元気を取り戻して社会復帰するというパターンが、すっきりして胸熱で感動モノなんですよね。

夫側はおそらく自己愛性人格障害とか発達障害をこじらせた人だと思いますが、世の中に多くいるもんですな。
なかには、夫婦問題だけでなくて親子問題もあり、毒親に育てられて片方の子だけが可愛がられ、もうひとりは無関心で搾取されるのが当たり前だった子が、あるきっかけで目覚めて親を捨ててすっきりというのもあります。

このパターンは、なんとあの織田信長とか伊達政宗などに当てはめて考えることができるんですよ。

目次

織田信長の場合

織田信長、現在ではアスペルガー症候群と多動性障害じゃないかといわれていて、若い頃は大うつけと言われ、型にはまった礼儀正しい若者じゃなかったですが、同母弟に勘十郎信行というのがいて、これが絵にかいたような美形で礼儀正しい好青年、母の土田御前はこの弟を後継ぎにしようとしました。

信長の父信虎は、信長の理解者で多くの息子たちの中でも信長を認めて跡継ぎにし、信長がどんな奇行をしようが放っておく太っ腹さがあったのですが、41歳で急死してしまったのです。その後、信長は尾張の国を統一するためにがんばるのですが、母土田御前が弟をたきつけて信長に対抗、織田家の家臣たちも信長派と信行派に分かれて合戦が行われました。

もちろん信長が勝ち、母の懇願で一旦は弟を許したのですが、その後再び謀反を起こしたので、だまし討ちにしてしまいました。さて、その後、母はどうなったかと言えば、普通に信長の元で暮らし、妹たちや信長の子供たちの世話をし、信長が安土城を作ると、安土に住んでいたということで、信長より長生きして、最期は孫のところで亡くなったようです。

伊達政宗の場合

伊達政宗にも同じような話があり、最上家から来た母義姫は、疱瘡で目が潰れた政宗よりも弟小十郎を後継ぎにと運動し、なんと政宗を毒殺しようとして失敗(諸説あり)、弟小十郎は政宗に殺され、母義姫は実家の最上家に逃亡したということです。
しかし義姫も実家の兄が亡くなり、最上家が改易後行き場がなくなると、あんなに嫌っていた政宗に引き取られるんですよね。

そして朝鮮出兵のとき、政宗にプレゼントを贈ると政宗は感激して母の喜ぶものを必死で探してお返ししたりと、愛ある手紙のやり取りが残っているそうです。

この弟を殺した後の母と子の復縁が昔から不思議だったのですが、毒親に兄弟格差を付けられて育てられた体験談が参考になりました。母の愛玩子が、受験に失敗とか、結婚後に離れて行ったとかで、母の期待を外れた場合、毒親は何事もなかったように今まで無関心だったもうひとりの子供に歩み寄り、可愛がり始めるということなんです。

それで

で、無関心の子のほうは、いきなり可愛がられるとちょっと戸惑うが、やはり親子なので母の愛に喜びを感じるということなんですね。
信長、政宗と母たちとの関係は、こういうことで復活したのかなと納得した次第です。

※画像はイメージです。

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