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メキシコの心霊スポット!知られざる人形島の実態とは

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世界各地には様々な心霊スポットが存在します。しかしメキシコの心霊スポットは意外に知られていません。
今回はメキシコ最大の心霊スポットと囁かれる人形島の紹介をしていきます。

目次

美しき世界遺産ソチミルコを離れ

メキシコはアステカ時代の遺跡が多く、世界でも上位の世界遺産登録国でもあります。
人形島と切り離して語れないソチミルコも、メキシコが誇る美しい世界遺産。

場所はメキシコの首都・メキシコシティーから南へ30キロ。
ここはアステカ文明の息吹を受け継ぐ区域で、トラヒネラと呼ばれる原色の装飾の小舟で運河を移動します。

ソチミルコの地名の由来はナワトル語の「花の野の土地」。その名の通り色とりどりの花が沼地に咲き乱れる観光名所です。

人形島の場所

人形島はソチミルコの運河沿いに2~3時間ほど進むと現れる島です。

なおメキシコ豆知識ですが、偽人形島が二か所ほど存在するので要注意。もともとソチミルコの運河には大小無数の島が点在し、近年人形島が脚光を浴びるようになった影響で、その人気に浴そうと企むレプリカが生まれたのです。

トラヒネラ乗船時、現地の人に何も告げなければまず偽物の方に連れていかれます。

しかしご安心ください、本物と偽物を見分ける簡単な方法があります。
本物の人形島にはきちんと入口と門が設置され、「ENTRADA」の看板が掲げられています。入場料は40~50ペソほど。
偽物の方はただで見れるので、持ち合わせがないならこちらで満足するのもアリかもしれません。

人形島の中はどうなってるの?

さて、肝心の中はどうなっているのでしょうか?

ゲートをくぐるとまずは木や小屋に括り付けられた、大量の人形が出迎えてくれます。
人形の大半は煤けており、顔や体に傷があるもの、手足がもげている個体もありました。
ケロイド状に皮膚が爛れているのが一層不気味さを引き立てます。

木と木の間に渡されたロープに赤ん坊を模した全裸の人形が吊られ、その口や手足に蜘蛛の巣が張る光景は、ホラー映画のワンシーンと間違うほどの恐ろしさ。
モズの早贄さながら枝に串刺しにされた人形もおり、いかにも呪われそうな気配を放っています。

小屋の中にも当然の如く夥しい人形が存在し、柱や梁に括り付けられていました。
種類は千差万別、露店で売られているようなソフトビニール人形から高価そうなビスクドールまで。サイズも様々です。

人形の前には瓶がおかれ、大量のお布施が突っ込まれています。お寺の池や手水舎にお賽銭を投げ込むのと同じ感覚なのでしょうね。

大量の人形にまざって飾られているのが人形島の創始者、ドン・ジュリアン・サンタナ・バレーラの写真。
立派な口髭と人懐こい笑顔が印象的な一見普通のおじさんです。
彼こそ人形島を築き上げた伝説的人物なのです。

Esparta Palma, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

ドン・ジュリアン・サンタナ・バレーラの生い立ちと悲劇

実は人形島を心霊スポットたらしめている理由は、外観の不気味さ以上に数奇なドン・ジュリアン・サンタナ・バレーラの生涯なのでした。

ドン・ジュリアン・サンタナ・バレーラは1921年、メキシコシティのソチミルコ地区で産声を上げます。若い頃から変わり者と見なされていたジュリアンは1950年代に島に移住し、畑を耕して自給自足の生活を始めました。

移住の動機は不明ですが、ジュリアンの信心深い性格や霊的感受性の強さが関係しているのかもしれません。
島に移り住んだジュリアンは近隣住人に福音を伝えるのをライフワークとしますが、当時メキシコでは司祭のみが布教活動を許されていたので、快く思われていませんでした。

ある日ジュリアンは運河で溺れた少女が岸に流れ着いた所に直面。近くには少女が所持する人形もありました。

第一発見者のジュリアンは彼女を助けられなかった事を深く悔います。
数日後、誰かに呼ばれた気がして現場に赴いたジュリアンは、例の少女の霊が岸辺に這い上がる瞬間を目撃しました。

少女を悼んだジュリアンは、彼女と共に打ち上げられた人形を木に括り付けて冥福を祈ったものの、以降幻聴や幻覚に悩まされ続けます。

ジュリアンの死後に妹が語った所によると、彼には昔から霊感があったそうです。

孤独な少女の霊を慰める為、ジュリアンは運河を流れてくる人形を次々と拾い集め、島の至る所に飾り始めました。
遂には運河の廃棄物だけでは足りなくなり、仕事で出向いたメキシコシティーでも人形を買い集めます。
しかし少女の霊は島を離れず、夜寝ている間も足音や話し声が聞こえ続けたとか……。

ジュリアンの奇行は地元の人々に気味悪がられましたが、彼は生涯これをやめず、少女の死から50年後の2001年にひっそり他界しました。

不思議な事にジュリアンが倒れていたのは少女が打ち上げられた岸辺でした。死因は心臓発作と診断されましたが、今もって呪いの可能性も否定しきれません。

小屋の片隅には少女の骸骨が?

小屋の片隅に目を向けると、そこには布団を被った何かが。骸骨と見間違えてぎょっとする人も多いでしょうが、それは顔が白く焼け爛れた人形です。

生前のジュリアンはこの人形と暮らしていたのでしょうか?

現在、人形島はジュリアンの甥が管理しています。
甥はジュリアンの人形集めに協力しており、彼の遺体の第一発見者ともなったので妥当な人選ですね。

一方、「人間嫌いのジュリアンが人払いのために人形を吊っていた」と主張する者もいます。
真相は不明ですが、50年も人形を飾り続ける執念は壮絶の一言に尽きます。

なお小屋の中には人形島に関連する新聞記事や観光客のスナップも貼られており、若干不気味さを緩和しています。

人形島は島じゃない?「チナンパ」とは何か

これまで人形「島」として紹介してきましたが、実はこの表現は正しくありません。
人形島の正体はメキシコの干拓地・チナンパの一部。
チナンパとは沼地の水草を伐採し、何層も重ねた浮島に湖底の泥を盛り上げた畑の一種で、ミソチルコの運河に無数に存在します。

先ほど言及した偽人形島の他にもトイレ専用のチナンパなど、変わり種がたくさんあって面白いですね。

The original uploader was Kristinoller at English Wikipedia., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

人形島は水子供養のメッカ?

人形島は人工の心霊スポットです。この島はジュリアンが一人で作り上げたといっても過言ではありません。
しかし彼の死後も島を訪れる者は後を絶たず、その多くが人形をお供えしていきます。

心霊スポットを好む観光客の他に多く見受けられるのは家族、それも幼い子どもを亡くした人々です。

日本にも水子供養の神社やお寺が存在しますが、人形島も子どもの霊が集まる場所として認知されているのでしょうね。
人形島が生まれるきっかけとなった少女の哀しい死を思えば、大変納得できます。
彼等がお供えする人形は、子どもが生前愛用していたものが多いのだそうです。

人形島と古代アステカの生贄の儀式の関係

自然豊かで美しい景観と裏腹に、ソチミルコは血なまぐさい歴史が秘められた土地でもあります。

アステカ文明からスペイン植民地支配に移り変わる過渡期には争いが勃発しており、膨大な数の犠牲者を生みました。
また1609年には大洪水で、1576年には天然痘の蔓延による大打撃を受けており、古代より死と関わりが深かった一面を持ちます。

そして古代アステカでは、生贄の心臓を取り出す儀式が行われていました。
ジュリアンが生贄を人形で代用し、なんらかの願いを叶えようとしていたというのは考えすぎでしょうか?

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