さて今回は日本の代表的なRPG作品である「ドラゴンクエスト」の話をします。
これを語らずしてはRPGを語る事は出来ないと、のちのRPG基礎ともなった、第1作目のドラゴンクエストの魅力について、今回はまとめていきたいと思います。
ドラゴンクエスト制作の経緯
まずドラゴンクエスト制作の経緯について。
そもそも世界最初のRPGは海外で作られ、「ウルティマ」「ウィザードリィ」とダンジョン探索型のファンタジー世界をモチーフにしたゲームが最初でした。
でもこれらのRPGゲームは、フィールドを巡るのがメインのRPGではなく、決まった拠点であるダンジョンを探索する事に終始したファンタジーゲームでもあったのです。
その頃、ゲームと言えばアーケードやPCが主でしたが、ファミコンの登場によりゲームが身近な物になりますが、最初は単調なソフトが多く、繰返し型のゲームでした。
しかし、ファミコンがブームになるにつれ、サードパーティーとしてソフト開発のメーカーが多く参加していくと表現の可能性が広がり、多くの作品が作られるようになります。
やがてマリオの様なお姫さを助けるストーリーが挿入され、様々な物語が組み込まれていくゲームが作られました。
当時、海外のRPGに衝撃を知った、作家の堀井雄二氏は、プログラマーだった中村光一氏と、作曲家であるぎやまこういち氏、漫画家で「ドクタースランプ」で人気を博していた鳥山明氏と共に、日本初のRPGを立ち上げようと動き、ドラゴンクエストは生みだされていくのでした。
制作期間はたった5か月
ドラゴンクエスト、その完成までの道のりは決して楽なものではありません。
何故なら当初、ドラゴンクエスト開発に与えられた期間は、たったの5カ月しかなかったのです。
そう5カ月・・・日数にして実に約140日。
当時のゲーム開発においては、あまりにも少ない時間とも言える程に、過密なスケジュールだったのです。
不眠不休で始まる事になってしまったドラゴンクエストの製作。
基盤となる原作は無く、0からの出発で創られる事になった、新しい形のRPG作品。
様々な考察とアイディアを元にゲームは作られていきますが、初期のファミコンにおいてRPGの制作は容易ではありませんでした。
そして、当時のファミコンの容量は64KBしか使えないものしかなく、容量と仕様に苦慮する事となります。
カタカナ50音を全て入れず、決まったテキストのみを入れて文字の容量の削減。
文字の種類と数を限定し、武具やアイテムや魔法にセリフなど、文字の種類と文字数を設定した内容がゲームに組みこまれていきました。
ドラゴンクエストが受け入れられた理由
その頃の基になった海外のゲームといえば、オープニングやエンディングはおろか突然ゲームが始まり、何をしていいのかも解らないまま、ゲームの中にプレイヤーは投げ出されます。
それに対して、ドラゴンクエストは子どもが遊ぶ際に、苦労せずにドラゴンクエストの世界を楽しめるようにするにはどうすればいいのか?等の工夫がされていたのです。
まず最初のドラゴンクエストのスタート地点が、最大の難点となってしまいます。
元々ドラゴンクエストはマップ上から始まる予定だったのですが、当時の子供がテキストをすらすらと読めるわけもなく、マップをどこ行く当てもないままに彷徨いながら、モンスターにやられてしまうと、ゲームを継続するのを断念してしまう事になります。
その為に、王様の居る王室からのスタートが決定されたのです。
まず王様の話を聴き、アイテムであるカギを手にして、扉を開け、世界へと挑むと、基本的な操作方法を学び、ドラゴンクエストが始まると、あの最初の場面はそんな工夫がなされていたのです。
そうこれこそが初期のチュートリアルの始まりだったのです。
移動し、話し、道具を選択し、階段を降りる等の動きを覚えながら、自然にチュートリアルを終えていくと、プレイヤー達に寄り添う形で、ドラゴンクエストは制作されたのです。
そして伝説に
もう一つの要因として、ナレーションのテキストが流れ、勇者が城へと向かうシーンから始まると、今では当たり前なオープニングがゲームに挿入された事。
これによりゲームに引き込まれ、これからの冒険に期待感を与え、プレイヤーと共に寄り添い、ゲームを楽しく、そして楽しめる製作者側の意向を組んで制作された、最初の国産RPGドラゴンクエスト。
それは寄り添う形のゲームの誕生だったとも言えます。
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