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大器晩成の指導者「ドワイド・D・アイゼンハワー」

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2018年6月、1944年の「史上最大の作戦」ノルマンディ上陸作戦から74年目を迎えました。
この戦いを含め、連合軍の反抗作戦を指揮した最高司令官「アイク」、これぞ大器晩成!という軍歴をご紹介します。

「アイク」ことドワイド・D・アイゼンハワーはアメリカ陸軍にあって、1920年に少佐になってから中佐に昇進するまで16年もの期間を要しました。第二次世界大戦勃発時にはまだ中佐にすぎなかったのです。

■ 少佐時代のアイゼンハワー
National Archives and Records Administration [Public domain], via Wikimedia Commons

その後わずか5年と3ヶ月で陸軍元帥にまで大昇進しました。仲裁以降の昇進は、1941年3月に大佐昇進、同年9月に准将昇進、1942年3月に少将昇進、同年11月に中将昇進、1944年に大将という異例のスピードです。

これはアメリカ陸軍史上でも空前の記録となります。
彼はこの昇進によって1945年の末までに、ヨーロッパ戦線における450万人の連合軍全軍の頂点に立つ最高司令官になります。

■ 右からオマール・ブラッドレー、アイゼンハワー、ジョージ・パットン
From army.mil, and now in the National Archives. [Public domain], via Wikimedia Commons

アイゼンハワーはこの地位にあって、強力なリーダーシップと外交センスを発揮しました。アメリカ軍の中にあってはオマル・ブラッドリー将軍やパットン将軍のような前線の高名な指揮官の尊敬を得て、他にも連合国のトップであるチャーチル首相、モントゴメリー元帥およびシャルル・ド・ゴール将軍のような強烈な人物たちとも互角に渡り合いました。

戦略上チャーチルやモントゴメリーとは合意できない部分がありつつも、彼らとの関係を保持しつつ自身およびアメリカの目標を達成していき、さらにアイゼンハワーは、ゲオルギー・ジューコフのようなソ連の司令官やヨシフ・スターリンとも直接の交渉を行うこともありました。

■ アメリカ合衆国 第34代大統領 ドワイト・D・アイゼンハワー
White House [Public domain], via Wikimedia Commons

これもルーズベルト大統領が全幅の信頼を置いていたからで、ソ連からもアイゼンハワーは高評価を受けて勝利勲章を贈られます。彼はサインに「アイク」と署名することを好んでおり、一般の兵士たちにも気を配って不正を根絶しようと尽力します。

このため一般の将兵からも高い人気を得、後のアメリカ大統領にすら就任することになるカリスマ性を発揮したのでした。

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